「旅立ちは順番。 人間は旅立たないといけない。 そして、それを送り出す人たちの物語。」わたしの叔父さん きりんさんの映画レビュー(感想・評価)
旅立ちは順番。 人間は旅立たないといけない。 そして、それを送り出す人たちの物語。
酪農は
本当に大変だと思う。
休めない。366日。1年中、24時間。
NHKの「ラジオ深夜便」に、たびたび投稿をなさる常連の「鳥取の若葉さん」。あの方も牛舎で作業をなさりながらラジオを聴いておられる。
「コーダ あいの歌」では、登場人物たちの生業は漁業だった。海が荒れて海に出られないと、そして不漁続きだと、漁師の生活は破綻する。生きていかれなくなる。
その「コーダ〜」の元になったオリジナルの映画は「エール!」だった。この「エール!」のオリジナルストーリーでは一家の仕事が「酪農」だったわけだ。
酪農業も、牛舎に出ないと牛が死ぬ。そして収入が絶たれる。飼い主も暮らしていけないから死ぬ。
有給休暇など皆無の、厳しい仕事だ。
きっと酪農家の人たちは、冠婚葬祭や急用の折には、お互いにヘルプをし合える同業の仲間を確保しているはずだ。
牛の世話は絶対に休めないからだ。
牛の世話。そして人間の介護。
どれもが繋がっている命綱の関係。
そして、本作を含めて、これらの作品の共通の悩みは
「休むわけにはいかないその家業の中で、しかも、欠けてはならない働き手が一人、抜けるかもしれない」
という四面楚歌の苦しいテーマだった。
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わが家の両親の事は、時々自分のメモとしてこのレビューでも触れているが、 老健で暮らしている。
息子たち三兄弟で、入れ替わり立ち替わり、特急と飛行機を乗り継いで面会に行っている僕らだ。
とりあえずは、昨春から素敵な「サ高住=サービス付き高齢者向け住宅」に父母揃って入所したので、安心はしているところだ。
衣食住の全てが、あのペンションのようなお部屋と +付帯施設で供される見守りのシステム。あの体制には、身障の老人が生きていくための、絶対的な安心感がある。
でも、
本人たちの感じている寂しさの「本心」の所在は分かっているから、三兄弟は間隔を開けずに連絡し合って、泊まりがけで親たちに会いに行くわけだ。
でも、
末の弟が兄たちに念を押すように言ったのだ。
両親のために最も心を砕き、奔走してくれた一番下の弟だ。
「兄ちゃんたちにしっかり言っておくけど、もうすぐ終わる人たちのために、まだ未来がある人間が自分に犠牲を背負い込む必要はないのだよ」
「でも‥」「でも‥」が頭の中いっぱいの毎日だ。
どうすることが一番なのか、悩む事で頭の中がいっぱいなのだ。
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「わたしの叔父さん」
原題は「Uncle」。デンマーク映画。
身障者の叔父と、その姪の生活を見つめる映画。
「9分10秒」
映画の開始から流れる長い長い無言の時間。
スーパーマーケットで「ヌテラを」と叔父さんが口にするまでの、こんなに長い無言の時間が 9分10秒。
二人の生活。
( ヌテラって、ココア味のヘーゼルナッツの、パン用スプレッドのこと )。
「12分05秒」
姪が初めて声を出すのが12分05秒のところだ。
ここまで二人の声が聞こえたのはたったの2回。
「ヌテラ」
「きらめき」
ボードゲームの単語探しで、姪が叔父にヒントをくれたその一言。
「24分40秒」
娘の名前がクリスティーネだとやっと分かる。
言葉無しだから、余計に二人の毎朝の様子を こちらもじっくりと見せてもらえて、とてもいい出だしだった。
腰は曲がっているが、今までよく働いてきたのだろう。大きな良い手を叔父さんは持っている。
なぜ姪っ子と二人暮らしなのだろうか。(それはおいおい判る)。
姪っ子はお喋りではないが、叔父さんとの暮らしを大切にしているようだ。
