「【一人の女性の虚実の人生を”結婚の意味”を絡めて、故ジェフ・バックリーの美しくも哀しい”ハレルヤ”の歌声に乗せて描き出した作品。観る側に”夫婦の絆とは何か”という問いかけをしてくる作品でもある。】」Red NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【一人の女性の虚実の人生を”結婚の意味”を絡めて、故ジェフ・バックリーの美しくも哀しい”ハレルヤ”の歌声に乗せて描き出した作品。観る側に”夫婦の絆とは何か”という問いかけをしてくる作品でもある。】
ー 序盤、塔子(夏帆)が雪舞う中、電話ボックスから電話をしている。口が動くが声は聞こえない。男が中で待つ車が近くに停車している。ー
・そして、車に戻りカーステレオから”ハレルヤ”が流れる。消そうとする男を塔子は制する・・。
”あ、この映画 バッドエンドではないか・・”とふと思う。
・序盤、塔子と夫、シンちゃん(間宮祥太朗:こんな役も受けるようになったのかと感慨深い。)との関係性が描かれる。
シンちゃん、塔子に対し、NGワード、行動連発でイラっと来るが、本人に自覚がないのが、如何に甘やかされて育ってきたのかが良く分かる。
が、三島監督にしては、類型的な描き方をしてしまっているな・・、と思いながら鑑賞。
・そこに現れる、且つての恋人蔵田(妻夫木聡)。
・表面上は可愛い娘もおり、幸せそうに見える塔子だが、作り笑いの毎日。
薬指に嵌めた指輪はサイズが合っていない。(ように見える。頻繁に指輪が映し出される・・。)
・夫に相談し、蔵田の務める設計会社に勤務することになり、蔵田との関係も程なく再開し、のめり込んで行く塔子。
蔵田は数年前に”血液の癌”にかかり、妻とも離縁し必用最小限のモノとともにコンクリート打ちっぱなしのヒンヤリとした質感の部屋に住んでいる。
(モノの中には、ジェフ・バックリーの”GRACE”や谷崎純一郎の”陰翳礼賛”(初版本か?)が含まれている。)
・蔵田が担当していた、新潟の酒屋の蔵のリフォームを蔵田の体調悪化により、任され、塔子に想いを寄せる小鷹(柄本佑)と訪れるが大雪に閉ざされてしまう二人。
・電話で、話す塔子とシンちゃん・・。
そこに、唐突に表れる蔵田。呆然と見つめる塔子。
そして、冒頭のシーンが詳細に再現される・・。
・劇中、時折登場人物が呟く、寸鉄人を刺す台詞が印象的である。
・塔子の母(余 貴美子)は、シンちゃんの実家での塔子の娘の誕生パーティーに呼ばれるが、シンちゃんの両親の言葉の数々に嫌気がさし、退席する。
彼女の塔子に向けた台詞が鋭い。”あんた、心から人を好きになったことがないでしょ。”
小鷹の塔子に向けた台詞。”塔子さん、いつも一人で生きている雰囲気だもの・・。”
・彼らの言葉が後押ししたのか、塔子はある決意をする・・。
<しかし、矢張り親であるのならば、娘が泣きながら呼んでいるのに背を向けて、一人歩き去る姿は許されないのではないか?
塔子自身にも、責任はある筈だし、そのために子供が犠牲になるのは居たたまれないなとも思ってしまった作品。
多分、このラストの塔子の選択は観る人の現実生活の状況により、解釈が分かれるのではないかと思った。
映画全体の醸し出す負の雰囲気は嫌いではないし、新潟の峠の茶屋を営む夫婦(片岡礼子 酒向芳)の姿と塔子とシンちゃんの姿の対比なども効果的だと思う。
観る側に”夫婦の絆とは何か”という問いかけを「幼な子われらに生まれ」に続いて問うてくる、三島監督の姿勢の揺らぎ無さも良いと思った作品である。>
<2020年2月21日 劇場にて鑑賞>
大変失礼いたました。
陰翳(いんえい)でしたか?
恥ずかしいです(笑)
ジェフ・バックリーはハレルヤしか殆ど知らなくて・・・
私は、ハレルヤをカバーしてるのを聞くのが好きで、
イルディーボとか、ボン・ジョヴィとか、アンドレア・ボチェッリなどで、
聞いているんです。おバカですね。
NOBUさん、毎度どうもです。
片岡礼子の一途な愛の姿が見終わってしばらくするとジンワリと感じてしまいます。
三島有紀子監督は前から注目してましたが、心象風景豊かな作品が多いですよね。
三島由紀夫映画も見なきゃ・・・
コメント失礼します。RED観ながら、不倫だけどどこか切ない感じが、「マディソン郡に橋」に似ているな、、、と思っていました。続けてレビューされているのでもしかしたら、、と思ってしまいした。
今の日本人なら「マディソン郡の橋」も単なる不倫映画なんですかね、、、