2人のローマ教皇のレビュー・感想・評価
全54件中、21~40件目を表示
違うふたりが出会う。だからこその恩寵。
キリストだったり仏陀だったり、信じる対象は異なっても、宗教は生きづらさを少しでも助けたり支えたりしてくれる、人類に平等なものだと思います。
でも、全ての組織にいえるのかもしれないけれど、大勢の人が集まってくると、必ずパワーバランスや考え・感性の違い、そしてそれが軋轢や争い、闇も生みます。正しく堅牢にしようとすると、堅い殻の中で、何か空気が澱み、おかしな感じになっていく。
昔も今も、体制へ意見し風穴を開けようとすることは、キケンを孕みます。特に、自分が勝つことにこだわる人が上に立つと、違う意見は潰され、排除され、存在ごと消される。いつしか組織は、上に気に入られるかどうかが評価基準となり、不祥事が起きても蓋がされ、シモジモの声は置き去りにされていく。
意見する方も、諦め、離れることで生き延びようとする。
異なる意見=風を入れると体制が揺らぐかもしれない。きっと上に行くほど、不安は告解出来なくなる。本音での対話を避け、不信が生まれる。
「不信」は、感染するのが怖いですね。そして、人を信じられないのはやっぱり、気の毒だ。見過ごせない。教皇はいつも食事を、1人で、とっているのです。相当これは不信病、重症です。愛を説くのがキリスト教、そのトップがそういう事態になっている。
不信、それに対する予防や治療の術はあるのか。
教皇が云います。「神の声が、最近は聴こえなくなってしまった。」トップの、きっとはじめて吐く弱音。多分、神の声を聴くくらいの真剣さで、人の声を聴かないといけない。でもそれにはまず、本音を吐き出さないと。吐き出して、初めて人の声が入る余地ができるのでしょう。そしてそれは、教皇だけでなく、私たちも同じ。吐き出して、且つ、聴けたら。
私も努力してはいるけれど、もちろん、必ずしも、話せばわかりあえるわけではない。そんな簡単じゃないことも、生きていけばわかってくる。新たに教皇になる方も、辛い過去がある。人間らしく人生を楽しみたいだけなのにね、本当に。新教皇、応援してます。
教皇だって人間だもの
辞めたい。辞めないでほしい。
タイトル通り、2人のローマ「教皇」の対話を中心としたヒューマンドラマ。実話を元にした作品であり、彼等は実在、というかご存命だし、教皇今もやってるし。日本にもいらっしゃいましたね。
カトリックの信者減、幼児虐待、移民問題等等、社会情勢もかなり入っており、メッセージ性も強め。
ただ、2人の人間としての悩み・理解がメインなので、硬派過ぎない仕上がりです。踊ったりはしゃいだり、コミカルな部分も多いし。なぜ彼等がお互いを理解するに至ったのか、ふに落ちないところは多かったですが…
壁画の意味や2人の立場(世界的な影響も絶大なはず)など、宗教的知識があればより楽しめたのだろうな…
良作、ホッコリする良い話ではあるものの、キリスト教に特に思い入れがない(知識も乏しい)私にとっては、それ止まりの作品でした。
必要なのは壁でなく橋
81席シアターを独占鑑賞。淡々と進む展開で共感できるような内容でもなく退屈でした。それでも印象的なセリフがあり「必要なのは壁でなく橋」は心に響いた。
また最後に2人が繰り広げるドイツVSアルゼンチンのサッカー観戦シーンは心が和みました。
2020-32
よい人間ドラマ
宗教界のアイドル的存在”パパ” ローマ教皇ふたりの語り
ラテン語でヒソヒソ、共通語の英語、ベルゴリオのスペイン語と、ベネディクトのドイツ語と…ローマなんだからイタリア語もあったのかな〜(聞き取れない)
最初は保守的なベネディクト16世と革新派のベルゴリオの会話はまったくの平行線で
相容れない雰囲気だった…どこでその空気が変わったのか、もう1度見ようと思う
話が進み、見慣れてくると、ふたりともとてもチャーミングで微笑ましい
ここがこの「映画」の秀逸なところかな
宗教〜キリスト教〜カトリックのよくある質問的なタブーに生々しく切り込んでいると思う
神を信じる者として個人的にはヒエラルキー・組織的な教会には否定的だし、
ケバケバしいセンスにもひくし、イエズス会なんて善なのか悪なのかわからない
だけど、究極的なアイドルは存在してても良いのかな〜うちの(日本の)天皇さまとか
こんな映画が観たかったんだ!!
