劇場公開日 2020年1月2日

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「ドキュメンタリーは現実か」さよならテレビ andhyphenさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0ドキュメンタリーは現実か

2020年1月6日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

満席、補助席の出たポレポレ東中野で本作を観たあとで、ざっくりとレビューを読むとなかなか綺麗に割れていた。割れている原因はどう考えてもあのラストだ。ドキュメンタリーの手の内を晒してしまった禁じ手のラスト。
前も書いた気がするのだけれど、ドキュメンタリー作家は決して「自分の物語」からは逃れられない。この映画に関して言えば、「さよならテレビ」という命題から逃れられないまま話を進め、そして作家としての「物語」の欺瞞を最後に公にしてしまうことで、「自分の物語」を完成させてしまったという、非常にややこしい構図である。
これは「ドキュメンタリーとは何か」みたいな命題に繋がっていて、「ドキュメンタリーは現実ですか?」という作中の問いは非常に的を射ている。私たちが観るドキュメンタリーは「現実」ではない。作り手の「物語」。著名なドキュメンタリー作家でそれを意識して撮らないものはいないのではないか。そしてそれを「現実的に」仕上げるか、「エンタテイメント的に」仕上げるかは作家性の違いだろう。
私はテレビ版を観ていないが、咄嗟の感想は「自分が作った物語への羞恥心」かな、だった。しかし、よくよく考えてみればこれは「観る者を試している」のかもしれない。ドキュメンタリーを現実として観ているものへ現実を突きつける、という作り方。
だから「そんなの知ってる」という人は怒るのではないか。試されたことに。
映画が映した現実は、厳然として存在する今のテレビ局、報道、ひいては社会の姿だ。
中盤からフォーカスが当たる3名は、この社会の中で、自分の表現に迷う者、挙げた拳を振り回せない者、弱く身の置き所がない者という分かりやすい構図を取っている。いわば現実と折り合いが上手くつけられない者。視聴率と三六協定順守を同時に要求する管理層は現実という敵。
しかしその構図は...というあのラストを以て全てを裏切られた訳でもないし、分かってることを言うなよというのをしたり顔に言うのも違うな、と思った。私たちは「現実」と「作られた現実」の両方の一端を巧みに見せられたのだ。結局、伝えるってこんな感じなんですけど、あなたはどうします?という問いとともに。
私だったら...現実であり敵たる「管理職の苦悩と現実」を描くと、この物語は先に進むのかもしれないという気はした。エンタメとしては面白くなさそうだが。

andhyphen