尾崎豊を探してのレビュー・感想・評価
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観なければよかった
イライラしたので落ち着いてから投稿しようと思って、すっかり忘れていました。
尾崎とギターのシルエットのポスターにちゃんと書いてあったのに。
「観なければよかった」
前売り料金で手に入れたのは、尾崎のムビチケカードとチケットホルダーと、ストレス。
映像も音楽もぶつ切り、切り貼りで、酷いものでした。
ただの映像素材としての尾崎豊。しかも古臭い加工されちゃって、物悲しい。
当時の貴重な映像もありましたが、関係者へのインタビューがあるわけではなく、ロケは適当な風景と、その辺歩いてた十代を数人捕まえたインタビューだけ。
いつになったら本編が始まるんだろうと、途中まで思っていました。
少ない素材と安上がりなロケで、適当に切り貼りした映画にお金を出す人もいないだろうと、限定公開に特別料金で、正月気分とレア感を煽ったと言うところでしょうか。
尾崎に興味がある方は、普通に尾崎のアルバムとかライブDVDを買った方が良いですよ。
何を伝えたいの?あまりにひどい。
リアルタイムで尾崎を聞いて見てきた世代です。
冒頭のJKのインタビューも
映像のぶつ切りも
どんな意図で製作されたのか
尾崎の世界観も全然伝わりません。
そもそもこの映画がどんなコンセプトのもと
作られたのか?
疑問だらけです。
楽しみにしていただけに残念すぎます。
なぜあれが特別料金なの?
結構よかった
私は高校生なので、尾崎豊世代の方からしたら、ん?と思うよな部分があったのだと思います。
私は母とふたりで観に行きました。
冒頭の高校生に腹が立ちましたが、最後の尾崎ファンの高校生のシーンで腹立ちは消えました。
私は尾崎豊が亡くなってから産まれたけれど、尾崎豊を知り、大好きになったこと、尾崎豊が残してくれた歌に出会えたこと、全てに感謝しています。
無駄にテロップがなかったり、制作側の私情や先入観がなくて自分なりの尾崎豊を探せたと思います。
音楽をブチブチ切り、インタビューを間に入れたのも、この歌詞は尾崎豊にとってこのような心情があったのかな?と考えました。
母は世代ですが尾崎豊の事をあまり知らないみたいですが、誘いました。母と観終わったあとに、感想を言い合いましたが、私とは全く違う感想でした。
母は知らないにも関わらず、尾崎豊を探していたと思います。
そこに豊さんはいませんでした。
現在も豊さんは僕の心の中にいてくれているので(笑)、特に必要なかったのですが、たまには豊さんに会いに行ってみるか、、、と言うわけで、特別料金を支払い、映画館に行って参りました。
まぁ酷いっすね。イメージの映像や語りの映像は、昔ローソンで売っていた1980円のビデオそのものだし、演奏はぶつ切りで豊さん語り出すし、豊さん知らない女の子のインタビュー無意味だしで、すっかり騙されました。こんなモノしか作れないのなら、監督辞めた方がいいと思います。NHKの特番の方が100兆倍いい番組です。豊さん知らない女の子のインタビューを流して、一体何を伝えたかったのでしょうか?制作に携わった方々は、題名の通り、探していた豊さんは見つかったのでしょうか?もう完全に頭湧いているので、キチンとした文章で伝えることができなくて申し訳ないのですが、とりあえず返金をお願い致します。結局豊さんはそこにはおらず、僕の心の中にいることを改めて再確認出来たことについてだけ、よかったと思いました。
すごいなぁ こんな映画初めて見た!
終わった瞬間、経験したことのない気持ちを感じました。よくこんな映画を公の目にさらせたなぁって感じです!
どうしてこんな編集しちゃうの!?の連続です。
ライブの映像ぶちぶち切りまくってて苛立ちを感じました。
途中で帰ろうかと思ったけどとりあえず座ってみてました。ちょっとくらいいいと思えるところないかな、最後くらいなんかないかなと思って、、、
でも何もありませんでした、そんな映画です!