間違いなく現時点での2020ベスト映画!
ふたりのストーリーをずっと見ていたくなった。
これは対立の物語では無く、ふたりの罪と赦しの物語だったんだ。と後半ようやく気づいた。もうそこから涙が止まらなくて…
ストーリーも凄くわかりやすくて万人向け。
シーンのつなぎも面白い。ちょっとした言動がふたりのキャラクターを示しててそれがまた、真逆なのが面白いんだなあ。これが実話なのだから凄いよなー。
これだけシリアスで繊細で扱いづらい内容を、コメディ混じりに、でも真剣に作り上げたことに脱帽。
映画はこうでないといけない。笑えて、泣けて微笑ましくなる。そして最後には感動があり、私たちの明日を生きる糧となる。現実に戻す境界も映画に含まれる要素でしょ。そういう意味でも作品賞を絶対にとってほしい1本。今の暗い世の中に信じるべきものや信念を示してくれる作品だった。
実際に、2人の教皇がだいすきになったし、史実と、実際2人が歩んできた道や葛藤が見えて、きっとこの想いは庶民にも届くと思う。
この映画見ると絶対お気に入りのシーンができると思う。サッカーとダンスのシーン。あとピザも。
アカデミー、ホアキンが強いがジョナサンプライスが獲るべきだと思わざるを得ない演技。なにあのずっと泣きそうな感じの演技。目がうるうるしてて赤いの。しかも当人に激似。そしてリスペクトも感じました。
アンソニーホプキンズもなーーめちゃめちゃよかったのですよ。あの自然体な感じ。目の奥が笑っていない感じ。ピザ初めて食べたみたいな表情。そんで大声で怒るときにはもはや泣きそうになったよね。
作品賞もどうかとっていただきたい…
最近のなかではそれほど良かった作品。配信という形ですら、貧困社会で出来るだけ多くのひとが見れる形だと思う。
間違いなく脚色賞は取るんじゃないかな。
監督誰だろうと思っていたら、シティオブゴットの人だっだのね。絶対みます。
2人の名優による良質の会話劇が圧巻
当時のローマ教皇から次期教皇へと代替わりをするその時を描いたドラマということで、観る前は一体どんな作風になっているのだろうかと、予想もつかないような気持ちだった。観終えた印象でいうと、舞台戯曲×ドキュメンタリー×歴史ドラマというような不思議な感覚と言えばいいのだろうか。例えば、ジョナサン・プライスとアンソニー・ホプキンスのシーンは会話劇の要素が極めて強く、宛らそのまま舞台戯曲に展開できそうな佇まい(追記:こう書いた後で、この作品が戯曲原作だと知りました)。そしてホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿(当時)の回想として描かれるシーンは歴史ドラマや伝記映画の雰囲気。そこにニュース映像を模したようなドキュメンタリー風の(この辺はメイレレス監督らしい演出という気がする)世相を描き出したリアリティのあるシーン。という具合にそれぞれ別々の特徴を持った演出が与えられ、それらが複雑に絡まり合って一本の映画になったような。それでいてそれらが齟齬を起こすでもなくそれなりにまとまって見えるというのは、なかなか凄いことだと思うし、なんなら最終的にはハートウォーミング系の映画のように回収して締め括るものだから「この映画のジャンルは?」と訊かれても一言で答え切れないような、不思議な感覚のする映画だった。
