i 新聞記者ドキュメントのレビュー・感想・評価
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虚数としての民主主義
常にデスクの横にキャリーバッグを置き、移動し、取材し、淀みなく話し、講演をし、テレビ出演し、会見で質問する、新聞記者・望月衣塑子。木で鼻をくくったような回答を繰り返す菅義偉官房長官とのやりとりが注目されるが、新聞記者の仕事はかくもハードだ。
彼女が記者を志した動機は、映画の中では語られない。父親の影響なのか、この社会への問題意識なのか。しかし、彼女の言動が、新聞記者は天職なのだろうと見る者に深く納得を促す。タイトルの「i」は、まず第一に衣塑子の「i」だ。
そして、森監督がラストのモノローグで語る通り、同調の軛を脱する「個」としての「私」、一人称単数の「I」だ。そしてまた、それは虚数の「i」であるようにも思う。民主主義は、それを支える強固な個人がいてこそ成り立つ。しかし、そんな理念的な個人など存在しない。現実に生きている人間は、弱く、脆く、圧力に屈することもある。だから、永遠に完成しない民主主義は、自然界には存在しない虚数iのようなものなのではないだろうか。それでも、私たちは民主主義を「選んだ」。報道は、そんな私たちの社会資源なのだ。
多弁で自信に満ちあふれているように見える望月が、安倍首相の選挙応援演説の場面で、不安げな表情をのぞかせ、沈黙する。自民党サポーターと、反安倍のシュプレヒコールをあげる人々でごったがえし、混乱する現場。どちらにも同調できない望月の姿がある。
対立と分断を乗り越えるための「i」。異端、「個」としての「私」、虚数、そして、愛。
『政府は国民を馬鹿だと思っている』がだいたい正しい?
映画『新聞記者』のモデルとなった
望月衣塑子記者のドキュメンタリー映画
撮影する森達也監督が記者会見に入れなかったことから
記者クラブの問題もあらわになる
監督が記者会見に入ろうと苦心をするが結局できなかった
本作では望月記者の取材から
安倍政権下での問題がリマインドされていた
辺野古基地の移設問題
伊藤詩織さん事件の問題
森友学園問題
加計学園問題など
驚いたのが森友学園問題で
逮捕された理事長の籠池夫妻にインタビューをやっていたこと
籠池夫妻は安倍政権から切り捨てられたから
インタビューに答えていたのだろうか?
望月記者は近年では
ジャニーズ問題で司会から注意され、NGリストに入ったこともあり
インターネットでバッシングされるイメージがあった
バッシングされる理由は
産経、読売などの意見が政権寄りのメディア
そして、政権寄りの言論人、インフルエンサーが
望月記者をバッシングし、それ安倍政権支持者が便乗するという感じに思う
前川喜平氏がでてきて
「政府は国民を馬鹿だと思っている
理解力がない、すぐ忘れる、嘘を信じると思ってる」
という発言が印象に残っていて
たぶん、それはある程度事実だろうと感じた
そうでなければ、自民党がここまで長く政権をもっていない
裏金問題で現在も騒いでいるが
それも日本人は「すぐ忘れる」のだろうか?
