「Born to be blue」マイ・フーリッシュ・ハート ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
Born to be blue
チェット・ベイカーにはオリジナルの楽曲がない。
でも、チェット・ベイカーの歌うマイ・ファニー・ヴァレンタインは、他の誰のマイ・ファニー・ヴァレンタインよりも、世界中で聴かれているのではないだろか。
チェット・ベイカーは、なぜ、こうも多くの人を惹きつけるのだろうか。
この映画も、そうしたチェット・ベイカーの変わらぬ人気の現れではないかと思う。
自分の暴力性とチェット・ベイカーの人生を重ねる刑事、チェット・ベイカーに関わろうとする人たち、そして、意味のないことだと分かっていても、あの死には何かあると興味を隠さない人々。
話は変わるが、村上春樹さんと、先般ご逝去された和田誠さんの「Portrait in Jazz」の巻頭を飾るのはチェット・ベイカーだ。
僕は、オリジナル曲を持たず、他の人の楽曲を演奏したり歌ったりするからこそ、チェット・ベイカーのトランペットや歌声が、その違いが際立つのではないかと思う。
彼の演奏や歌声は、他のどのジャズ奏者やヴォーカリストとも異なり、少年と大人の間に瞬間的に存在するような瑞々しさとも、不安定さともつかない、捉えどころのない揺らぎのようなものを感じさせる。
トランペットは、一時はマイルス・デイヴィスを凌ぐほどの人気だったというし、マイルス・デイヴィスは彼に批判的に接したこともあるという。
ジョアン・ジルベルトはボサノヴァを始めるにあたって、チェット・ベイカーの歌い方を参考にしたとも言われている。
先般観た「BLUE NOTE」のマイルス・デイヴィスの記録映像や音も若々しく心を揺さぶられたが、チェット・ベイカーのそれは、また異なるものだ。
そして、ジェームズ・ディーンばりの風貌も。
天は二物どころか三物も与えたかのようだ。
大変申し訳ないが、映画の若い頃を演じた俳優さんは、若い頃のチェット・ベイカーには敵わないと思う。
しかし、映画でも語られる通り、その生涯は絶頂と転落のギャップが激しく、その死はちょっと謎だ。
酒やドラッグや女におぼれ、喧嘩で前歯を折られてからは、トランペットを吹くことも歌うこともできなくなって引退同然だった時期がある。
そして、友人の援助で復活したが、拠点をアメリカからヨーロッパに移して、謎の多い死を遂げる前の数日間を描いたのが、この映画ということになる。
彼の半生を追ったドキュメンタリー映画「Let's Get Lost」の公開直前に彼はなくなっている(YouTubeで観ることができます)が、これも謎に追い打ちをかける。
今回の映画は、2年前に公開されたイーサン・ホークがチェット・ベイカーを演じた「BORN TO BE BLUE(ブルーに生まれついて)」に続く(おそらく)3作目になる。
死の謎を追った映画としては、ニルヴァーナのカート・コバーンの死に迫る「ソークト・イン・ブリーチ」ほどドキドキ感はなかったが、僕は、チェット・ベイカーは殺されたのではなくて、自分自身も若き日の自分の幻影を追い続けて、そして、現在の自分に失望し、あの日に戻ることはないのだと知って、自ら命を絶つことを選んでしまったのではないかと思う。
それほど、チェット・ベイカーの若かりし頃の演奏や歌声には、言葉で言い表すことが出来ないような揺らぎを感じるのだ。
チェット・ベイカー自身も、その郷愁からずっと離れることが出来なかったのではないだろうか。
映画の冒頭で刑事が呟くように語る。
「死は最大の喪失ではなく、それは己の心の中にある。悪魔と向き合わず、橋ではなく、壁を作った時に、ヒトは孤独を感じ、ひとりになる」
チェット・ベイカーが途中で語る。
「自分は悪魔と取引をした。ドラッグでハイになっても蝕まれないハートを手に入れた。その代わり、心で奏でることを悪魔に要求された」と。
映画では、心を見失って、更に、チェット・ベイカーの音楽は良くなったというセリフがあったが、僕は、見失った心さえも、過去の幻影を追い求めていたのではないかと思う。
そして、自ら死を選んだのだと。
最後に「Portrait in Jazz」のチェット・ベイカーの最初と最後の部分の文章を紹介します。興味のある方は、こちらも読んでみてください。文庫本も出てるかもしれません。
「チェット・ベイカーの音楽には、紛れもない青春の匂いがする。ジャズシーンに名を残したミュージシャンは数多いけれど、「青春」というものの息吹をこれほどまで鮮やかに感じさせる人が他にいるだろうか?」
「技術的には洗練されているわけではない。…「こんな演奏をしていたら、どこかで転んでしまうんじゃないか。ぽきっと折れてしまうんじゃないか」という不安感さえ、僕らは抱いてしまう。…しかし、深みのなさが、逆に僕らの心を突き揺るがせる。それは僕らがどこかで経験した何かに似ている。ひどく似ている」
この文章もひどく素晴らしい。