目も当てられないような飽きるほど出てくる変な編集なされた映像があるときは目をつぶって尾崎の声だけ聞いていました。これはこの映画見るにあたってまあいいコツだと思います
あとクソダサなのは、変な編集してあるタイトルが何回も出てきたところです。本当におかしい。
尾崎豊を探して 尾崎豊を探して 尾崎豊を探して
っていう羅列が絶妙にダサく重なり合ったり
the truth of ozaki yutaka the truth of ozaki yutaka the truth of ozaki yutaka
というのがくどいほど何度も出てきたり何がしたいのかわかりませんでした。
ただ1つ言えるのは、どんな編集をされても尾崎のかっこよさは変わらないって言うことだけです。
ほんとかっこよかった!あの大画面であの音質でライブ見れただけでもよかったのかなぁ、ほんとにそこしかいいところなかった
監督は尾崎はこんな最悪な編集してもかっこいいんだよってことが伝えたいのかな??笑
ある意味史上稀に見るすごい映画だと思うので、この経験は自分のなかで大切にしておこうと思います
結論、尾崎豊はめちゃかっこいい、監督はめちゃ最悪、転職したほうがいいって感じです
見ないよりは???
尾崎豊を探してという映画でしたが、尾崎豊を探せない内容でした。
尾崎を知らない人がこの映画を見て何がわかるのでしょうか?
映画の冒頭で女の子たちが尾崎の事を知らない、知らないと言っているのは腹立ちましたね。
最後に尾崎の事を好きになった女の子が出てきたので、繋がっているとは思いましたけど、必要な場面だったのでしょうか?
歌は途中で別画像が入るぶつ切りばかりだし、何を伝えたかったのでしょうか?
フルで聞けた曲はライブ映像ではなくエンドロールのみでがっかりしました。
エンドロールの選曲はいいと思いましたけど。
映像も真新しいものはなく何回も使っている映像もたくさんありましたね。
尾崎の顔の中に車がたくさんの映像なんてあんなにたくさん必要ないです!
また映像も初期(10代)のものしかない→従って曲も初期のもので偏りを感じました。
コンセプトが分からない映画でした。
割高な有料でお金を取る内容ではなかったですね。
ひとつだけ良かった事は、大きい画面といい音で尾崎を見られた事です。
特別料金の価値なし
尾崎のアーティスト人生の前半部分を切り取って、さあ尾崎を探しなさいと言われても、なんだかゴールのない山歩きしているみたい。この部分から先、ニューヨークから帰った後の独立後はほとんど触れられず悲劇につながる心の彷徨はわからない。
中途半端なドキュメンタリーとなる。コアな尾崎ファンには、あの頃知るべくもなかったプライベートな言葉に喜びを感じるのみといった内容だと友人談。
私的には退屈だった
誰かのクラクション
タイトルの通り。
もし『誰かのクラクション』が映像作品化されたらこの映画のようになるのではないか?と思いました。
冒頭の女子高生達の反応は時間が過ぎていく事の虚しさを表現しているような感じがしましたね。
2019年のあらゆる賞を取ったアイリッシュマンという映画があります。
若い頃〜お爺さんになって〜みたいな人生系映画なのですが、その主人公がおじいさんになって最後らへんに若い介護士の女性に『君はジミーホッファを知っているか?(作中でも史実でも1960年代のアメリカでジョンFケネディよりも有名だと言われたり、当時のアメリカで一番影響力があると言われた男)』と尋ねます。
するとその若い介護士の女性は『知らないわ(笑』と答え、主人公は何とも言えない表情を浮かべる。そんなシーンがあります。
きっと。
ファンの方が『尾崎豊を探して』を見たらその時の主人公の気持ちとシンクロしたような、何かやるせない感覚があると思います。
現代の女子高生達の『尾崎豊』とは遠い昔の人で名前ぐらいしか知らない。
