痛くない死に方のレビュー・感想・評価
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『金のかからない死に方』が原題ダネッ♥
痛くても生きていたいね。
死ぬまでは。
家族がいても、一緒に住んでいなけりゃ。コミュニケーションが面倒くさい。
排泄、食事等の生きる為の生理を考えると、痛くなるのは周りの家族。つまり、一般論で言えば、痛みが家族に転嫁されたに過ぎない。寧ろ、やはり、死ぬ時は金がある限り病院で迎えるべきである。
結局、死にゆく個人の問題ではなく、残されし者たちの問題であると思う。たぶん、最後は痛いも痒いも無く、意識はぶっ飛ぶと予想される。我が亡父も我が母もどちらも全く同じだった。痛いも痒いも言わなかった。
下元さんと判明監督は我が青春時代の成人向け映画出身。懐かしい。
『セーラー服色情飼育』可愛かずみさんと下元史朗さんの共演が懐かしい。
・赤塚不二夫のギャグ・ポルノ 気分を出してもう一度
・下落合焼とりムービー
・Mr.ジレンマン 色情狂い
全て1979年に上演された。
主演のお父さんの初期代表作である。つまり、この類は成人向け映画なのである。
余り、語られないが、病院での尊厳ある死は、法令で決めなくとも現存する。余り、語れないだろうが。勿論、違法ではない。
あの世から帰って来た人は一人だけいる。
『ジーザス・クライスト・スーパースター』
なお、臨終のあと24時間火葬までの時間を置くが『生き返る事ありますか』と医者に聞いた所。『絶対にありません。あったら、かわいそうでしょ』って言われました。
まぁ、どちらにしても、この映画見て『PLAN7〇』の様な事態を考える者はおかしいと感じた。
追記
『痛くない死に方』あと8年の命の僕としては、それを望むなら、認知症になる事だと思うけどね。だから、痛くとも生きていたい。
点滴で 溺れ死ぬより 枯れて死ぬ
患者をただ生かすことが盲目的な至上命題となっている医師、延命治療で患者の苦しみを経営の土台としている大病院、在宅医療で苦しんでいる患者家族。終末期医療の現場で起こっている様々な問題を見事にエンタメに昇華させた作品。
主人公河田は開業への足掛かりに在宅医師になったものの、その多忙さ故に妻には逃げられ、いつしか仕事もおざなりになり、担当患者への接し方も事務的になっていた。
そんなとき河田の患者が激しい苦痛の末に亡くなってしまう。遺族に責められた河田は先輩医師長野のアドバイスを受け、自分の苦痛緩和処置にミスがあったことを知り愕然とする。
病院のカルテだけをうのみにして自分の目で患者と向き合っていなかったことに気づき、彼は遺族に謝罪する。
本来、医師のほうから謝罪するのは裁判で不利になるため自殺行為だ。しかし、遺族は彼を訴えなかった。
それから二年が経過し、長野の下で終末期医療に携わる河田の姿があった。今彼が担当している患者は元大工の本多で昔ながらの職人気質の人間だ。
本多は末期の肝ガンであるにも関わらず、生来の性格からかあるいは周りを気遣ってか、常に明るく振舞い周りを和ませる人懐っこい存在だ。また付け焼刃で彼が読む川柳もユーモアにあふれていてそれが心を和ませる。
しかしそんな彼にも死の恐怖は訪れる。弱気になりそれが川柳の文字に現れそうになるのをこらえて消しゴムで消す。
時には川柳を楽しみ、時には縁側で花火を見ながらの晩酌、そして煙草もふかす。そこには終末期の悲壮感は一切感じられず、ただ死を迎えるまでの穏やかな時間が過ぎてゆく。
そして本多にもついに「死の壁」が訪れる。終末期医療にとって最後に越えなければならない壁だ。それを乗り越えたとき安らかな死が待っている。
患者が苦しむ姿を目の当たりにした家族はついつい救急車を呼んでしまう。しかしそうすれば待っているのは大病院によるチューブにつながれた延命治療という無間地獄だ。
そこには本人の意思など関係ない、ただ病院側の都合で生かされ続ける、まさに生きる屍とされてしまうのだ。
