劇場公開日 2019年11月17日

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「殺人まではしなくても、こういう人います!!」ディアスキン 鹿革の殺人鬼 バフィーさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0殺人まではしなくても、こういう人います!!

2020年2月6日
PCから投稿

おじさんの無邪気さは時に残酷であることを痛感させられる作品だったが、何よりこのおじさんジョルジョを演じているのが『アーティスト』のジャン・デュジャルダンというのが絶妙である。

ジャン・デュジャルダンと言えばクラシカルな作品が似合う風貌であることを真面目に活かした作品としては『アーティスト』『海の上のバルコニー』などがあったり、逆手にとって、ダンディなんだけど実はまぬけという『OSS 117 私を愛したカフェオーレ』『プレイヤー』など役の幅が広い俳優であるが、そんなジャンが演じていることで今作の奇妙なキャラクターに妙に説得力を持たせてしまっているから流石である。

鹿革が大好きで自分以外の人がジャケットを着ていると「脱げ!」と言ってくる変なおじさんジョルジョ。しかも鹿革を着ているわけではなく、ジャケットなら革製品だろうが安物のダウンジャケットだろうが何でも「脱げ!」と言ってくる…いちいち説得するのも面倒になってきたジョルジョはついに殺人まで犯すようになってしまう。
そんな彼の夢は、自分以外のジャケットを着る人を0人にすること…そんなバカな考え…世界中に人間が何人いると思っているんだ?!なんて常識は通用しない。

こういうぶっ飛んだ考えを本当にしようとしているからこそ怖いし、実際にこういう一般的な常識や物事の理屈が通用しない人っているのだ。コントのキャラクターならよくても、日常生活で現れたら怖いキャラクターっていないだろうか。

酒場でたまたま出会った女性に職業を聞かれ、とっさに映画製作をしていると言ってしまいったことで酒場の店員ドゥニースが興味を持ってしまうことからもも物語は嫌な方向に向いてしまう。

ドゥニースの夢は映画の編集をすることで、話の流れから鹿革狂のジョルジョが何となくビデオカメラで風景やジャケットを着た自分、時にはジャケットだけを映し、そのジャケットと会話をするという気の狂った映像を編集することになるが、それをモキュメンタリーだと勘違いさせてしまったことで事態はエスカレートしていくという構造はおもしろいし、監督のカンタン・デュピューは自分のことをクエンティン・デュピューと言うほどタランティーノへのリスペクトがあって、ちょっとしたきっかけや出来事によって、人生が狂ってしまうという不条理さ描くというテイストはタランティーノの影響が大きいのだろう。

この映画、実はドゥニースの物語でもあって、おそらくドゥニースは実際にジョルジョが殺人を犯していることに気づいていたのだろう、しかし映画を完成させることへの願望が強すぎて、そのまま黙認してやらせていた、つまり途中からジョルジョの行動を操っていたのはドゥニースなのだ。

この映画には、何かに狂っている人間が2人登場することで、ふたりの物語が巧妙に絡み合っていて、ドゥニース役のアデル・エネルが多くを語らずに表情やちょっとしたセリフで表現していて凄い女優だと思ったし、彼女の別の作品を観たくなってしまった。

町に死体があんなに転がっているのに、警察が捜査してないという大きなツッコミどころや、謎のラストシーン、謎の少年の意味など…辻褄が合わない様な難解なシーンが多いが、それを含めて実は全てドゥニースの映画であったというメタ構造であれば、納得がいっていまうし、映画制作に関してはまだまだ素人という設定が作品の所々の疑問点や荒さを「まだ素人なんで…」と一括で処理できてしまうのだ。

ちょっと違うかもしれないが日本の監督で『コアラ課長』『ヅラ刑事』の河崎実は、コントの様なキャラクター構造で1本の映画を作り上げてしまうクセモノ監督であるが、今作も入り方としては河崎実作品に近いものがあるのだが、決定的な違いは役者の演技が素晴らしいことだ。

『ラバー』を観たときは、タイヤが人を殺すというインパクトだけ先行して中身があまりない感じがしたが、あれから7年…カンタン・デュピューは侮れない! 彼の作品をもっと観てみたいが日本でソフト化されているのは、『ラバー』と今作ぐらいで、『リアリティ』は 第27回東京国際映画祭での上映のみ、『勤務につけ!』はAmazonプライムで配信されていたが、今は観れなくなってしまっている。今作も変な映画として切り捨ててしまうのは、惜しい映画であるし、カンタン・デュピューという人物をもっと知りたいという衝動に駆られてしまった…

バフィー吉川(Buffys Movie)