これがかつて10代のカリスマと呼ばれた『尾崎豊』との今の時代との剥離を示唆してたのかもしれませんね。
ファンの方は『尾崎を知りもしないで』と嫌な思いされたかと思いますが、きっとそれが彼女達の『尾崎豊』であり、ある意味で一つの答えなのだと思います。
そしてそのシーンの少し後で尾崎豊が『街の中で自分以外のものから全て否定されたように思った』という言葉の映像が流れます。
最初は冒頭のシーンに対する皮肉かと思いましたが、考えてみれば尾崎豊はデビュー前から世の中に閉塞感を感じていて、現代の女子高生の反応よりも酷い反応や扱いをされた事もあったと思います。
そう考えると冒頭のシーンでは世代間にある単なる皮肉ではなく『尾崎豊』は元から否定されてきた人物なのだ。という事なのかもしれません。
では『尾崎豊』とは誰であり何処にいるのか。
その答えを探す時に視点は何重にもなります。
尾崎豊を知らない若い世代からの視点、ファンからの視点、尾崎豊よりも上の世代からの視点、業界関係者からの視点、そして尾崎豊自身からの視点。
こうした沢山の視点が交錯しています。
作中に何度も尾崎豊のシルエットに夜の交差点が流れますが、そのように多角度から見た尾崎豊と流れて行く車の描写は、時代の流れと共に変わっていく視点を表現していたのかもしれません。
では『尾崎豊』とは誰であり何処にいるのか。
その答えは映画の中でも我々観客でも、きっと『尾崎豊』本人すらも分からないのではないでしょうか。
作中でも尾崎豊はずっと自分自身と夢・希望・愛・自由・真実・死といった漠然としたものを探しています。
それは彼の音楽や文章にも散りばめられたテーマでもあり、世代を越えた普遍的なテーマでもあります。
だからこそ世代を越えても彼の生み出した音楽や言葉には胸を打たれるものがあるのだと思います。
映画として観たら尾崎豊を知らない人には何がなんだか分からない作品かもしれません。
しかし私は『誰かのクラクション』を本屋さんで初めて手に取って読んだ時のような気持ちになりました。前衛的なフォトグラフを散りばめ、スタイリッシュで詩的でカッコイイ。私の目にはそのように映りました。
ファンの方のレビューは辛辣ですが、私は尾崎豊のファンとして彼の音楽以外の部分や詩的な部分を映像で見れたのは嬉しかったです。
私はまだまだ尾崎豊から 卒 業 出来そうにありません。楽しく観れました。ありがとうございました。
とにかくひどかった
あまりにひどく、初めて映画のレビューサイトに書き込みます。
他の方と同様の意見で、せっかくの曲の最中で、他の画像が入ります。
また上映曲が限られており、何度も何度も同じ曲が流れます。
ちょくちょく入るCGも鬱陶しいです。
女子高生のコメントの必要性も解りません。
見終わった後に、前の席のお客さんが、こんな内容なら家でPV観てた方がマシと言っていました。
お金も時間も返してほしいぐらいです。
尾崎という素晴らしい題材を、よくこんなにも残念に仕上げたと思いました。
佐藤輝監督の作品を今後観ることのないように気を付けます。
酷すぎ!初めてレビューを書き込みたくなった
他の人も書いてる通り。。半分以上はYouTubeでも観れる映像を切り貼り切り貼りの連続で正直やっと終わった〜という感じ。
もちろん過去の映像を使うしかないので、その映像でどんな尾崎の作品が仕上がってるのかを期待して行ったが、知ってる映像に時間稼ぎのような意味不明のCGがうっとおしいくらいに入ってくる。
PCで動画編集とかをかじり始めた人がパソコンってこんな事もできるんだよ〜ってやたらエフェクトとか使い過ぎて、うっとおしくなった作品を自慢げに友達にみせるレベル。ホント酷い。観に行った人にだけお詫びに違う映画のチケット付けてください。お願いします。
この映画を観てなによりも言いたいこと。大好きな曲をぶつ切りにされる...
