「19です。尾崎豊に初めて出会えた。」尾崎豊を探して あぶらさんの映画レビュー(感想・評価)
19です。尾崎豊に初めて出会えた。
正直、辛く評価しようと思えばいくらでもできます。それくらいに質の低い編集であったことは否めません。しかし、個人的にお金を払ってエンターテインメントを楽しみにいったからには、なるべく肯定的に見て、世界的に浸って、払った金額の分堪能したいという主義なので、ここではあえて良かった面を前面にプッシュして感想を述べさせていただきたいと思います。
まず、この映画は観に行った人と尾崎豊との距離感によって感想が変わってくるのではないかなと思いました。僕は19歳で、もちろん生の尾崎豊どころか、リアルタイムで活躍する尾崎豊も知りませんでした。なので、この映画を観ながら尾崎豊の半生を振り返るようなかたちで楽しむことができ、以前よりも尾崎豊のことを知ることができたような気になりました。これがもし尾崎豊の生前からのファンであったり、そうでなくても尾崎豊についてよく知っているという人の場合は、映像を見る意味合いが変わってくるのかなとも思います。
映画の中では、尾崎豊の名曲がいくつか流れ、その歌詞に沿ったような映像や音声などがその前後、途中に流れました。この演出により、尾崎豊が詩に込めた意味や感情が、漠然とながら伝わってきました。僕の中では、この漠然としたかんじもそれはそれで良かったかなと思っています。結局本当に尾崎豊が伝えたかったことがなんなのか、というのは100%理解できるのは絶対に本人以外にはありえません。なので、尾崎豊を探してというタイトルの通り、この映画を見ながら各人がそれぞれに解釈し、想像し、尾崎豊が曲に込めた想いを探すという楽しみ方がベターだと思います。映像そのものにかじりつくよりは、尾崎豊に想いを馳せる時間を過ごすための手助けとして目の前で映像を流している、という感覚になるんでしょうか。
問題の映像の編集についてですが、まず事実を言えば、実験的、前衛的なことをやろうとしているところに技術が追いついていなかったです。どんどん新しい表現に挑戦しようという試みを否定する気はありませんが、尾崎豊という一人の人物に迫り、映像から彼の人物像を切り取っていくのには明らかに不必要だと思いました。僕をはじめ、観客が見に来たのは尾崎豊そのものであり、監督や編集者の映像作品ではありません。しかし、その編集も後半にいくにつれて落ち着いてきて、ほとんど垂れ流しに近いかたちになってくるので、前半で帰ろうかと思っても、もうすこし我慢してみて下さい。せっかく特別料金を払ったんですから。
最後に
僕は尾崎豊を完全に知らない世代の人間です。なんのきっかけだったか忘れましたが、たまたまYouTubeで見た尾崎豊のライブ映像に惹かれて尾崎豊が好きになりました。正直、そこまで詳しいわけではないです。でも、本当に大好きです。彼の生き様、音楽性、パフォーマンス。それは、詳しいことは知らずとも、伝わってきました。少なくとも自分の中ではそう信じています。そんな僕はこの映画を見て、彼のさらに奥深いところまで触れることができたような気がします。勧める気はありません。賛否両論あると思います。でも、僕が見た劇場では、最後にパラパラと拍手が起こりました。少なくとも「賛」の人には、かなり響くものがあったのだと思います。僕もその一人です。