Redのレビュー・感想・評価
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甘美な毒に繋がれた愛
個人評価:3.5
女性という特殊な生き物の特殊な感情。どれだけ惚れて死んで行けるかという、甘美な毒に繋がれた愛。女性監督、女性作家の原作でしか描けない世界観だろう。
しかしながら、永遠の愛ととらえれば描いた世界観は狭く、個人的な愛という描写であれば掘り下げも足りなく感じ、物足りない。
原作と映画は別……。
以前、原作を読んです。最近、Netfleで観ました。
原作と映画は、結末もちがうし場面設定も違うので 似たような別々の物語の印象です。
原作では、どんなに男女平等と言われていても女性が社会で感じる不公平さや不満を上手く表現しているし、現実的に家庭を捨てられない背景もちゃんと描かれていたので共感出来ましたが、原作の鞍田さんは死を目の前にしてワガママと言うか身勝手な感じを個人的に持っていたのと、原作は性交表現が多くて、この性描写が私は苦手でした。
映画は、現実離れした結末ではあるけれども物語としては、映画の方がスッキリ観れました。鞍田さんの相手に対する愛情も映画の方が見えた気がします。愛人と家庭の間で揺れる橙子の様子も伝わりましたが、欲を言えばもっと揺れている感じを見たかったです。
この物語に共感出来る出来ないは人それぞれだと思いますが、私は まあまあ楽しく観れました。
もったいない❗️
色々感想を書こうと思ったけど、それを書く自分が嫌になりそうだったので思い切って割愛。
原作未読だけど、原作の大筋の肝心なところを映画化しきれてないようなモヤモヤ感を感じっぱなし。
それは原作者に対して失礼の極みではないかと。
配役はスゴくいいのに、こんな作りじゃ無駄遣いに見えて悲しくなった。
終わり。
覚悟の手
塔子は泳げないのに海に飛び込んで、必死で生きようともがきながら泳ぎ続けている。
その始終を固唾を飲んで、心の中で応援し続けている、
そんな苦しくも勇気の湧く作品でした。
自分にとって、この映画で一番強烈に響いたのは、塔子が娘のみどりの手を一度は握るも、それを離すシーンでした。自分の身体が強張っていくのを感じました。
真に目もくれず、愛する子も置き去りにして進む塔子のその覚悟に心の中で拍手をしていました。
きどりとおごり
しあわせのパンとぶどうのなみだを見たことがあります。劣悪な荻上系でした。思い出すだけでも反吐がでます。
作風が、幼な子われらに生まれでシリアスに変わりました。パンやワインでは監督としての箔がつきません。
どっちにしても下手でした。下手ですが、気取っています。
日本の映画監督の特徴的姿勢です。つたない映画なのに、絵が「わたしはすべてをわかっています」みたいな主張をしてくるのです。本気な裸の王様風の態度が日本の映画監督には共通しています。
中肉、近視、寡頭身、リーチの短いひとがボクシングジムやってきて、ボクサーになりたいと言いました。
プロには向かないが体力づくりならお手伝いしますよ。と、受け容れ10年経った。──とします。
どんなに向かなくても、一定期間を経て、立脚点を確保すると、もう向いてないからやめろとは言われません。
誰だってそうです。
若いころは、きみはこのしごとに向いてない──と過分な気遣いをされることもあります。しかし時が経てば、そんなことを考えているのはじぶんだけです。
とはいえ、壮年に達している人間に、ぼくはこのしごとに向いてないんじゃないかと思う──と吐露されるのはキツいことです。
おとなにとって、向いているか向いていないかは、モラトリアムな次元の話になってしまうのです。
ただ、属性について自認していることは重要なことです。
じぶんが適切な仕事に就いていると感じるのはラッキーなのであって、多くのひとびとが、生かせていないことを感じながら生きています。
いっぽうで、もはやわたしにできるのはこれだけだ──とも思っています。大人とはいわばその諦観のような自認です。
自認しているとき、ひとは謙虚です。