この映画を観てなによりも言いたいこと。大好きな曲をぶつ切りにされるのは非常に不愉快です。また、曲を作った人以外がこういった編集方法を行うことは、本人たちに失礼だと思います。まして尾崎は故人なのですから反論もできません。
中でも十七歳の地図を短いスパンで何度も切ったことには悪意すら感じました。映画を観て憤りの感じるというのは私にとって初めての体験です。
悪い意味で監督の名前を覚えておきたいと思わされたことも初めてです。佐藤輝監督は独創的・挑戦的な作品づくりをするそうですが、完全に自分の作品といえる場所でやってください。尾崎豊という名前を使わないでください。
尾崎が伝えたいことやその思いは、自身の曲に強くこめていると私は感じています。その曲をぶつ切りにするなんて、この映画の監督らは尾崎の曲が好きなのかどうか疑問に感じます。
最初と最後の女の子の映像は、若者に尾崎の曲を伝えていくべきだと言いたいように思えました。ですが、表現方法があまりに稚拙です。最初の女の子たちは尾崎に限らず、自分らの知らないコンテンツには同じ反応をするでしょう。癇に障る笑い方と話し方をする女子高生を切り取って今の若者として出されるのは、分かりやすい敵にされたみたいで残念でした。
最後の女の子はいきなりの取材で尾崎について聞かれれば、熱いの一言で終わってしまうのもやむを得ないでしょう。しかし劇場で流す映像なのですから、準備をちゃんとするか、もしくはもう少し曲について深掘りして聞き、映像を撮るべきではないでしょうか。
12月にNHKのsongsという30分番組で同じように若者に尾崎の曲について尋ねた映像を撮っていましたが、そちらの方がずっと出来が良かったです。
少し古さを感じるCGやPVを切り取ったような映像の連発も微妙でしたが、上記のマイナス点に比べるとまだ許せると感じてしまいました。
舞台裏映像やライブ映像を劇場で見れることは良い点なので星0.5です。何の工夫もなくこれらの映像を詰め合わせるだけの方がずっと良かったです。2500円はとてもじゃないですが割に合いません。
私は尾崎がすでにこの世を去ってから生まれた若者です。なので、当時の若者が尾崎のライブに行き感じたであろうメッセージや感動を少しでも追体験したいと思ってこの映画を楽しみにしていました。非常に残念です。
尾崎豊さん最高!
僕は尾崎豊さんが大好きです。
だからこの映画?にも凄く期待してました。普通では見れない尾崎豊を見る事が出来るのではないかと思って。
だけど、皆さんが言ってるとおり編集が最悪で、尾崎豊の良さが一つも出てなく、逆にバカにしてるのか!と腹ただしさまで、ありました。
これって中学生が作ったの?って思うぐらいの出来です。動画編集ソフトのエフェクトが楽しくて多様してる感が、中学生どころか小学生レベルです。
同じ映像が鬱陶しいくらい何回も出てくるのはなぜ?
影が歩いていくシーンやプールかなんかでバシャバシャしてるシーン、尾崎の人型にくり抜いた中に車が走ってるシーン、ジャケットにジーパン姿で影がビヨーンって伸びるシーン、いったい何回出てくるの???
