ハルカの陶のレビュー・感想・評価
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まあ、普通に良い話。 テーマとしてそこそこ良い話に仕上がるのは必然...
まあ、普通に良い話。
テーマとしてそこそこ良い話に仕上がるのは必然で、期待感の最低ラインはクリアしたかなという感じ。
人間国宝の先生のようにすごい人なのに威張らない人間って尊敬する。
あと若竹先生が突然良い人になる件ww
タイトルなし
①前半は地方振興映画群によくある薄さというか隙間感が気になるが、修がハルカを引き止めに駅に行く辺りからグッと良くなる。②ヒロインの造型もやや物足りない。冒頭特に夢もなくOL生活を惰性で送っていたヒロインが偶々見た備前焼の大皿に惹かれて一念発起して陶芸の世界にとびこむ心理が細かく描かれていなくて説得力に欠ける。話を先に進めたいからだろうが、ここでヒロインの心情を細かく描いていれば、なぜ弟子入りを粘るのか、弟子入りを認められた後も諦めずに頑張るのか、がもっと良く理解されただろうと惜しまれる。③ということで勢いだけ(という風に取れてしまう)のヒロインと相手にしない修(こちらは造形がはっきりしている)との二人だけでは話は一向に前に進まなかっただろうところを、間に入って話を進めてくれるのが笹野高史扮する人間国宝の榊老人。飄々とした演技や映画に安定感を与えるところはさすが。備前焼祭りでの実演場で、土をろくろに置いた笹野高史の手と実際にろくろを回す手とが明らかに別物なのはご愛敬。修を演じる平山浩行は陶芸が趣味らしいからこちらの方は自然に撮れていたから自分でろくろを回していたのかな(それでこのや役にキャスティングされたのかも)。④ラストシーン、相変わらずぶっきらぼうでおこっているような修の物言いと、それに対して負けずに言い返すハルカの物言いとは変わっていないようで、二人の関係性が変わって来ていることをさりげなく感じさせて微笑ましい。
奈緒初主演映画!備前焼PR映画!
原作未読
東京で働くOLが高島屋の展示会で備前焼の大皿を見た瞬間に目覚めてしまい勤め先を辞め岡山県備前市に移り住みお気に入りの陶芸家に弟子入りする話
典型的な地方宣伝映画
奈緒初主演
わりと細かい演技をする
平凡な顔だが何故か飽きない
平山浩行演じる無骨な陶芸家若林修
人間国宝榊陶人を演じたのはいつも飄々としている笹野高史
若林修よく吠える
今どきの普通の職場ならアウトだ
しかし職人の世界ならセーフなんだろう
それに村上真希演じる陽子ってなんであんなに攻撃的なんだろう
理由はどうあれ理不尽だ
ずぶな素人に教え導くのも人生修行の一つ
奈緒のような女の子ならいいんだけどな
頭が悪いお爺ちゃんとか日本語がほとんどできない外国人の相手は苦役以外のなにものでもない
頑張るってすなわちベストを尽くすってことじゃないかな
それは違うって理屈捏ねている人いるけどそれ屁理屈だよ
陶芸を通じて若い女性が成長していくありふれた話
凡作
ふざけるな!の中にある真実
ハルカの懐に飛び込む姿勢と
若竹の頑な中にも人と人の繋がりを信じる思いが
絶妙な人間関係を生んでいた。
特に人間国宝の言葉が全て刺さりました。←特に大皿を展示会に出した理由を若竹に聞いているシール
特に印象残っている台詞は
「作家は使う人のことを想像して作品をつくる」
と言う台詞
自分も詩を書いたりするので何となくわかる気がしました。自分のためだけに作る作品はなんだか味気なくて、誰かとの繋がりの中で自分の作品も磨かれていって欲しいと言うのが本音だったりします。
日本の備前焼の魅力を伝えるだけでなく、人と人の繋がりの素晴らしさを感じた作品です。
(サプリ的効用)
ホッコリ
疲れを癒す
優しい気持ちになる
【“備前大皿が繋ぐ人と人との絆” ”備前焼は使えば使う程、角が取れて柔らかくなる・・。”】
ー 千年の歴史を誇る備前焼の大皿に魅了された若き女性の、ストイックで気難しい陶芸家に弟子入りし、夢と伝統を紡いでいくヒューマン映画。ー
■感想
・東京で働く会社員、はるか(奈緒)はある日上司の女課長と備前焼展で見た大皿に惹かれ、岡山まで足を運び、若竹修(平山浩行)に弟子入りを志願するが、拒絶されるシーンで修が言い放った言葉”アンタみたいんが、沢山来るんだ!”