すごく苦手なタイプ
「新聞記者」を観るならこっちも観るべきなのでは、と思い観始めたけど、望月記者の喋り方等々が苦手で早々に脱落した。(「この人苦手」という理由で観なかったので真ん中の2.5にした)
おかしいと思ったこと、暴かねばならないことに切り込んでいくのは、記者として当然でそれが仕事だと思う。
でも、綺麗事だと言われるかもしれないけど、政治家でも警察でもない警備員は、一般人じゃん。その人に食ってかかってるのとかが無理だった。
監督も、撮影やめろと言われてキレてるけど、「興味があって…」ってだってウソじゃん。そう言わなきゃそりゃ撮影できないんだろうけど、それを見せられて「いいぞ、その通りだ」って思えなくて。
「他の人たちは通れるのになんで私たちはダメなんですか!?」
言うこと聞かず騒ぐからじゃん。道端でそんな、うるさいし迷惑でしょ。
…っていう観点で、観るのをやめた。
そもそもこれがこのアプリに入ってると思わなくてびっくりした。映画製作のために密着した素材だと思った。これも作品だったんだ……
記者として1つ大きな役割は空気を壊すこと
映画「i 新聞記者ドキュメント」(森達也監督)から。
この作品、評価が分かれるんだろうな、という思いで観終わった。
私の場合は、別作品「新聞記者」のドキュメントと勘違いして、
観てしまった・・という意味でも、また内容的にもNoだった。
タイトルからして見間違いだったので責められない。
「i 新聞記者」には、しっかり「i 」(私)が存在感を示していたのに、
それにも気づかなかったのだから。
東京新聞社会部の新聞記者が政治部のテリトリーで大騒ぎするから、
「あなたは東京新聞の人?ジャーナリスト?」と問われるし、
この作品の狙い、この彼女の行動の狙いを、見えにくくしている。
東京新聞社会部記者・望月衣塑子さんの同僚が集会で発したコメント、
「記者として1つ大きな役割は空気を壊すこと」が印象に残った。
わざわざ相手が憤り、興奮しそうな質問やコメントを発するが、
私たちのような人間なら、「責任者ですよね、
なんでしっかり答えられないんですか」と面前で言われたら、
一つ一つに大きく動揺するかもしれないが、
カメラの前でも「「いい加減にしろや」(麻生副総理)、
「あなたに答える必要はありません」(菅官房長官)と答える彼らには、
痛くも痒くもない、そんな気がしていた。
空気を壊した後、彼女はどうしたいのか、が私には見えなかった。
大きな声や早口でまくし立てるだけでは、壁は破れない。
まずは、信頼関係を築いてから・・。
実は「社内の戦いが1番きつい」が本音なのかな。(汗)
とてもよかった
やりたい放題の安倍政権にはムカついてきたので、このタイミングで見れてよかった。また、東京新聞では育児日記と、webで『里親映画の世界』という連載をやらせていただいているので、身近に感じる。籠池夫妻がかわいらしい。菅官房長官が次期総理候補と言われているのだが、あんな意地悪で暗い感じの人が総理になったらますます地獄だ。望月衣塑子さんのことはこの映画で初めて知ったのだけど、すごい人だ。これからも頑張って欲しいし、取材しやすい状況にしてほしい。改めて政権交代は必要だ。今度は前回より上手にできるはずだ。
沖縄の自衛隊基地の弾薬庫の問題のあたりで、おしっこが我慢できなくなってトイレに行った。
信じられないオバチャンもいたものだ
弾薬庫スクープはスゲーと思ったけど、後は普通にパワフルで迷惑なヒステリーもちのオバチャン。イライラしながら取材して無関係の役人にあたりちらすとか、記者以前に人として資質不足なのではないか?精力的なのは疑わないけど、あれだけの人たちをウンザリさせるのにその力を使ったら、人としてダメだろう。
これ、絶賛しないとレイシストになるの?
こんなん、わらうわ。
森監督作品は初めて見ました!
