「『おーい』 と 呼べば あいよ と答える。」HOKUSAI マサシさんの映画レビュー(感想・評価)
『おーい』 と 呼べば あいよ と答える。
『こんな所でうかうかしてられない』
壱の章の最後で蔦屋さんが言う言葉。
こんな狭い日本なのに、日本中にレンタルチェーンを作るから、独自のレンタル店が無くなり、それが封切り映画まで波及して、映画を上映する場所までチェーン化して、見られる映画が限られて、何処でも同じ作品の上映になってしまっている。勿論、動画配信者も同じ。
と言いつつ
本末転倒しているね。配給会社が少ないんだね。
まぁ、『出る杭は打たれる』って当該映画の中でも言っている。
『お栄』てはない。葛飾 応為である。多分、口語で言えば『かつしかおうい』である。つまり『かつしかおーい』なのだ。
彼女の書いた絵が、原宿の美術館に所蔵されている。
北斎は世界に誇れる芸術家ではあろうが、芸術品を金銭的価値として、市場に出した場合。残念ながら錦絵はただの印刷物である。つまり、同じ絵が印刷物として沢山あるし、現在でも版木があれば制作は可能だ。つまり、肉質画でなあいと、市場に出しても価値が落ちる。
先ずはそれを頭にいれておくべきだ。
1年後の旧国営放送の大河ドラマは、どうやら浮世絵関係の誰かが主人公のようだ。蔦屋さんは、浮世絵文化の功労者だとは思うが、残念ながら、芸術家だったとは言えない。
地中海のどこかで写楽の肉筆画が見つかったと報じられているが、芸術性はともかく、写楽と断言して良いか?それはまだ研究の段階である。
この映画は脚本家自身がお栄を演じていたのでストーリーに期待して鑑賞したが、北斎のビックネームに遠慮して、親父の方を主人公にしてしまっている。
また、円山応挙を含めれば、春画から大和絵まで書ける絵師として、円山応挙が江戸時代の代表的絵師と考えている。
円山応挙は春画から大和絵まで書いた画家と僕は決めつけている。
二回目の鑑賞であった。