日本映画界がせめて謙虚だったら、わたしも腐そうとは思いません。
この田舎の映画部の部員たちが、時間が止まった裸の王様たちの収容所──日本映画界にいることを自認し、後塵を拝していることを知って、学習しようとしているなら、ぜんぜん腹も立ちません。でもそうじゃない。
ところが「世間」はかれらの「才能」を認めています。
厳密にいうと「どこかの世間」がかれらの「才能のような権勢」を認めているのですが、食えるなら、おなじことです。
そう。食えるなら、おなじことです。
好きに生きて、好きに創っていいのです。
リーチが短いのにボクサーになれたなら、むしろ立派です。
なんであれ、しがみつき、その立脚点を確立したことは立派なことです。同意できますが、映画はえてして費やした時間とは関係がないのです。職人的手腕とは大いに関係しますが、費やした時間によってもたらされた自負心と映画は関係がありません。
こけおどしの闇。子供じみた低回。思わせぶりな台詞。awkwardな空気感。不愉快な疑似性交。被害者意識。映画が呈しているのは「この気持ち、分かるよね」という、でれでれに擦り寄ってくる同意です。ほぼ、それしか見えません。もちろん気持ちなんて分かりません。
陰影礼賛?谷崎潤一郎も草葉の陰で泣いています。
小説は知らない。ただ、映像になったそれは日本映画の典型を平常運転していました。
カメラはいい。すごくいいと思います。
が、しょせん劉備にかしずく諸葛亮です。とうてい制御しきれません。
とりわけ、性描写のくどさと長さ。
ドラマが希薄なのに、シュミレートセックスがあるばあい、それは自己プロモーションのリールパートと見ていいはずです。観衆にとって何の意味もないのですから。要するに「わたしは性を扱うことのできる映画監督です」という、出資者向け履歴書の自己アピール欄です。
エクスタシーの顔芸を強要された役者たちの受難ははかりしれないものでした。
なぜポンジュノは濱口竜介監督の寝ても覚めてもを誉めたのでしょうか。
パラサイトが賑わっている渦中で、寝ても覚めてもを、ポンジュノはわざわざ公的に誉め、対談もしています。
ポンジュノに人の映画を誉める資格があったから、くわえて同作品が濱口監督のデビュー作だったから──でもあります。でも、大きな理由は寝ても覚めてもが典型的な日本映画ではなかったからです。
典型的な日本映画ではないこと。世界のポンジュノをしてさえ、そんな珍しい現象はまたとない。だから誉めたのです。
また、この件でわたしたちが知り得る重要なポイントは、少なくともポンジュノは人の映画を見ている。──ということです。
スウィングキッズがFree as a Birdを使っていたのには腹が立ちませんでした。むしろ主題曲のごとく合っていました。しかしこの映画がハレルヤを使っていることには、心底腹が立ちました。しかもJeff Buckleyのカバーバージョンです。煮えくり返りました。そもそも絵にまったく合っていません。
我慢しながら日本映画を見ると、すごく大人になれる。──気がします。長く辛い二時間でした。0点です。
うーんなんか違いすぎて
原作者島本理生さんのファンの私としては、ガッカリの可能性を覚悟して鑑賞。
やっぱり…なんか違う。
夏帆さんは演技頑張ってるの分かるけど、もっと綺麗な女優さんをキャスティングしてほしかった。
妻夫木君はダメだ。イメージ違いすぎて。
「悪人」ではそれまでの良い人からどろどろの暗い役をやりきってたけど、中年の汚れて疲れたいやらしい魅力を出せる役者さんにはなってない。
義母とかも分かりやすくするためか、プロトタイプな姑だし、それにあの家のインテリアのひどいこと。あのソファーセット!
小鷹君もなぁ。
それになんと言ってもラスト!
酷すぎませんか?
翠ちゃんの傷は一生残るよ。
原作より良かったのは余貴美子さんのお母さんだけかな。
狡猾な男と純情な女
どおにもやるせない不倫の話。
なんか赤裸々なベッドシーンが話題に上がってたけど、キスシーンの方が印象的だった。
女性の目線からだとどお映るのだろうか?
塔子に感情移入するのだろうか?
それとも嫌悪感を抱くのだろうか?
