「淡々とした優しさに満ちた傑作」再会の夏 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
淡々とした優しさに満ちた傑作
最初に犬が登場する。かなり大きな犬である。噛まれたら相当なダメージを食らいそうだ。それが最初の印象だったが、実はこの印象がそのまま物語の重要な鍵になる。
第一次大戦はヨーロッパが主戦場で、ドイツの東西に東部戦線と西部戦線があり、「西部戦線異状なし」は、小説も、それを原作とする映画もあまりにも有名だ。第二次大戦と比較して武器はまだどちらかといえば原始的で、銃剣による肉弾戦が主体だった。自分の手で敵を刺し殺すのは生々しい実感がある筈だ。
第一次大戦の当時は、フランス革命から130年ほど経っていても、まだ自由と平等と友愛の世の中は訪れておらず、個人の人権よりも共同体を優先させるのが世の中のパラダイムであった。戦争であまりにもたくさんの犠牲者を出したことから、合衆国大統領ウィルソンが提唱した国際連盟が設立され、第二次大戦後には国際連合となったが、加盟が国家単位である以上、共同体を優先させるパラダイムの範疇から出ることはなく、つまり個人の人権よりも共同体の利益と存続が優先されるのは変わらなかった。国際連盟も国際連合も共同体同士の約束である以上、戦争を防ぐことは出来なかったし、これからも出来ない。
本作品に登場する戦争の英雄ジャック・モルラックが愛国心という言葉を否定するのは、それが共同体のパラダイムであり、戦争の根源になっていることをわかっているからだ。非常に論理的であるが、世の人々には愛国心が戦争を後押ししていることがわからない。愛国心は平和の敵なのだ。
主人公ランティエ少佐は寛容の人である。人が個人として尊重されなければならないことを知っている。モルラックは戦争の英雄とは残酷な人殺しに過ぎないことを暗に主張し、少佐はそれを理解する。兵士は犬だ。勲章は人間よりも犬に相応しい。
愛国心が共同体のパラダイムである限りは、戦争はなくならない。ガンバレニッポンという気持ちは、戦争に直結する危険な情緒なのだ。日本人が日本を応援して何が悪い、と思う人は、応援しない人を非国民として弾圧する人に等しい。
いつしか寛容が共同体のパラダイムになる日が来るかもしれない。そのためには人はコンプレックスや虚栄心や自尊心を捨て去らなければならない。そのことは2500年前にゴータマ・ブッダが説いているが、未だに実現していない。おそらく人類が平和な世の中を実現することは不可能なのだろう。
しかし人類は人類、個人は個人だ。モルラックが共同体への絶望と怒りを一旦横において、個人としての優しさを獲得することができると、ランティエ少佐にはわかっていたようだ。哲学的な作品だが、淡々とした優しさに満ちた傑作である。