それでも一番の見所はやはりプライスとホプキンスという名優の演技対決になるのではないかと思う。片や枢機卿を辞意を抱き、片や教皇の座を譲り渡したいと考えているという対極な二人が、それぞれの思惑を抱えつつ交わすやりとりと駆け引きを実に充足感の在る見応え魅せてくれて、かと言って主演のお二人とも力んだような大芝居を打つでもなく、さらさらと台詞を放っておきながらその一言一言にぐっと惹きつけられるパワーのようなものがあって、名優ってひたすら凄いなと思うばかり。『天才作家の妻』の時には堅物にしか見えなかったプライスが本作では実に柔和でキュートな人に見え、ホプキンスに至っては彼にとっての新たな名演と言える作品になったのでは?と思うほど素晴らしい演技だった。もう惚れ惚れ。尚且つ会話劇として非常に良く出来た内容で、前半でさらりと交わした会話が後半で立場を逆転させて再浮上したりといった技巧のほか、運動不足を報せるアラームがうまく場面転換を促したり、窮屈になりがちな会話劇に風を通して軽やかに魅せる。単純に二人が会話を交わすシチュエーションの美しさやにもうっとりさせられるし、いっそ全編に亘って二人の会話劇で映画を成立させても良かったのではないか?と思うほど。
というのも、途中で挿入される回想シーンがやや中途半端というか蛇足のように思えてしまったからかもしれない。もちろん教皇フランシスコの人となりというか半生や、現在のカトリックの信念に行きつくまでというようなその過程という意味では描かれて疑問のない内容ながら、あえてそれを映像化し視覚化させてまで描くほどの魅力までは導き出せておらず、いやはやジョナサン・プライスほどの名優ならば、もしかしたらわずか一言の台詞や表情のひとつでさえ、あの回想シーンの本義を物語ってしまえたのでは?など私なんか思ってしまった。事実、もう一方の名優アンソニー・ホプキンスはベネディクト16世の告解を余分な説明を加えることなく語りつくしていたわけだし。
それにしても、他国ではこの映画にしろヘレン・ミレンの「クィーン」にしろ、王室やカトリック協会のしかも存命中の関係者をメインにしたフィクション映画を作ってしまえるというのにいつも驚く。この映画も”Based on a True Story”ではなく”Inspired by a True Story”ということである以上、教皇を主人公にしつつも史実がどうこうというよりフィクショナルな面が大きいと思われ、かえって史実と違うとはっきりしていた方が安心するものの、だからこそフィクションを現教皇を主人公にしてやれてしまうっていうことが単純にすごいなと思う。日本に置き換えて考えたところで到底ないことだろうなぁと思う(別にやれとも思わないけれど)。
あと若干、現教皇のプロモーションっぽい感じが否めないでもないようなないような・・・。
間違いないやつ。コンクラーベの中はこんななのかー。 ほぼフィクショ...
間違いないやつ。コンクラーベの中はこんななのかー。
ほぼフィクションらしいけど、実在の人でこんなにフィクションっちゃうのもすごいな。この人なら言いそうってことなのかしら。歴史的逸話が作られる瞬間て感じか。
ドイツvsアルゼンチンの頂上決戦!
