劇場公開日 2020年12月11日

「あの現場にいた人間の苦しみ」BOLT 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0あの現場にいた人間の苦しみ

2021年1月6日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 映画「Fukushima50」では、東日本大震災とその後の津波で壊れ果てた原子力発電所で、なんとか被害の拡大を防ごうと、所長や所員たちが空しく奮闘する様子を描き出していた。
 本作品では、事故の初期対応でボルトを締めればなんとかなると思って奮闘した所員たちが、努力も虚しく原子炉の溶解に至った現実に、為す術もなく無力を思い知らされる経緯が、強烈な光とともに描かれる。そして原子炉に近づけなくなるほど被曝したひとりの所員のその後を追う。

 妻は死んだ。たったひとりの家族だった。虚しさを埋めるように被曝地に近い場所で死んだ人の家の片付けをする。家族を失って親戚も死んで、たったひとり、希望もなく生きて、そして死んだ人だ。その人の家を片付けて処分する仕事である。誰もやりたがらない仕事だからギャラはいい。しかし思うのだ。自分とあの死んだ老人は何が違うのだろうか。タイミングが違ったら立場が逆になっていてもおかしくない。生きている自分と、死んだ老人。
 それでも生きていく。生きていく以外に自分にできることはない。原発の真ん中にいたのに不思議に永らえた命だ。死ぬ選択もあるし、多分すぐに実行できる。しかし死なずに生きていくのだ。妻の面影は自分の中でずっと生き続けている。自分の面影は妻の中で生き続けているのだろうか。優しい妻は話しかける。あなたのことは忘れない。

 永瀬正敏はうまい。人間の不幸のすべてを背負って生きているような悲壮感がある。実際に原発事故の現場にいた東京電力の所員は、責任感と罪悪感の間(はざま)で苦しんでいただろうし、いまも苦しんでいる人もいると思う。現場の状況を知らない経営陣との実感の乖離は相当なものだっただろう。すぐに現場に行った菅直人はそれなりに頑張ったと思うが、本人は自分の力不足、準備不足を認めていた。
 福島原発に10m以上の津波が来たらどうするのかについての国会質問が、2006年に共産党の吉井英勝議員から出されている。当時の総理大臣はアベシンゾウ。アベはそんな事態は考えられないと一蹴し、役人が作成した「今後とも原子力の安全確保に万全を期してまいりたい」という紋切り型の答弁を繰り返した。総理大臣に国民の安全を守るための無作為は許されない。福島原発事故について本当に罪があるのは誰か明らかである。しかし実際には現場の人間や事故当時の内閣が責められた。理不尽な話である。アベシンゾウの口癖は「悪夢の民主党政権」だ。しかし本当の悪夢の政権の総理が誰なのか、今となっては誰にも判る。

 改めて、戦争や原発事故は語り継がねばならないと思った。被害を風化させると、また悪徳な人間が戦争を始めたり原発を造ったりしかねない。本作品は変化球ではあったが、あの現場にいた人間の苦しみを十分に伝えてくれた。その意義は大きいと思う。

耶馬英彦