「「第二次世界大戦は75年前に終わってしまったし、これはドイツの話。...」ジョジョ・ラビット IvoryK2さんの映画レビュー(感想・評価)
「第二次世界大戦は75年前に終わってしまったし、これはドイツの話。...
「第二次世界大戦は75年前に終わってしまったし、これはドイツの話。まあ、気楽に戦争を茶化した映画を観ればいい。」
なんて思いながら観てたんですが。
「(戦争をはじめるのは簡単なことだ)、国民は常に指導者たちの意のままになるものだ。簡単なことだ。自分達が外国から攻撃されていると説明するだけでいい。そして、平和主義者については、彼らは愛国心がなく国家を危険に曝す人々だと公然と非難すればいいだけのことだ。この方法はどの国でも同じように通用するものだ。」(H.ゲーリング)
ヒトラーに忠誠を誓い、一人前の大人になるために、つまり、世界に冠たるドイツ国民として、ヒトラーユーゲントのキャンプに参加する10歳の少年ヨハネス
指導教官が陸軍大尉のクレンツェンドルフ
日本の戦争末期と同じく、まともに軍事情勢を判断できる将校なら、敗戦は間近であることは分かっている。
戦場がどのような場所であるかを知っていたのだろう、子どもたちを今更戦争に巻き込もうなんて気はなく、ヒトラーに忠誠を誓う子どもたちの戦争ごっこに付き合う。
ヨハネスの母ロージーと、この大尉だけが、正常な判断力を維持しているドイツ人として登場する。
たいていのアメリカ映画は、どんなに残虐非道な映画でもアメリカの民主主義の権化みたいのが登場して、、、、大抵、生き残る。
映画を観て言る側は、その民主主義の権化に自分を投影するものだから、ホッとして映画館を出ることができる。
しかし、この映画のクレンツェンドルフ大尉も、ロージーも生き残りはしない。
ゲシュタポに身分証明書を見せるように迫られたユダヤ人エルサは、死んだヨハネスの姉の身分証明書を見せようとするが、とっさにクレンツェンドルフ大尉がそれを取り上げ、身分を確認する。
「生年月日は?」
「1929年5月1日」
身分証明書にある日付は、5月7日だった。
しかし、クレンツェンドルフ大尉はそれを不問にして、エルサを解放する。
クレンツェンドルフ大尉とロージーに守られたヨハネスとエルサは、生き残る。
ヨハネスとエルサは、ロージーが自由な人がそれをすると言ったダンスを始め、映画が終わる。
これは「第二次世界大戦は75年前に終わってしまったし、これはドイツの話。」と思っていたが、「今の日本に向けた映画だったか」と思った。