あながち間違いではない。
Netflixオリジナルだが劇場公開しているところを求めてねじ込んで観た。これも『ROMA』のように、音響効果をちょいちょい仕込んでいるので、劇場で観て正解だった。
「もしもし、ボク○○。飛行機のチケット取りたいんだけど」
「あら、教皇様と同じお名前とはステキですね。どちらにお住まいですか」
「うん、本人です。住所はバチカン」
「イタ電やめろや」ガチャン
「えっ」
イタ電扱いされて自分で飛行機の予約ができない教皇…カワエエ。
観る前はお爺ちゃんたちの茶飲み話が延々続くならちょっと辛いかもと覚悟していたが、ベルゴリオ枢機卿のアルゼンチン軍政時代の回想シーンにも時間を割いており、そもそもお二方のやりとり自体も面白くて見てて飽きない。
ご本人にそっくりだというジョナサン・プライスに加え、悪人顔で結構ネタにされていたベネディクト教皇はアンソニー・ホプキンスなのでラスボス感も申し分なし。二人の会話シーンはなんかドキュメンタリー観てる気になるほど違和感がない。
最初は意見の相違で対立していたはずなのに、だんだんお互いを認め出したと思ったら、いつのまにかじゃれあいだして、ラストの仲睦まじさときたらもうね。その上そろってアカデミー賞候補とは…。
結論:ドイツ優勝。
魂が洗われるような佳作
現在のローマ教皇ベルゴリオの人となりは、2017年に観た「ローマ法王になる日まで」でひと通り紹介されていた。本作品では生前退位したベネディクトとの関わりの中で、長い間の信仰についての真意を吐露する。
本作品は、権威主義的な世界観だった「ローマ法王になる日まで」とは一線を画し、現ローマ教皇と次のローマ教皇が虚心坦懐に語り合うシーンが中心だ。映画だから本物の教皇がどう考えているかは別の話ではあるが、本作品の中では権威主義に縛られているのは教皇庁であり、教皇本人は権威主義とは無縁であるように描かれている。実際のベネディクトやベルゴリオの演説などを聴くと、本作品の教皇は実際の教皇に近いのではないかと思われる。
サン・ピエトロ大聖堂の威容やシスティナ礼拝堂の見事な天井壁画の下での会話で、ベネディクトはそこに描かれた神は神ではなく人間だと喝破する。聖職者にとって神は見るものではなく、その声を心で聞くものであり、その存在を感じるものなのだ。
初代ローマ教皇は十二使徒のひとりであるペテロ(ペトロ)であったらしい。神の子イエスの使いである。二人は教皇が神の使いに過ぎないことを知っている。神の権威を借りているだけなのだ。教皇庁と教会にはそこを誤解している人がいる。人間はどこまでもひとりの人間に過ぎず、何の権威もない。二人は虚栄心や自尊心を捨てて、信仰と真摯に向かい合う。夜の会話。聞いていてとても心地のいい会話である。ドビュッシーの月の光の旋律が美しい。
ドイツ人のベネディクトとアルゼンチン人のベルゴリオは英語とラテン語で語り合う。ベネディクトが英語の多義性を嘆くシーンが面白い。意味に幅のある言語は、誤解を生みやすい反面、短い言葉に多くの意味を含ませることが出来る。
当方はクリスチャンでも仏教徒でもないが、聖書の言葉や仏教の経典には真実が含まれていると思っている。もともとの言葉は書かれた言葉ではなく、語られた言葉である。あるいは歌である。しかしイエスもブッダもいなくなると、口伝か、紙に書かれた言葉を読むしかない。
ドイツ語の聖書、スペイン語の聖書、英題の聖書、そしてラテン語の聖書。現教皇と次期教皇は様々な言語の向こうにイエスの言葉、神の言葉を聞こうとする。まるで虹の向こうに行こうとする子供のようである。しかしふたりは子供ではない。汚れつちまつた悲しみを知る大人である。それでも聖職者である。汚れを振り落として心を無垢に保とうとする。その努力が美しい。魂が洗われるような佳作である。
このふたりの人間