「死の壁」を乗り越え安らかに逝った本多。大病院は断片である臓器を見る、しかし自分は患者の物語を見る、つまり患者の人生に寄り添うということ。師匠である長野のその教えを全うした河田はかつて自分を訴えなかった遺族の期待に応えた。
私たちが経験したような辛い死を迎える患者を二度と出さないでほしい。そんな遺族の切実なる思いが河田には伝わっていた。
在宅による終末期医療を描いた本作。前後編に分かれた二部構成。前編はとにかく終末期医療のつらさをこれでもかと見せつけられる。病人を演じた役者さんの演技はすさまじく、介護する側の演技もリアルで、それを見せられるほうも精神的にかなり疲れる。
その苦しみの原因の一端を担った医師の成長を描く後半は対照的にユーモアに溢れた救いのある内容になっていて、他のレビューでも書かれていたが、「おくりびと」を彷彿とさせた。
重いテーマをエンタメ作品に昇華させた高橋監督による見事な作品。今は無きテアトル梅田で鑑賞。再投稿。
死生観を問う社会派ドラマの傑作
タイトルに、そりゃーそうだとは思いながらも終末医療なんて辛い話なんだろうなと身構えつつ、製作陣の並々ならぬ顔ぶれを見て鑑賞することに・・。先輩医師役の奥田さんは柄本佑の妻、安藤サクラさんのお父さんというのも興味深い。
終末期の患者の在宅医療に携わる若い医師の葛藤と成長の物語、原作、医療監修は実際に1500人以上を看取ったという尼崎市の在宅医・長尾和宏さんだから重みが凄い。確かに前半は深刻な描写も多く辛かったのだが、宇崎さん登場で一変、終末川柳は高橋伴明監督自身が創られたそうだが素晴らしい脚色、このエピソードのお蔭で観ている私も救われました。誰にも訪れる終末、できるなら周囲を笑わせて逝きたいものですね。
死生観を問う社会派ドラマの傑作でした。
死に方にも色んな形がある
痛くない死に方というタイトルだけみると、人をどんな殺し方をするのかと勘繰ってしまうように感じたけど、それ以上のものがあった。
在宅医療で活躍する実際にいる医者の方を基にした作品です。
「病院で死ぬよりも家で死にたい。」
たしかにこれは狭苦しい環境の中で淡々と進む時間を殺風景な中で死ぬよりももっと慣れ親しんだ所で死にたいという願いがあるかもしれない。
それは、僕自身も同じような状況に置かれた場合それを強く望むと思う。
ただ、その事によって一緒に暮らす人にどれだけの苦労をかけるまで想像を働かせる事が出来ていなかったと改めて気付かされました。
四六時中ベットの側で自分の為に献身的に家族を働かせる。
家族だからそれをするのが当たり前でしょ!って傲慢に考えてしまう部分も否めなけど、立場が違うだけでこれほど感じるものが変わってくるのかなという部分が強く描かれていました。
生きる事は、食べる事。
苦しまずに死ぬ為には、必要以上に救急に頼っては、いけない。
自分が今まで常識として捉えていたことを覆された。
家族の為にこれだけ自分を捧げるのも大変だけど、それ以上に在宅医療という職種の辛さを勉強になりました。
色んな処置を施す医者がいるが死ぬ為にどんな事を教えてくれるか?そんな医者は、多くないだろうと感じました。
理想的な逝き方はある!と教えられた映画
第一派に乗り遅れてやっと鑑賞できた。評判が良い理由がよく分かった。観られて本当に良かった。
若過ぎて知識も経験もなく、悩みながら不治の病にかかった家族の命と向き合った辛い記憶がある。
坂井真紀さん演じる智美が自分の姿に見えて胸が苦しかった。
もっと早く本作に出会えたら…こんなに何年も後悔しなかったかもしれない。
大切な人を看取ることは本当に難しい。人生に何回あるかは人それぞれだけど、人の命に向き合うことは正解のない課題だと思う。
私は親に痛くない逝き方をさせてあげられなかった。今でも後悔に苛まれている。
在宅医が執筆した小説がどんどん出版されて映画が公開される昨今。私は心のどこかで小説みたいにはいかないよ、とやや否定的に観ていた。
でも本作は具体的な在宅医療での看取り方がレクチャーされていて、それが観た人の看取りのスキルになる。それと同時に逝き方のスキルにもなるわけで…
ひとことで言うなら、死を穏やかに迎えるためのスキルを学べる映画!