ー 実際に窯元の方から同様の事をお聞きした事がある。後継者不足は深刻なのだが、長続きしない人が多いと嘆いておられた・・。映像にもあるように、厳しき世界なのであろう。ー
・粘りに粘って、漸く弟子になれた、はるかが、何度も修から”菊練り”をさせられる場面。人間国宝の榊陶人(笹野高史)の飄々とした風体と言葉。
ー 笹野高史は矢張り、良い役者である。ー
・修が気難しくなってしまった理由も徐々に判明し・・。
・窯出しのシーン。修が、釜の前で父と同じように倒れ、はるかが修から”窯出し代行”を任されるシーン。そして、はるかが釜の温度が上がらずに焦る姿と、窯変した胡麻が陶器に出来る事を求め、判断した事。
ー 失敗すれば何千万単位の損失になるのに・・。初めて修が心を開いた瞬間である。そして、遥の存在を胡散臭げに見ていた陽子も、アドバイスをしてくれる・・。ー
<陶器の映画は、ナカナカ珍しいが、東南アジアを中心に活動する末次成人監督が外連味なく、作った作品。良き風合の作品である。>
■その他
・焼き物に嵌ったのは30代。
近場の常滑焼から、美濃焼、九谷焼、備前焼、そして信楽の土楽窯及び長谷園の所謂、作家モノに嵌ってしまった・・。
増え続ける焼き物、厳しさを増す家人の視線・・。
でもね、大皿で食べる料理は格別なんだよねえ・・。
小学校で焼いた図工の灰皿を思い出した
笹野高史の陶人先生がいいですね。
―「備前が何たるか」、この人が語ってくれればあの“説明口調”もすなおに聞けるのです。
ずっと名バイプレイヤーでおられる笹野高史さんの、これは紛れもない主役作品ではないでしょうか。
映画では突っ込み所もいろいろあって、OL奈緒のトントン拍子も「ないだろ!」と思ってもみるのですが、でも見る側が意地悪にならずに焼物の世界に惹かれていくのは、たぶん原作のコミックがとても良いからなのだろうと感じました。
石器時代を経て、人類が火を手に入れて最初に始めたのが陶芸です。
材料は土と火だけ。
ただの入れ物で良かった土の器が、最初期から「形」やら「装飾」やら、=遊び心の創出を発露させたのは、土が、(土そのものが)その手触りの感覚と工夫を生み出させ、人類の脳の発達と美意識の誕生を呼び醒ましてくれたからでしょう。
僕も備前の、竹筒様の花差しをひとつ持っています。
持ち重りのするこの花瓶は、押入れから取り出してみると、部屋の空気を一変させます。
「用の器」として誰かの人生を豊かにするために、備前の釜の誰かがこれを焼いてくれたのですね、ありがたいことです。
“忙しい”は心を亡くすこと。忘れていた生活の潤いを取り戻したい。
野を歩いておみなえしか紫式部を、
里山を歩いてススキか楓の枝を一枝摘んでまいりましょう。
・
遠き日のろくろの土の手捻りの
柔きは今やと声の聞こゆる
大好きな岡山、大好きな備前焼
ここ2〜3年で6回ほど岡山を訪れています。それだけ僕も奥さんも大好きな岡山。
備前市には昨年訪れました。備前焼祭りの2週間前で町は祭りの準備をしていました。
作品を鑑賞して、町の雰囲気を改めて感じ、また町を訪れただけでは見ることはできない釜焼きのシーンなど、とても感動しました。
ストーリーを備前焼に絡めて、ドキュメンタリーではなくちゃんとフィクションの映画として、仕上げていたのは素晴らしかったです。
主人公のハルカの動機が少し薄く感じたところは残念ですが、新年を迎えた師匠とハルカが会話を交わすシーンは色々と2人で乗り越えてきた間柄を表していて、ほのぼのしていて素敵でした。
上映している映画館も限られていますが、是非劇場でご覧ください。
手作りのものの魅力
評判通りの素晴らしい映画でした。
なんといってもスクリーンに映る備前焼の器の一つ一つが可愛く愛おしく感じられます。
これから手に取る陶器の見方が変わりそうな気がします。
パンフも買ったしロケ地巡り行っちゃうかなぁ~🎶
生活感滲む映像
岡山県備前の風背景と人々の生活感溢れる映像、そしてキャスト、師匠役の平山浩行氏と人間国宝役の笹野高史氏の演技・存在感が素晴らしい!
