「☆☆☆★★★ ※ なかなかレビューを書くのが難しく。今後、ちょこち...」Red 松井の天井直撃ホームランさんの映画レビュー(感想・評価)
☆☆☆★★★ ※ なかなかレビューを書くのが難しく。今後、ちょこち...
☆☆☆★★★
※ なかなかレビューを書くのが難しく。今後、ちょこちょこっと改定するかも知れません。
【妻が我慢出来なかったのは、何かにつけて逃げる夫の事なかれ主義だった】
原作読了済み。
映画は、原作に於ける終盤の吹雪の中を帰宅する車中から、これまでの出来事を振り返る様に展開される。
2人の女性監督による共作の脚本は、終わり近くに(確か原作にはなかったと思うのだが)
「何千年も前から男の立場は…」と言った台詞を(ハッキリとは覚えていないのだけど、その様な台詞)盛り込み。家庭内に於ける男女の差別的な立場が、長年に渡って続いているのではないか?…と言った問題意識を、観客に向けて発していた。
原作を悪く言ってしまえば、《「やらせてくれ!」と言われると断れないダメな女の物語》…と、言ってしまうと実に身も蓋もない。
尤も、そう感じてしまうくらいに。途中からどんどんとこの塔子と鞍田の話は、《好き》と《嫌い》を行ったり来たりと。会う度にダラダラとセックスを重ねてしまうバカな2人の物語でもあった。
特に、終盤の東京への帰宅途中での2人のベッドシーン等は。映画版では作品の【核】となっている場面ではあるが。原作では、それまで散々繰り返されていたセックス描写を、更に過激に描写しており。読みながら「これって結局ポルノ小説?」…と言った様な感想を抱いてしまった程だった。
そんな、「どうしようもねえなこの2人!」…と思ってしまう原作でしたが。映画版では、原作でも感じさせられる夫のダメな部分は残し、塔子の行動を半ば正当化する事で。塔子のだらしのない部分を、観客には意識させない様に誘導している
感じに見受けられました。
映画化に於いて原作を大幅に改定するのは特に珍しい事ではなく、この映画版でも多くの改定が行われていた。
金沢が新潟に変わっていたり。倒れる(熱が出る)のは塔子ではなく鞍田の方であったり。パソコン関連だったのは建築デザインの会社へ…等。
その中では、塔子と鞍田の不倫を感じ塔子の不満の捌け口にもなる友人の矢沢は登場せず。逆に映画版でのそんな立ち位置に近い人物として、吹雪の途中で立ち寄った食堂の女性(片岡礼子)が映画版では登場し深く印象に残った。
そんな映画版ではありましたが、それでもこのラストシーンの改定に関しては「う〜ん、どうなんだろう〜!」…と。
原作では、最後にエピローグ的な意味で。その後に成長した翠の立場から、当時の塔子の行動は何だったのか?…を検証していた。
冒頭とラストが繋がる事によって、実母から塔子。そして塔子から翠へ。更にはいずれは翠も母親となり…と、この血の繋がりは続いて行くのだろうか?と言った秀逸な終わり方に繋がっていたのだが…。
原作に於ける冒頭場面は、実の母親の嫁ぎ先に対する勝手な振る舞いに対する憤りだった。嫁ぎ先に対して必死な想いで馴染もうと努力する事で、自分の気持ちに嘘をついて来た。それだけに、夫の不誠実な態度から、どんどんと湧き上がって来る。これまでの夫婦生活の中で感じていたモヤモヤ感。
ただ映画版では、義母はほんの少しだけの登場の為に。この義母と夫との間に存在する【目に見えない壁】の閉塞感は薄まってしまっているので。この映画版に於けるラストシーンにはどうしても不満が残る。原作だと娘の翠は絶えず塔子の側に居るだけに。そんな年端のいかない子供を放ったらかしにし、何かと理由を付けては鞍田と不倫関係を続ける塔子の姿は。「俺はいつもやってるよ!」と言いつつ、全く何もしない夫と同様に絶えず苛々とさせられた次第でした。まあ、あくまでも男目線からではありますが。
原作を読みながら。映画化では、塔子のナラタージュ方式を多く取り入れ。多くの夫のダメな部分を強調しなければ、観客の共感を得られないだろう…と思っていただけに。映画版での、多くの心理描写を活かす為か?画面に余白が生まれる様にじっくりと2人の人物像を見つめる演出には、三島監督の演出力の冴えを感じ。同時に、原作には出て来ない2つのアイテムと言える♬ハレルヤの効果的な使い方と。谷崎潤一郎の著作(未読の為に多くは語れない💧)は、如何にも文学少女の側面が滲み出ている様でもあり、今後も目が離せないと言ったところです。
………でも一言だけ言わせて欲しい。
これだけ多くのセックス場面のある原作でも夏帆は脱ぎませんか〜_| ̄|○
2020年2月25日 TOHOシネマズ錦糸町オリナス/スクリーン5