なんだこいつ、クッソ面白いやん。こんなんわらうわ!「嘲笑う」のほうな。
なにがって?監督失格具合かな。我慢できなくなって作品に乗り込んでくるとか、三流アダルトビデオ監督のやることやん。極論が好きな左さんのためにフォローしておくと、フィクションや喜劇作家なら有りの技法やとは思うけどね。奇面組やドラゴンボールの原作者の真似事のつもりで、よかれと思ってやったのかね?ドキュメントを撮る人が好き好んで用いる技法ではないだろーに。
なぜドキュメント作品に持論掲げて乗り込んできちゃう監督が向いてないって?多面的に客観的な映像として事実を撮って、観た人たちに色々と現状を知ってもらって、考えてもらうのがドキュメント作品の醍醐味だからだ。撮り方を偏らせて、特定政権に与させたらドキュメンタリーではなく「プロパガンダ」になるだろ。だから申し訳程度にバランス取ろうとしてたんだろうけど、質問関連でゴタゴタに発展した現場を冷ややかに見つめる望月記者を撮りながら、森監督の持論がテロップとしてしゃしゃり出てきた点をもって「あー、だめだこりゃ。」「これで『ドキュメント』?わらわせんな」と残念な気持ちに支配された。
森監督を左の思想家として認識させてもらうとして、相手の気持ちになって作品づくりをしてるか?って点に着目したい。人の気持ちを考えられる監督ならこんな作品になるまい。
望月記者は過去に自身の講演のスタッフに忖度させて、産経新聞を参加させなかったことがありました。「ひどいですよね・・・」って思わせたいという意志に沿って、望月記者のそういった汚点ばかりに着目して監督の意志をテロップでぶちあげるような映像作品を撮ったら、森監督を絶賛する人たちは「なんだこれは!」って怒り狂いますよね?下手すると「デマだ!」とレッテルを貼るかもしれません。
そんなことを平気で出来るのが、思想的に左に歪んでしまった表現者のようだ。
最後の方のアニメもホント、あれはいつだったかの成人式で配布された、「新成人を舐め散らかしたような幼いアニメDVD」でも見ているような、作り手側の頭の悪さがにじみ出た出来だった。森監督、よくあれだけ持論も作品内で主張しといて作品に「ドキュメント」って付けたな。
困ったら歌い始める連中には気を付けろというのは、右も左もよく当てはまっていると思う。なんで思想的に偏ると、すぐ歌に逃げるのか、これがわからない。結局年老いても若くてもシールズみたいなことになる点が、左のデモの特徴なんだなぁと強く印象に残った。
希望の無くなった日本
恐ろしいドキュメントだった。腐り切った安倍政権に全てが牛耳られている日本。記者たるものが何も言えないのは、職を失い露頭に迷いたくない一心からである。望月さんは才気煥発で何冊かの本も出し、講演会も開催し、テレビ、ラジオのコメンテーターとしても出演する才覚のある人物。記者の職に就いてはいても中々これほどまでに出来る人はいないと思う。特に日本社会にいる日本人たるものは長いものに巻かれて、袖手傍観を決め込むのが基本的なスタイル。この人のように誰もがイメージする記者然たる記者像はフィクションの中でしかない。望月さんが記者という役を演じている役者のように見えるのが、この国のメディアの末期的症状を証明している。権力におもねるばかりの堕落したこの国の不始末を誰が着けるのか?無力な非力な私たち一人一人が責任を負い、私たちが始末するしかない。
望月氏を「i」にすると、世界が歪んだ。
フェイクドキュメンタリー「新聞記者」を鑑賞し、ホンモノを感じたく思うに至り、鑑賞して来ました。
ほかの鑑賞者が誤認してるようですが、本作は映画「新聞記者」の続編でも何でもなく、別監督による実在する記者を取材したドキュメント作品と銘打たれていますが、「映画『新聞記者』は、はじまりにすぎなかった」という謳い文句から勘違いされてもまぁ仕方ないように思います。
物事の見方はそれぞれ思想的な偏りがあるものですが、マスコミ各社の記事が信用に足るか怪しくなったときは、左右の派閥の主張を見比べ、客観的に信用できる方を信じます。相手のことを知らないと批判も出来ないという考えから、複数の新聞を購読しています。
私はこれで万全を期したつもりでしたが、森友学園問題の時に籠池夫妻にこぞって取材し、確たる証拠もとれてないうちから山本太郎氏の「アッキード事件」という過激な表現を好んでとり上げ政権批判に明け暮れた記者たちを見て、右も左も関係なく、我が国のジャーナリストは客観的に信用に足る確たる証拠もなしに、疑惑だけで息を吐くように嘘をつく組織なんだと見切りをつけるようになりました。
そんな彼らがどんなことを考えてあの日あのように行動したのか、自責の念はあったのか、自浄の兆しはあったのか等、色々興味がありました。映画「新聞記者」では、毒ガスだのネット工作室だの、政権の陰謀論めいた話を盛ってジャーナリズムの自己正当化をはかっており、不快な出来映えとなっていました。
今作はと言うと、「政権にもマスコミにも思惑があり、嘘をつきあっている。そんな中でマスコミ側としてたくましく考えて生きている記者にカメラを向けた!」という森監督の強い思惑を感じました。ドキュメンタリーだと自称した監督ですが、彼もまた平然と嘘をつくのです。記者のたくましい面ばかり切り取って時事ネタを追求する様子のみ魅せることで鑑賞者に多面的な問題を提示しつつも、結局はジャーナリズムに強く与する作品ととることが出来ましょう。これは、ドキュメントですか?