ホッコリ感動的な映画でした( ^ω^)
そういえば昔流行った漫画「夏子の酒」をちょっと彷彿、あれはドラマも良かった。
奈緒の声に癒やされる
ナレーションの奈緒の声がいい。落ち着いて柔らかく響く声だ。いつまでも聞いていられる。こういう声の持ち主は時々いて、女優の朝倉あきもそうだ。聞き心地がいいというのだろうか、内容がすっと入ってくる。逆に聞き心地の悪い声の人もいて、気の毒になるくらい内容が伝わってこない。声は天性だからどうしようもないところもあるが、ものまね芸人のいろいろな声を聞くと、もしかしたらある程度はコントロールできるのかもしれない。そういう風に考えると、奈緒のナレーションは上手に制御されていた気がする。女優さんとしての大きな可能性を感じた。
焼物についてはひと通りの勉強をしたことがある。青山の骨董通りには随分通った。焼物の焼き方には酸化焼成と還元焼成があり、酸素を送り込んで焼くのが酸化焼成、還元焼成は蓋を閉じて不完全燃焼の状態で焼く。温度が上がりやすいのは還元焼成で、固く焼き締める磁気は必ず還元焼成で焼く。陶器はたいてい酸化焼成だが、作品中の焼成過程を見ると、備前焼はどうやら還元焼成で焼くようだ。
還元焼成は高温で焼き締めるから、出来上がった製品は液体を通さない。備前焼は日常的に使うための陶器で、粘土に混ざっている金属によっては遠赤外線効果があったり、ビールを美味しくしたりするらしい。用の器としての面目躍如である。
奈緒が演じた主人公はるかが備前焼に魅せられたのは、それが人の生活を豊かにするからだ。仕事は人から感謝されるから頑張れる。感謝は直接でなくてもいい。その器を使った人が気分がよかったり満足してくれれば、それが感謝だ。作り手は使う人の気持ちを思いながら土を練り、形を整え、焼成する。
焼物の難しさは半端ではなく、素人が簡単にできるものではない。人が喜んでくれるものを作るには相当の苦労を覚悟しなければならない。その覚悟が試されるはるかだが、覚悟はいっときの気負いではなく、持続する志だ。やめないこと、継続すること、諦めないこと。それを覚悟という。
はるかの覚悟と感謝の気持ち、生活の豊かさとは何かという素朴な問いかけが作品全体を包む雰囲気となっていて、そこに奈緒の優しい声が重なり、温かい気持ちで鑑賞できる。余計なシーンは一切ない。言葉を削ぎ落とした俳句のような趣のある作品である。とても癒やされた。
用の器
地球に土が誕生したのは約5億年から4億5千万年前と言われています。
それまで、地球はゴツゴツした岩石の惑星でした。
今は、土で覆われてるように感じがちですが、実は、土がどうして出来たかは、まだ謎の部分は多いのです。
でも、土は植物や動物を育み、人間に農耕を与え、文明の発達した今でも温もりのある器を提供し続けています。
僕は母方が禅宗のお寺、父方は窯元をやっていた家でした。今、親戚が窯元を家族でやっていますが、備前のような集落を構成するような規模ではなく、家族でです。
そんな関係もあって、僕も東京で陶芸教室に通ったことがあるのですが、土を練り、皿や器を仕上げていく過程は、座禅より無心になれて、実は頭がスッキリします。
すみません。なぜ、母方が禅寺と書いた理由がこれです。座禅は邪念との闘いですから…(笑)。
土をねるのは大変です。朝ドラのスカーレットでも今週やっていましたが、腕ではなく身体全体を使ってねるようにしないと、土の中の空気が抜けません。
いざ、器の形を仕上げようとしても、作品も思うようには出来ません。
でも、いちいち予定と違うものが出来るのも楽しいのです。
幕末から明治にかけて、陶器は磁器に押されて生産量は減っていったと思います。海外に門戸を開いたことによって、有田を中心に絵付けの美しい磁器が外国人に人気だったこと、そして、大量生産も可能な磁器が、実は軽くて、普段使いの器としては適しているとして、日本人にも利用が広がったからでした。
ただ、現在、日本の陶器は、国内だけではなく、外国人にもまた注目されています。
便利な世の中になりましたが、利便性だけではなく、持った時の温もりや、花を生けたときの景色、料理を盛り付けたときの食べ物を引き立てる様などに人々が目を向け始めたからだと思います。
もし、抹茶の器を買おうと思ったら、両手で大切に持ってみて下さい。見た目とは異なる収まりの良いものがあるはずです。
そういう選び方もあると思います。
値段は関係ないみたいに言う人もいますが、より高いものは、より五感を研ぎ澄まして持つので、収まりの良いものが値段が高いものであることも多いかと思います(笑)。
僕の親戚の窯元では、釉薬を使います。
しかし、備前は釉薬を使いません。
土の風合いを大切にしているということに加え、経年もそうですが、用の器として長年使うことによって、独特の輝きが出てくるからではないでしょうか。
これは、何か悔しい謳い文句です。
しかし、釉薬の美しい陶器も沢山あります。釉薬と土のコントラストが唯一無二でかけがえのないものもあります。釉のところに使い込んでいるうちに独特な細かいクラックが入り、景色がドンドン変化していくものもあります。
僕は、日本の独特な陶芸があったからこそ、茶の湯も発達したと思っています。また、陶芸も、大量生産とは異なる、唯一無二感とか、一期一会の感覚を日本人に育んだのではないかと思うのです。
映画のクライマックスの窯での場面は、そうしたものを見せようとしたのではないかと思います。
ちょっと出来過ぎなストーリーですけど、みんなが器を好きになってくれれば良いなと思います。
備前焼を扱った良作
奈緒を主役に据え、備前焼を扱った岡山の地域振興型映画。キャラが立ちすぎ、ストーリーはありきたり。それでも良い印象ばかりが残ったのは、奈緒や平山浩行、笹野高史ら俳優陣の演技と丁寧なカメラワークの賜物だろう。村山淳の存在感は凄かった。
ホッとする作品に仕上がっている。もう少し多くの映画館で上映されても良いと思うのだが。
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