なかなかにセンセーショナルな幕切れではあったけど、時間軸が掴みにくかったなあ。
婚姻って契約に縛られた女性の話にも見えなくはないんだが…訴えかけるとこは他にあるような気がしてならない。
障害のある恋程燃えるなんて話あって、だからこそ不倫はのめり込むなんて話にもなるのだが、どおやらこの作品において、それは逆説のような位置付けで…婚姻という枷を引きずってまで貫く程の気持ちがあるから不倫なんて関係が存在する。ってとこだろうか。
元々、不倫してた過去のある2人がまた不倫を始める。男に家庭があり女は独りだった。
どおいった関係かは描かれないのだが、おそらくならば女の方は止められない気持ちを持っていたのだと思われる。だからこその再発かと思うのだけど…。
問題は男のシチュエーションだ。
彼は離婚して癌を患ってる。
…独りで死んでく寂しさもあったんじゃないか?
それを上書きする為の行為なんじゃないか。
男の本音は愛情に由来してないように思う。
女の純情と男のズルさ、みたいなとこだろうか。
そんな事を考えると色々しっくりくる。
最後まで女は信じていたかったんだろうし、信じていたかったからこそ家庭には戻れないのだろうし。
勘違いで人生を棒に振るような…そんな十字架は背負っていけないよなぁ。なんて思っちゃう。
いずれにせよ、純愛だろうと誤解だろうと、その先に祝福は待ってないって結末だった。
本能に起因する愛というものを秩序と理性で縛り続ける婚姻という契約。
…恋愛結婚なんて言葉もあるけど、今の状況を必死に正当化する為に使わざるを得ない言葉であるならば、それはとても不幸な事で牢獄にいるのと変わらないのであろう。
作品的にはかなりスローな印象で、ある意味退屈だった。というのも…結局は他人事なので。
どんだけドラマチックな内容であっても他山の石なのである。なるべく共感を得られるように丁寧に作られてもいるが、そもそもが実生活において関与出来ない事柄であり…つまりは感情移入のしがいがない。
「昼顔」を見た時はもっと引き気味だったから、今回は妻夫木氏に傾倒したのかもしれない。
結構面白かったのが柄本兄のポジション。
恋愛感情の絡まない異性ってポジションで、女が興味のない男にとる態度っていう側面があるわけなんだけども…あんなボリュームでいいのかしら?
彼を使って出来る事はたくさんあるように思う。
不倫なんてものは結局はSEXに終始するのだと思ってる。好きであるならば求めるのは当然の行為だし、好きが加速していけば不安にもなって、それをかき消す為にも行うのであろうし。契約が結べないからこそ実感を求めたりもするのだと思う。
今回のSEXも雄弁であった。
日本人はそろそろSEX=快楽って方程式から解脱した方がいいと思う。
まあ、そんな事に思いが至る程、今回の2人は熱演であった。
ただ、まあ作品のテーマとしては複雑で個人の価値観に左右されるとこが多大だろうなと思う。
聞いてみたいのは「この原作のどこに魅力を感じて映像化に踏み切ったんですか?」である。
小説ならばその全てを自らに投影できたりもするのだけれど、映像となればある種の強制を強いられる。
没入感が妨げられるというか…そお考えると、この題材は実に厄介な代物であると思うのだ。
何を描きだしたかったのだろうか…。
◾️追記
ワンコさんのレビューに問いかけの答えが載ってた。なるほどと霧が晴れたような気分だ。
学の薄い俺には分からない筈だと至極納得。
与えてもらうばかりで自分から何も与えようとしない人
大雪で交通機関が止まっているのに、どうしても帰って来いという夫。
同居のお母さんに子供の面倒を頼めば良いのに。
何のための同居なの?
私なら頭に来てそこまでいうなら迎えに来てよ!と言ってしまうだろう。
鞍田はそんな中、迎えに来る。
旦那は完全にこの時点で負けている。
不倫相手に取られても仕方ないよ。
鞍田の葬儀の後、娘を連れて迎えに来るけど遅いんだって。。。
そこから元サヤに戻ると思ったの?
無理だって。
島本が嫌い。ねじれてるから。病気の世界。監督も嫌い。セックスシーン...