「ドキュメンタリーの意味分かっとらんだろ」みたいなことを書いてる重鎮レビュアーの皆様にも問い返したいです。
この作品、見世物としてはなかなか目を引く作品であり、斬新な構図になっておりましたが、これをドキュメント作品だと力説される方々は危険です。というか作品を撮った森監督ですが、紹介の中で「目薬を使って望月記者が泣いてるとこ撮ろうとした」とか自白してる時点でドキュメント作品を撮る監督として問題があります。完全な密着取材によるドキュメントでこんなことする必要、ないですよね?改めて問います。これ、ドキュメントなんですか?
カメラの向いた先である望月記者と聞いて思い出されるのは、今年2月頃にあった質疑応答を巡る極めて醜いニュースです。いつまでも本題に入ろうとしない氏に苦言を呈された点を、まるで鬼の首をとったかのごとく被害者として喚き散らす姿勢は、社会人として強く軽蔑するものでした。悪い意味で印象的な記者として記憶しており、彼女にカメラを向けた本作はある種、ジャーナリズムの自浄能力を問う指標となると思い、鑑賞を決意したものです。
残念ながら、「今、あなたに問う」のは結局国家の批判が主であり、「記者団も、政権も、欺瞞に満ちており、闇をを抱えている」「それに着目した俺の作品、すげーだろ」という監督の褒めてほしい一心からくるドヤの連続に思えました。結局はケンカ両成敗風に見せかけて片方を糾弾していました。朝日新聞が外交問題のニュースでよく我が国に対して見せる論理展開と酷似しており、思想的には歪んで見えました。
この映画を通して、「美化と自己正当化」をはかった記者側のことがさらに嫌いになるだけでなく、監督のひとりよがりめいた作風も目に付く事とりました。この点もふまえ、ドキュメンタリー作品としては最低評価にしたいです。もしもファンタジーとしてみるならば、☆3つくらい行った作品だと思います。
極端に思想的に歪んだ立ち位置に居る氏を「i」に据えたことで、世界そのものが歪んで見えた気がします。彼女の立場から世界を見ていると、政権は打倒すべき相手でありましょう。記者クラブにすら陰謀論めいたものを感じました。しかし私はこの認識そのものに忌避感と違和感を覚え、共感出来かねます。
作品の中であっちこっちの問題にふれ、誰を信じればいいのか、という問いについては、今後も「少なくともジャーナリストの喚き散らしには期待はしないよ」というスタンスを強化する結果となりました。
まあ期待はしておりませんでしたが、お金と時間を無駄にした気分です。
褒められ足りなかったので自画自賛
結局話題にも上らなかった前作をうけ、賞賛の言葉をもらい足りなくて継ぎ足した感じの作風であった。結局、前作の盛ったストーリーではリアリティがなかったから、今度はドキュメンタリーとして褒めてもらおうってとこでしょうね(笑)
マスコミの女々しさと自己正当化の必死さがよくにじみ出ている映画だと思いました。私は望月氏の考え方が好きになれそうにありません。映画を見終えてなお、彼女への軽蔑の念が強くなってしまいました。
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