在宅医の先輩後輩を演じた奥田瑛二さんと柄本佑さんの義理親子共演がとても良かった。演技の背後に2人の関係性が見える。
宇崎竜童さん演じる末期癌の本多さんの逝き方と大谷直子さん演じる奥さん看取り方が素晴らしくて、ああ私もこんな美しい逝き方をしたいという目標になった。
本多さん、完璧です!
テーマは、在宅医師・尊厳死
「けったいな町医者」を鑑賞して感銘し、「痛くない死に方」も鑑賞。テーマは、在宅医師・尊厳死。在宅医師の河田仁(柄本佑)は、妻の智美(坂井真紀)と離婚。彼は、在宅医先輩の長野浩平(奥田瑛二)に付き添う事で次第に覚醒してゆく。在宅介護を選んだ本多彰(宇崎竜童)と妻の本多しぐれ(大谷直子)、担当医の長野浩平(奥田瑛二)と看護師の中井春菜(余貴美子)、河田仁(柄本佑)の人間模様。安らかな尊厳死を迎える事は、中々に難しい。本多彰(宇崎竜童)の死に様は天晴れ、それを支えた関係者に拍手。「在宅医師・尊厳死」について貴重な学びが出来た映画やった!
ためになった
・在宅医療の知らなかった事を色々と知ることができて為になったと思った。個人的には免許更新の時に観るような起伏の少ない落ちの見えたストーリーを超豪華な俳優陣で作ったような感じがした。とはいえドラマとしての盛り上がりとかがほとんどないように感じたけど、テーマもかなりきついのでこれぐらいが丁度いい気がした。知らなかった事がすーっと入ってくる感じが良かった。
・その中で印象深かったのが在宅医療を選んだらもう病院とは関われなくなるという感じだった。状況次第でいつでもどちらかを選択できるのかと思ったら、どちらかを選択したらもう戻れないという感じに見えた。特に在宅時に喉に餅をつまらせて救急車を呼ぶ呼ばないでざわついて、呼ぶなと言われた後、管をつけられるだけだから入院させられるっていう感じに驚いた。誤嚥性肺炎が食事よりも寝てる時のタンが原因が多いっていうのには驚いた。
・主人公の河田が在宅医療に対してやる気がない中、大貫さんに貴方に頼んだ事を後悔していると、心が痛いなどきつい事を言われた後、在宅医療への姿勢を改めるのが早いなと思った。やる気がなかったんなら、そういわれたら投げ出しそうだなぁと。酒飲んで呼吸の映像観てたりしてたし。とはいえ、そこを長々とされてもなぁとも思ったりする。もちょっと悩むシーンが観たかった。
・とても暗くしんどい話かと思ったら、そうでもなかった。
・前半の父親の亡くなるシーンと入院の際のがん難民の話や、後半に亡くなる直前の様子の説明で、あぁやっぱり亡くなるんだよなって感じがきつかった。
・映像の物語のおかげで一度疑似体験できたような感覚になれて良かった。
・あれだけ寄り添って在宅医療をしてくれる人はどれぐらい居るんだろうと思った。むしろ、ほとんどが前半の河田みたいな人なんじゃないかと思うと苦しくなった。私生活がほとんどないような仕事で頭が下がる。
看取るということ
在宅医療の現実を描いた映画ということで、大変興味深く鑑賞しました。
著者の長尾先生挨拶の回でしたので、満席でした。
物語の前半は、終末期患者も家族も大変厳しく、
また柄本佑演ずる在宅医も、医者としての姿勢が厳しい中で、どちらも苦しい最期が描かれていました。
患者は一般な治療を拒否し、家族は日に日に悪くなる患者の看護に生活を心を疲弊していく。
頼みの在宅医看護師も連携悪く、患者さんをモノとしか
見ていないような感じで…
患者役の、壮絶な苦しむ演技を見て、痛くない最期を迎えたいと感じました。
そうなると合法な薬品投与で、意識混濁の中最期を迎えるとは思いますが。
後半は、在宅医の先輩との研修で成長した、柄本在宅医が、前半とは別人のように生き生きと患者と向き合っていきます。
在宅医療に従事する若手医師・河田(柄本佑)。 日々の仕事に追われ、...