島本が嫌い。ねじれてるから。病気の世界。監督も嫌い。セックスシーンにリアリティがない。俳優はよかった。
やっと観れた。夢のような映画。
力強く、それでいて、
夢のような、まるで、夢のような映画。
見終わって、
強烈な恋愛をしてしまったような感覚。
思えば人に惚れる(余貴美子さんのセリフが強烈)って、豊かなことだよなあと。
それによって傷つけるひとがいて、
それでも進むのか、踏みとどまるのか、
それは、その人の選択。
映画は道徳的でなくてよいから、
これもひとつの人生、この人の人生、なんだね、これが。
「愛」は理屈じゃなくて…心の芯から感じるもの
震えました。人が…生きている間にこれほどまでに求め合う相手に巡り逢えた事が「奇跡」ですから。
レビューを読むと…人それぞれ男女それぞれ受ける印象が違う、視点が違う事が明らかですね。あと、その方の人生の厚み(愛についての)によっても全く感じ方は違うと思います。もちろん学歴や職歴や貧富とかそういうものではなく人間が生まれながらに持っているであろう「愛」の厚みです。心揺さぶられる程の愛を感じられる異性と出逢い、常識やモラルや様々な壁にぶち当たった経験値。その値で、この映画の響き方はかなり違います。
もがき苦しんでる塔子の心の痛み…私も感じていたから…。もちろん映画のような2時間で収まるストーリーなんかじゃない…もっと生々しく苦しく涙でグチャグチャになるようなこれまでがあった。自分の心の中は、誰かに理解してもらうものじゃなくて…自分自身でちゃんと向き合って見つめて、認めてあげないと……生きていながらにまるで心だけ死人のように真っ黒い塊のようになって輝きを失います。 周りの人が間違ってると言ってももし自分の心が求めるのなら…ちゃんと心も身体も息をしながら前に進んで行く方がいいに決まってるから。誰が悪いわけじゃない…夫も優しいし、子供も可愛いし、恵まれた家庭環境で「幸福」そのものなのかもしれない。でもそれは他人から観た形だから。自分自身が求めてないのなら、そんな場所も本人にとっては苦痛で「不幸」そのものかもしれませんよね。だからといって夏帆さん演じる塔子を完全に「良し」としているのではなくどう表していいか難しい程に渦巻く心の苦痛感を映像にする事、映像に出来ている事が素晴らしいと思いました。とりとめなく長々とすみません。最近「柄本祐」が好き(*^ω^*)
なんともなく、魅力的。推してます(笑)
文学が映像に昇華された美しさ
三島監督のオリジナル脚本映画も好きだが、原作を独自の感性で映像化した作品も興味深い。
また俳優たちの情感ある演技には観ていてのめり込む思いがして、観終わった後も幾つかの場面が記憶に残り続けるのも面白い。出演者の安定感と優れた演出によるものだろう。
「Red=赤色」を視覚的に感じることができるのは、映像作品のアドバンテージだと思う。
美しさに酔う
三島有紀子監督の映画は、五感に訴える映画だ。絶対映画館で、大きなスクリーンで見るのが良い。おいしそうなコーヒーが入る音、布をシャキシャキ切る音、人生の苦労を感じさせる階段の段差、少女のふわふわ感を感じる宙を舞う白い布。
今回も、冒頭からひりひりと突き刺すような吹雪の中、行き場を探して舞っているような赤い布が目に入り、悩ましげな塔子(夏帆)の表情に、ジェフ・バックレイの「ハレルヤ」がかぶさるように流れる。生々しく、しみいる歌声。「ハレルヤ~♪」と歓喜の言葉を吐きながら、なぜか苦しそうにも聞こえる歌声。これから始まる物語を予見しているようだった。
女性は、人生の中で様々な選択を強いられる。男性よりも,その選択を、周りから、世間から批判されることが多いように思う。だから、選択は、時に無難な方に流れ、自分を見失いがちになる。そしてある時、選択の間違いに気づく。軌道修正するかしないか。これもまた選択だ。
何かを好きになることは、人間に与えられた最高の能力なのかもしれない。そして、それは、人生の隅々まで、影響を及ぼす。そんなことを思った映画だった。
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