タイトルに示される「2人のローマ教皇」とは、前ローマ教皇ベネディクト16世と現ローマ教皇フランシスコ教皇のこと。
ふたりの確執と、それぞれの過去、そして未来への物語が、ふたりの対話を通して描かれます。
前教皇は保守派、現教皇は革新派と言え、確執は2005年のコンクラーヴェ(教皇選挙)の時から描かれます。
このコンクラーヴェの時は、ふたりはどちらも枢機卿であり、結果として、ラッツィンガー枢機卿が選ばれ、教皇ベネディクト16世となる。
なるほど、名跡襲名みたいなものなのね。
ラッツィンガー枢機卿→前教皇ベネディクト16世、ベルゴリオ枢機卿→前教皇フランシスコだ。
前者をアンソニー・ホプキンス、後者をジョナサン・プライスが演じていて、どちらも素晴らしい。
ふたりが面会し、対話するきっかけとなるのは、2012年、カトリック教会が性的虐待スキャンダルで揺れている中で、教会側の方針に不満を抱いているベルゴリオ枢機卿がベネディクト教皇に辞任を申し入れにいくところから。
辞任しようとしているベルゴリオが、最後には教皇ベネディクトの告白を聴き、赦しの秘術を与えて、立場が入れ替わるまでに、ふたりの過去が描かれていく話術も申し分ない。
特に、分厚く描かれているベルゴリオの過去、若い時分の愛する女性との別れと、教区主任になってからの軍事クーデター後の独裁政権に図らずも与しなければならなかった過去は見応えが十分。
彼が口にする「妥協ではない。変化したのだ」の台詞も心に響く。
対して、ベネディクト教皇の過去はややあっさりと描かれており、教会による性的虐待に対する隠蔽(というか、日和見的で事なかれ主義的な対応)については明確に描かれているが、教皇就任直後から人々に口端に上る「彼はナチスだ」についてはあまり明確には描かれておらず、そのあたりはもどかしく感じました。
(気になったので調べてみたところ、彼が10代の頃の第二次世界大戦下のドイツでは、少年期にはヒトラーユーゲントに属さなければならず、彼もその一員だった)。
と、このような重い題材であるにも関わらず、映画は全編をユーモアを交えて描いており、軽みのなかで活きる「人間ドラマの重み」が感じられて素晴らしい出来栄えでした。
赦しの秘術を受けたベネディクト教皇が、奥の涙の間から観光客が屯する表の礼拝室にあらわれ、皆の取り囲まれるシーンは微笑ましい。
セキュリティスタッフが駆けつけようとするのを制して言うベルゴリオの台詞がこれまたいい。
「このままでいい。彼は幸せなのだから」
最後に、この映画を観てカトリックが説く愛についての自分なりの考えをまとめると、
愛すること=相手のことを受け容れ、理解すること、そして赦すこと。
愛されること=理解され、受け容れられ、赦されること。しかし、赦されたからといって、これまでのことがなかったことになるわけではなく、そこから、より善きひととなるスタートに立つ、ということ。
赦しの秘術を与えたベルゴリオも、同時に、より善きひとになり、善き世なるスタートに立ったわけである。
原題「THE TWO POPES」、「このふたりの人間」というタイトルもシンプルで力強く感じました。
神聖な気持ちになれた(^ワ^)。
ローマ カトリック教会の総本山を垣間見ることができた。
これだけでも何となく神聖な気持ちの自分(^ワ^)。
宗教とか難しいことを通り越して、教皇や枢機卿がとても身近に感じられた。
当たり前ですね、人間ですから。
脚色の部分がまったくわからず、まったくの実話だと思い込んでしまいました。
それぞれに重荷を背負ったお爺さん2人の会話を、テンポ良く観せるネト...
それぞれに重荷を背負ったお爺さん2人の会話を、テンポ良く観せるネトフリならではの作品。
数年前に劇場公開された「ローマ法王になる日まで」と併せて観てほしいです。
ジョナサン·プライス!