スマホなど一切いじらないで、叔父さんの横で本を読んでいる。
きっと毎日が、何の代わり映えもしないで、この繰り返しだったのだろう。
パンをトースターで焼き、ヌテラを塗り、シリアルを食べる。
台所やリビングには蝿がいて、この二人の生活が牧畜業に しかと根付いている=作り物でない=ことがちゃんと分かる。
二人が喋らないぶん、テレビのニュースの音声が、二人が生きている世界の情勢を、ちゃんと生身の物としてバックアップしている。
だから、
この世界の片隅で
・姪としてはこの叔父さんを世話し、
・この老人の安全のために同居を守り抜くことが大切だった。
「旅立ち」など到底彼女の選択肢にはなかったんだけれど・・・
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映画は、
「何かを言おうとしている二人の表情」を映して、
そこでフイルムは終り、暗転する。
小津ばりの
大変に素晴らしいラストだ。
そして、再びの長い無音のエンドタイトルが流れるから、
物語の続きは僕らが想像するしかないのだが。
ここからは僕の想像のストーリーだけれど、↓↓
きっとクリスティーネは出て行くし、
叔父さんはそれを後押しする決心をしたのだろう
(と、僕は見る) 。
「でも‥」「でも‥」
生活の基本であった牛たちと、
最愛にしてかけがえのない叔父さん。
この二つを手放して、家を出ていく決心は
誰も彼女から奪えないはずだ。
旅立ちは順番。
人間は、あるものは死出の世界へ、そしてあるものは新しい恋の世界へ、
旅立たないといけない。
振り返る必要はない。
若者は生きるべきなのだ。
彼女は正解。
彼女の人生は正しい。
叔父さんがいつも寡黙だったのは、
じっと考えて、姪の「その時」を見極めるために、待っていてくれたからだろう。
助けられていたのはクリスティーネの側だったね。
クリスティーネのハートを聴診器で計っていたのは叔父さん。そして親身な獣医ヨハネスたちだった。
・・そう想いたい。
見送る事も、老人たちの力になるのです。
ケツをまくれ、クリスティーネ!
Tillykke. gå dit liv. ティリッキ ガダィリ
おめでとう、あなたの人生を歩きなさいね。
きりんさん、こんばんは。ご無沙汰してます。ノートルダム大聖堂のコンサート、ノーチェックでした。痛恨のミス…。
それはそうと、この前教えていただいた、アモス・オズの本、千曲市の図書館にあることが分かって、千曲市に住む息子に借りてもらって読みました。イスラエル側の立場もよくわかり、とてもためになりました。ただ、彼も、さすがに今の状況は予想できなかったように感じます。彼の語ることは本質的で、決して間違いではないのですが、出版された当時よりはるかに状況が悪い方に進んでしまっている中で、好き放題の狂信者たちに対する無力感が、一層浮き彫りになった感じがしました。今、この時代に彼が生きていたら、どんなコメントをするのか、その言葉を聞いてみたかったです。
もとになっているイェフダ・アミハイの詩は、読み返せば読み返すほど、対話の本質をついているなぁと感じ、大切にしたい一編になりました。改めてありがとうございました。
この、わたしの叔父さんという映画、とても興味がわきましたので、また探して観てみたいと思います。
ではまた。
NOBUさんこんにちは。
姪のデートには、まさかのお邪魔虫でついて行く上に、親友の獣医ヨハネスと姪っ子の「コペンハーゲンまでの研修旅行」も執拗に引き止めようとする叔父さんのボケっぷり。あれには呆れました。ヨハネスとクリスティーネが男女の仲になるとでも?だったら聴診器とかプレゼントするなよー!と笑ってしまいました。ヨハネスへの嫉妬ですよ。
でも本作、地味だからこそ、二人の日々が、その僅かな変化が絶妙な可笑しみになっていた気がします。
叔父さん、ホント良い味出してましたよね。
主演の二人、本当の叔父と姪なのだとか。出演はいい記念になったろうなぁと思いました。