「本当に尾崎豊を探したのか?」尾崎豊を探して PENGUINDRUMさんの映画レビュー(感想・評価)
本当に尾崎豊を探したのか?
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映像編集に関して思うことはあるが、客観性を担保できないため、ここでは評価しないことにする。
しかし本作が「The Truth of Ozaki Yutaka」というテーマに迫っているかと問われれば、
極めて残念な出来としか言いようがない。
一般的に初期の2枚のアルバム(十七歳の地図・回帰線)に収録されている楽曲の認知度が高く、尾崎豊自身のイメージである。10代の教祖、若者の代弁者などといった偏ったイメージが周知されていった。
本作は上記2作品に加え『壊れた扉から』を含む10代の楽曲で構成され、自由を求めて戦う尾崎豊の姿が映し出される。しかしそれは一つの側面に過ぎず、尾崎を語り尽すには不十分だ。彼が伝えたもの、残したものは大人たちとの戦いだけではない。10代の教祖としての誤ったイメージのみを映し出すのは、「The Truth of Ozaki Yutaka」というテーマからはかけ離れている。
やはり20代の作品(太陽の破片、永遠の胸、誕生etc)に触れなければ尾崎は語れないのではないか。後期の作品に触れることで彼が10代で何を思い、何と戦い、何を救済しようとしていたのか理解できるはずだ。なにより本作のテーマが「真実の尾崎を探すこと」であるならば、世間がもつ虚像を打ち払うことが一つの使命なのではないだろうか。
「教祖」という虚像に20歳以降の尾崎は苦しめられ、追い込まれたとされている。
もしそれが本当であるとすれば、本作は再び尾崎豊を痛みつける行為である。
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