劇場で鑑賞。キャスト等、予備知識なしで鑑賞したが、ベルゴリオ役の役者さんに既視感があるな、と思っていたら、ジョナサン·プライスだったのか! 未来世紀ブラジル以来だ! もうすぐ公開のテリー·ギリアムのドン·キホーテにも主演しているので、楽しみです。
辞めたい専務と辞表を受け取らない社長の内緒話。
「この世にアメリカ大統領が最敬礼する相手、つまりアメリカ大統領よりエライ人は3人で、それはイギリス国王とローマ教皇と天皇陛下である。」なんて話を聴いたことがありますけども、もうそこまでエライ人になると「権力者としてオイシイ思いをする」なんて次元ではなくて「ただただ重圧がタイヘン」という立場でしかないんじゃないかと思いますよね。
そんな立場を死ぬまで背負わされることなく、平成天皇は生きて令和天皇にバトンタッチを成し遂げたということで、僕は「良かった。あぁ、お疲れ様でした、どうか今後は現人神ではなくひとりの人として穏やかにお過ごし頂きたい」なんて思いましたけども、
そういうバトンタッチが2012年、「ローマ教皇」というポジションでもあったというお話。そんな実話をNetflixが劇映画として制作したのがこの『2人のローマ教皇』という作品なんですね。
“カトリック教会”をひとつの会社に例えるとしたら、本作でアンソニー・ホプキンスが演じるローマ教皇は社長さんですよね。そしてジョナサン・プライス演じる枢機卿、会社で言えば専務取締役とかくらいの立場になるんでしょうか。その専務がある日、社長のところに辞表を提出しにやって来るんですね、「社長、もうこの会社の方針や体質は古すぎて時代に合ってないですよ、だから僕はもう辞めます」と。
でも社長のアンソニー・ホプキンスは、「まぁまぁ、とりあえずワインでもどう?」みたいに、はぐらかすやらスカすやらで辞表を受け取ってくれません。専務はなんとか辞任を認めてもらおうと粘り強く話を重ねていくんですが、その過程で社長の真意や人間性が見えてくるんですね。そしてある決断を迫られた時、専務もその生き様や背負ってきた思いを吐き出すこととなるわけです。
社長と専務はそれぞれ、いったいどんな思いや苦悩を抱えていたのか?
なるほど、この2020年代になっていく今、映画化されるべきテーマが語られていると思います。オススメ。
教皇と神の関係
画面には映っていないけど、三人目の主演は本人出演のイエス様でしょう。フランシスコ教皇だけでなく、ベネディクト16世もそっくり。二人の教皇が戦わせる神学の議論にハラハラしつつ、しっかり「神の手」が出来事を通じて二人に働いていく状況が描かれていました。
教皇である前に人なのよね
2020年最初の作品はこちら
手を出さずにきたNetflixに手を出してしまいました
しかも30日間無料がなくなっちゃってるし!
でもでも、そこまでして観てよかった
ノンフィクションでフィクションの本作
クリスチャンではない私には、教皇、聖職者、そんなイメージばかりが先立ってしまっていたけれど、そこには苦悩しながら、時代に翻弄されながら生きてきた人としての彼らがいて
そんな感じで観ていたせいで、システィーナ礼拝堂で人々に囲まれるベネディクト16世や、コンクラーベで選出され、テラスに足を踏み出すフランシスコを見ていたら、なんだか目がうるうるしてしまいましたよ
ふたりで「Holy Father」と呼び合う姿は微笑ましく、聖職者として最高の名誉であろう教皇でありながら、その孤独な立場を思うと、こんな穏やかな時間がありますように、と願ったラストでした
アンソニー・ホプキンスの神の演技
個人評価:3.9
2人のローマ教皇を描くに相応しい、極上の役者と極上の作り手の作品。
アンソニー・ホプキンスはレジェンド俳優を突き抜け、神様の域まで到達したかの様な、ローマ教皇へのなりきりっぷり。
当時のローマ教皇即位の裏側を、とても丁寧に描いている。劇中ほんどが2人の会話のみで構成されているが、役者のチカラもあり、引き込まれるように物語を見入ってしまう。
全54件中、21~40件目を表示