皆さんも言ってますが、若い女性へのインタビュー何がしたいの?って、ペンキをかぶる映像っているの?とか最後の方の雷のシーンってなんの意味があるの?謎だらけです。
これなら、チョット動画編集をした事がある高校生ぐらいに作ってもらった方が確実にいいものが出来たと思います。
ネタもとも、もしかしてyoutubeって思うぐらいです。
これを見ても尾崎豊さんの良さは全然伝わらないです。
ただ、エンディングの曲が僕の1番好きな forget me notだった事だけが唯一の救いです。
ただそこでも、歩いてる影がまた出てきたのは理解出来ませんでしたけど
気持ちの行き場がない。
みんな書いてるけど曲をブチブチ切り刻んで構成はグチャグチャ、もう少しゆっくり映像を流して欲しかった。尾崎豊の何を探してたの?探す暇もない。
彷徨ってるだけ。
今時の女子高生が知ってるはずないじゃない。
すごく不愉快。最後の子もなんか言わされてる感があった。
歌詞の意味も分からないような子たちだよ?
高校生の娘と見に行ったけど、一言構成がなってない。って終わってから言われた。
素材はいいのにもったいないって。
貴重な映像。400時間の映像があるならそれをDVD10枚組とかで編集せず販売して欲しい。
でもね、やっぱり当時の映像で輝いてる尾崎豊を見られたことは良かった。
今の人たちには無いあの魂のこもった歌い方で泣けちゃったのよ。
大きなスクリーンで音量気にせず見られたことだけが良かった。
構成が微妙すぎてYouTubeでライブ映像見てた方がお金かからなくていいと思うくらい…
何のために映画を作ったの?
尾崎裕哉や世代からのコメントとかの方が探してる感あったと思う。
年齢問わず見て欲しかったなら、探すなら尾崎豊らしさを出せたのに、もっと構成を違うものにしたら良かったのに。
尾崎豊がこの世をさった時中学生で世代でもないけど伝わるものがあって、心の支えで、映画化決定した半年前からすごく楽しみだったのに…
だめだこれは
初めて動画の編集をしたのかと思わせるくらいやたらCGによるエフェクトばかりがほぼ90%を占める。当時『この線で尾崎豊を売り出しましょう』と誰かが考えた『イメージ』ばかりを追う。うんざりする。一曲たりともまともに最初から最後まで聴かせてくれない。唯一、唯一、見てよかったシーンがあったのだが、ライブ後の帰るときに尾崎豊が「片付けはいいの?」とさりげなく呟くところだけ。尾崎豊という人間が一瞬だけど見えた気がした。
違う。そうじゃないよ。
タイトルと映像が合ってないし、本当によくわからない編集だった。何がしたいのかわからない。尾崎豊を無駄に使ってしまった感じがした。久しぶりに映画という形で復活した尾崎豊を観たかったので行った。最初の女子高生らの声はいらないし、曲の途中でいきなりカットする編集は、聴き入っていればいるほどストレスが溜まる。正直、値段が割に合わない。今まで見たことないような映像はあまりなくて残念だった。その中でもよかったことは、令和になっても、尾崎豊が存在したことが夢でないと教えてくれたことと、映画の“一部”で歌が聴けたこと。
400時間?
かなりガッカリ
400時間にも及ぶ映像の中からという触れ込みなのに、尾崎が好きな人はほとんどが過去に観たことがある映像です。
もっと今まで見たことのない尾崎が見られるのかと思っていました。
十代の尾崎が多かった。
私は大人になってからの尾崎も大好きでした。
冒頭の高校生のインタビューもただただ不快。腹が立ちました。
十代のカリスマのイメージを保ちたかったのでしょうか。
尾崎のファンは十代のカリスマのイメージに拒否感持ってる人も多いと思います。
それだけじゃなかったのに!
正月そうそうお金払ってなに見させられたんだろうという虚無感。
尾崎の嫌いな尾崎の名前を使った金儲けに利用されました。
誰向けの映画?
