「輪舞(ロンド)の形式で展開する、「誰も幸せになれない」歪んだ愛のフーガ(遁走曲)。」悪なき殺人 じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)
輪舞(ロンド)の形式で展開する、「誰も幸せになれない」歪んだ愛のフーガ(遁走曲)。
雪に覆われた片田舎を舞台にとる、欲望に歪んだ人間が織り成すサスペンスといえば、ぱっと『シンプル・プラン』『ファーゴ』、それから『ヘイトフルエイト』あたりが思い浮かぶ。
ただし、この三作は、なぜかいずれも「カネ」にまつわる欲望を描いた物語だ。
雪の農村が舞台のフレンチ・ミステリといえば、ちょっと古いが『燃えつきた納屋』なんてのもあった。
シモーヌ・シニョレのキモったま婆さんが、イケメン判事のアラン・ドロンと対峙するアレだ。
あちらのテーマは、「家族」と「村落」だった。
今回の『悪なき殺人』のテーマは、「愛」である。
より正確にいえば、恋愛、性愛のたぐいの「愛」である。
世の中から必ずしも肯定的に扱われない異形の愛。
浮気、ネクロフィリア、レズビアン、ネット恋愛(相手がじつはネカマ)。
本作は、これらの「報われない愛」を楽章のように配したうえで、
(AB)-(BC)-(CD)-(DE)といった感じで、登場人物を順繰りに入れ替えていく。
何人もの視点で物語を語り直して、次第に真相が明らかになっていく(最近だと出色だったのは『フロッグ』とか)パターンのバリエーションである。
いわば、1950年にマックス・オフュルス(および1964年のリメイクでロジェ・ヴァディム)が『輪舞』で試したような、「ロンド」の舞踏のごとく相手が順番に切り替わって、次のフェイズに進んでいく構成だ(最後は一応円環を成す)。
まずは、アリスとジョゼフ(浮気)。
それからジョゼフとエヴリーヌの死体(ネクロフィリア)。
エヴリーヌとマリオン(レズビアン)。
マリオンとミシェル(ネット恋愛)。
で、アリスとミシェルは夫婦で、一応話はひとめぐりしている。
ここにアルマンというネカマ詐欺師が絡んで、「エヴリーヌの死」という特異点が発生する。
だれがエヴリーヌを殺したのか?
フーガのような構成をとりながら、この謎を明かしていくのが本作の主眼である。
総じて面白い映画だったし、脚本の精度は高い。
とにかく、なかなか先が読めないし、伏線の出し入れが巧い。
前の視点の話で残った疑問が、絶妙のタイミングで明かされていく。
日本でいえば、泡坂妻夫や連城三紀彦あたりのよくできた小説でも読んでいるようだ。
そもそも、原作をほぼ忠実に映画化している気配があって、もとの小説もよくできているのだろう。
いっぽうで、この美しいロンド構図を成立させたうえで、殺人事件の真相が意外な形で明らかになるように組み上げることを最優先にして物語を構築しているため、結果としてかなりの「偶然」が導入されているのも確かだ。
で、それを「人間は、『偶然』には勝てない――」と謳うことで、まるごと根底から正当化するという、なかなか小狡い戦略をとっている(笑)。
要するに、たとえば謎解きミステリだと、「AとBが実は知り合い」みたいな「偶然」があまりに複数回重なってくると、それは結局「ありえない話」になるし、ひいては「フェアプレイで推理することが不可能な駄作」の烙印を押されてしまう。
ところが、本作では「偶然の連鎖がこんな恐ろしい事態を招来したんですよ」と、最初から思い切り「居直る」ことで、いくつもの偶然が重なる物語をわれわれに「あり」だと認めさせようとするのだ。
結果として本作は、イレコ細工のような複雑で巧緻な脚本を織り上げているにもかかわらず、意外なほどに「謎が解ける瞬間のミステリの醍醐味」は希薄である。
たしかに「ああ、そうだったのか」「あれが伏線だったのか」と感心させられるシーンは多い。
でも、その秘密の暴露は、「犯人が仕掛けた隠蔽工作の打破」によって得られるものではない。
秘密はあくまで「監督によって隠蔽されたもの」であって、見せ方として「真相を明かす順番を加減」しているだけなのだ。
謎が解ける瞬間というのは、それを知られると都合の悪い人によって仕掛けられた狡知なトリックがあるからこそ、解けたときに「世界が反転する」ような快感が脳天を突き抜けるものだ。
それが今回のように、各人が考えなしに衝動的に動いているだけの話を「語り口」だけで面白く見せている場合は、観客はナラティヴに引きずりまわされる面白さはあっても、謎が明かされたからといって「世界が反転する」快感には見舞われない、ということなのだろう。
冒頭の悲鳴の正体が背中にかつがれた山羊(鹿? 羚羊?)だったり(かなり面白い絵柄だ)、ネット恋愛をしているオッサンの外見やチャットの文体が去年観た『SNS 少女たちの10日間』に出てきたモノホンの変態たちとそっくりだったりと、監督のいかしたセンスは随所で発揮されている。
テーマである「愛」にしても、さまざまな偶然の連鎖のなかで、判で押したように「全員が不幸になっていく」あたり、なかなかシニカルというか、ビターな感覚をもった監督さんだ。
ほんと、みんなそこそこ一生懸命生きてるだけなのに、びっくりするくらい浮かばれてないよなあ(笑)。とくに、ラスト近くのミシェルとアルマンの絡みは、ちょっとパトリシア・ハイスミスの小説みたいで、素晴らしい余韻を残した。
そういや一点、ちょっと怖かったんですが。
実は僕はこの映画をビョルン・アンドレセンのドキュメンタリー映画『世界で一番美しい少年』とハシゴして観たのだが、前の映画で「ビョルンの少年時代」として登場したのとたぶんおなじ写真が、この映画のなかでも過去の写真としてしれっと出てきたような……。
ちょっと衝撃的すぎてにわかには信じがたいのだが、極端に左に寄って立つ母子の不穏な写真なので、おそらく見間違いじゃない気がするんだけど……もしかして観ながらうたた寝して、ごっちゃになるような悪夢でも見たかなあ? パンフで確認したくても売り切れだったし。
これを確かめるだけの目的で、ぜひCS放送されたらもう一度録画してどっちも見直さないと思っております(笑)。
レビューをここにつけ始めて、はじめて自分で自分のレビューにコメントできることに気づきました……(笑)。
そういっていただけると本当にうれしいです。ありがとうございます!
こんにちは。
女王メディアを見ようかなぁとレビュー見てて、あまりにもズンバらしいので、私と被る映画は無いかな🤔と思ってのぞきました。
左に寄って立つ母子写真の件は全く記憶にありませんが、「異形の愛」のご意見はなるほどーと唸りました。
ざっとレビュー拝見しましたがどれも素晴らしいもので敬服しました。