在宅医療に従事する若手医師・河田(柄本佑)。
日々の仕事に追われ、妻との仲も崩壊寸前。
そもそも河田は、「開業医への近道」という理由から在宅医師を選んだのだが、同期の若手医師たちは大学で准教授に推薦されたりしており、社会的ステータスは開くばかりだった。
そんな中であった患者は、末期の肺がんを患う井上(下元史朗)。
痛みの伴う抗がん剤治療や手術、延命治療を拒否し、娘・智美(坂井真紀)の意向も受け入れて、在宅医療を選択したものだった。
しかしながら、十分な緩和ケアも出来ず、あっという間にもがき苦しむ中で最期を迎えてしまう。
家庭崩壊のプライベートを抱えた河田の、傍でみていても「親身でない・熱心でない」と思える対応。
そして、遅れてやって来た臨終の場で、娘・智美からは決定的な言葉を投げつけられる。
「あなたを在宅医に選んだわたしの心が痛いんです・・・」
というところからはじまる物語だが、記したところまででほぼ映画の半分程度まできています。
とにかく、もがき苦しむ患者の姿が痛ましく、それを在宅で看護する娘の姿がつらい。
かなりのリアルさで、井上演じる下元史朗の肉体は、やせ細り、弱弱しく、本物の患者と見紛うばかり。
落ち込んだ河田は、在宅医療の先輩・長野(奥田瑛二)に相談し、その際、呼吸に苦しむ井上のビデを映像をみせるのだが、長野はその映像をみて、「自分なら、慢性閉塞性肺疾患(COPD)を疑う」と言う。
また、「大病院が出したカルテは疑え。在宅医はカルテではなく、患者そのもの、ひとをみるんだ」とも忠告する。
井上の死に責任を感じた河田は、智美のもとを訪れ、焼香するとともに平身低頭で謝り、悔やむ・・・
そして、長野が主催する在宅医療センターで働き、2年後に出逢ったのが、末期の肺がん患者である本多(宇崎竜童)だった・・・
前半の井上の在宅医療が、理想からほど遠い姿だとすると、後半描かれる本多の姿は、理想の在宅医療だといえます。
医師も、患者のすべて、ひとを診(み)、患者も死ぬことを受け容れたうえで、医師に託す。
本多の妻(大谷直子)、在宅看護師(余貴美子)も含めて、まさに理想的な関係のように感じました。
前半の厳しさ溢れる演出から一転、和やかな雰囲気を醸し出しているのが、本多が詠む在宅医療川柳(もどき)で、要所要所で画面上でオーバーラップされます。
そのとぼけた句も心を和やかにさせます。
なかなか、このような理想的な死に方はできないだろうなぁ、とは思いますが、そういう理想的な死に方をみせてくれるあたりに、ある種の安ど感を覚えました。
<追記>
在宅医療のスペシャリスト・長尾和宏の『痛い在宅医』『痛くない死に方』をモチーフにした映画ですが、その長尾和宏を撮ったドキュメンタリー映画が『けったいな町医者』。
こちらも機会があった観てみたいです。
覚悟と悟りと
終末期の患者を診る在宅医の話。
ステージ4の肺癌患者の診療で後悔をした在宅医としては経験の浅い医師の主人公が、先輩の院長に相談し、学ぶストーリー。
人それぞれだとは思うけれど、妻を看取った一人目の夫の死に対する覚悟がなかったり、本人を苦しめるリアクションに少し違和感を覚える始まり。
そして本題が始まり、あらすじにある大貫家の件へ。
手術をを拒んだ上にその状況で在宅での治療を望む娘と緩和ケアを望む本人の選択と、臨終後の娘の発言にも相容れず。
謝罪も今更で、迷い後悔させるだけだと思うしね。