尾崎豊が大好きだから、どんだけ映画が観れることを待っていたか。映画館の予告であんなに緊張したのは初めてだった。
しかし、映画が始まり「尾崎豊を知っていますか?」と高校生に質問をし『尾崎は時の人ではない』ことを最初に示す。
いやいやいや、これ限定上映で価格も特別価格じゃない?尾崎に興味がない人は見に来ない。そんなシーンいらんやん。だってここにいる人はみんな尾崎が好きなんだからと。
映画で流れる歌も定番の曲ばかり。誰に向けて製作されたもの?ヒット曲というのははずせるものではなので問題はないが、定番の曲”しか”使われていないことに疑問。尾崎の定番の曲とはだいたいが20歳までに製作されたもの。
尾崎豊を探してというのに、26歳までの彼を見つめないのはなぜか?わざわざ見に来る”ファン”に20歳までの尾崎が尾崎だというのか?
もし尾崎豊を好きじゃない人が見ていたとしても、この映画の尾崎の魅力とは何だ?尾崎の真実は一体どこに?
ライブDVDそのまんま放映してもらえた方が、ファンもファンじゃない人も楽しめる、心に熱いものを抱くことができる。
最後は、尾崎ファンの高校生に最初と同じ質問をして、高校生は『尾崎の熱さが好き』と答える。同感。しかし、いる?このシーン?
みんなきちんと心の中に尾崎を持ってる人たちが観に来てるでしょ、と。。
誰向けの映画?表面的な10代の教祖っていうイメージで作り上げてない?フラって入って見る映画じゃない。みんな尾崎が好きでわざわざ観に行く映画。もっとコアで良かったでしょ。
期待していた分、最初のシーンはイライラしたし、見応えもなかった。
映画館の大スクリーン大音量で尾崎のライブが見れたことだけが素晴らしい思い出。
見る人にもよるかなぁ…
ん〰️
僕なんか尾崎豊を昔から聞いてた人にとったら見れる映画で知らない人や知らないけど興味あるだけではつまらない映画だろうなと思います、現に隣の人ははた迷惑な事にスマホ見てましたからね。
この映画見て思ったのは悪く言えは尾崎豊は長らく思春期から抜けられない青年、周りの大人達がそうさせてたかもしれないし大人になるのを怖がってたのか大人になりたいのを邪魔されて苦しんでいたのか、そんな風に見えました。作られてた感じ。
映画の前方や後方に『シェリー』を二十歳前後と二十五、六位に歌うシーンがありますが、結婚し子供をもち色々な事を経験し成熟し吹っ切れた時の歌声を聴くとこれからもっと良くなるシンガーだったのに残念でなりません。
本当に尾崎豊を探したのか?
映像編集に関して思うことはあるが、客観性を担保できないため、ここでは評価しないことにする。
しかし本作が「The Truth of Ozaki Yutaka」というテーマに迫っているかと問われれば、
極めて残念な出来としか言いようがない。
一般的に初期の2枚のアルバム(十七歳の地図・回帰線)に収録されている楽曲の認知度が高く、尾崎豊自身のイメージである。10代の教祖、若者の代弁者などといった偏ったイメージが周知されていった。
本作は上記2作品に加え『壊れた扉から』を含む10代の楽曲で構成され、自由を求めて戦う尾崎豊の姿が映し出される。しかしそれは一つの側面に過ぎず、尾崎を語り尽すには不十分だ。彼が伝えたもの、残したものは大人たちとの戦いだけではない。10代の教祖としての誤ったイメージのみを映し出すのは、「The Truth of Ozaki Yutaka」というテーマからはかけ離れている。
やはり20代の作品(太陽の破片、永遠の胸、誕生etc)に触れなければ尾崎は語れないのではないか。後期の作品に触れることで彼が10代で何を思い、何と戦い、何を救済しようとしていたのか理解できるはずだ。なにより本作のテーマが「真実の尾崎を探すこと」であるならば、世間がもつ虚像を打ち払うことが一つの使命なのではないだろうか。
「教祖」という虚像に20歳以降の尾崎は苦しめられ、追い込まれたとされている。
もしそれが本当であるとすれば、本作は再び尾崎豊を痛みつける行為である。
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