とまあ、死生観は様々だろうけれど、多分、否、かなりドライな自分にはイマイチな序盤。
実際、自分の親もその親も、自身の最後は正にリビング.・ウィルそのもの+自宅で家族に手間をかけさせるのは望まないという選択をしてきた家系だし、自分もそれが理想だし。
そして2年後、本多家の件はもう、やり過ぎなくらいの素晴らしい展開で、これなら自宅という選択も良くわかるし、温かく胸アツだった。
…まあ、それでも自分の時は自宅は望まないと思うけれど。
フリとはいえど、大貫家のやり過ぎ感にちょっと引っ張られ、最後までその感情を引きずってしまったのでちょっと勿体無かったかな。
泣けるし笑える。 老若男女問わず、多くの人が見るべき映画。医療の問...
泣けるし笑える。
老若男女問わず、多くの人が見るべき映画。医療の問題点、介護の大変さ、そして、自分で死に方を選ぶ大切さを知ることができる。
しかし、かたい映画ではない。泣けて嗤える。ベテラン俳優陣の名演技に脱帽した。
小学校高学年の子供を連れて行ったが、川柳を楽しんで、最後のお葬式で泣いていた。
ドキュメンタリーよりも迫真的
前半・後半と、はっきり分かれた作品である。
前半は、ドキュメンタリーよりも迫真的で、イタ過ぎる内容であった。
在宅医療の“負の側面”が詰まっていると思う。意図的に、問題のあるケースを取り上げたのかもしれない。
苦しくなると「電話で医者を呼べ」と要求する、虫の良い患者。
「標準」治療を拒否したため、大病院からの拒絶にあい、医療“難民”と化している。
家族は、“下の世話”だけでなく、深夜も付きっきりで疲労困憊だ。
看護師では対応しきれない問題が起きれば、専門知識もなく、オロオロするしかない。
しかし、医者は10日おきにしか来ない(“訪問診療”)。しかも、肺気腫を疑わず、誤った措置を選択する・・・。
この映画に不満があるとすれば、この前半部分で提示してみせた問題点を、完全に積み残したまま、後半に突入することだ。
つまるところ、医師のこまめなケア、そして「看取りの実績からの確信」だけが、解決のカギなのだ。
では、そういう資質をもった医師がいない患者は、どうなるのか?
依然として、現実は厳しい。
後半は、一転して在宅医療の“正の側面”が描かれる。河田医師が“成長”したからである。
先輩医師は諭す。「町医者は、臓器ではなく人間を見ろ」、「(慌てず)待てる医者になれ」。“効率性”とは真逆の、リスクのあるアプローチだ。
時に、科学的でさえないかもしれない。しかし“臓器”ではなく、“人間”の問題として見た場合、“効率的”な選択は、“自然な”選択とは異なることもあるだろう。
「人生会議」という言葉を自分は初めて聞いたが、「いつもやっているよ」、「1回2回やっただけ」ではダメだと言う。
河田医師も、先輩医師と同様に、白衣を捨ててフットワーク軽く“往診”へ向かう。
患者が、さかんに“終末期川柳”を詠むのだが、
「救急車 在宅看取り 夢と消す」
「尊厳を 遠くの親戚 邪魔をする」
の2つは、印象に残った。(細かい語句は聞き間違えかもしれない。)
ドキュメンタリー映画「けったいな町医者」の、劇映画バージョンなのかなと思っていたら、とんでもなかった。
2つ合わせて、初めて完成する内容だ。
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