「『すべてを経験せよ 美も恐怖も 生き続けよ 絶望が最後ではない』」ジョジョ・ラビット いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
『すべてを経験せよ 美も恐怖も 生き続けよ 絶望が最後ではない』
ジュヴナイル系の半年限定(但し、波瀾万丈)少年成長譚のかなりクセの強い今作。日本にも終戦を扱う作品があるように、ヨーロッパでもそれは当然起きている。その狭間で今迄の国粋主義と、並列する人種差別主義に洗脳されていた10歳のこまっしゃくれた少年が過酷な運命を辿る内に段々と改心していく構成である。自分の知り合いも某隣国の出先団体主催のサマースクールに参加した経験を教えてくれたが、確かに10代前半の未だ社会の無理解な状態での親元から離してのシステムとしての洗脳は大変効果的であるようである。それは喩えるならば真っ白なキャンバスに赤のインキが滲み、端まで染み渡るが如くであるらしい。勿論、帰宅すればあっけなく洗脳は解けるようだが、恐ろしさは身につまされる。
全編通しての生温いギャグセンスは、チャップリンオマージュがベースであろう。実際に10歳の子供にあれだけの戦闘経験があったのかどうかは未調査であり、フィクションとはいえ俯瞰で観る“戦争ゴッコ”がそのまま殺傷行為に繋がる危うさを、かなりのエキセントリックさで構築されている所に唸る。主人公及びその親友の男の子の、デフォルメされた動きや表情は大変愛らしく、まるで子犬がじゃれ合うような錯覚さえ覚え、これの演技指導があったのか素なのか大変驚かされる。戦争の悲惨さと対と成す、例えば、無事を喜び抱き合うシーンに代表される子供の動きのコミカルさ等、その構図は片渕須直監督“この世界の片隅に”のアニメとしてのコミカルさに通づるイメージを想起させるのだ。主人公に降りかかる過酷さも又、前述の映画と同様、心が抉られる仕打ちに観客も苛まれる。街中の首括り晒しの中によもや母親の靴を発見する件は、かなりのショッキングさに、実は違う人が履いていたなんていうオチを期待してしまった程であるが、ストーリーはそんな甘さを吹っ飛ばす流れだ。
あの時代の中に於いても、個人個人は様々な人格や思想を持っていて、上官の同性愛指向を匂わす件、そして嘗ての姉の友達であったユダヤの女の子の機転鋭い行動等、その生の体験こそ、少年をこの短期間に何倍も成長させる“薬”なのである。洗脳されまいといきがり、少年期独特のイマジナリーフレンドである“総統”を使って何とか自己肯定を試みても、そもそものベースは兎を殺せぬ優しい紳士の素養をしっかりと根付かせているのだから、元々掛かっていたマインドコントロールが解かれた時、その清らかな心と、母親が育んだウィットに富んだ機知は見事に開花することは必然である。愛するが故、又は肉親さえも失った孤独への恐怖が原因の少女への嘘は、しかし少女も又、ビンタと同時にこの少年のこれからの成長を見届けたい期待が膨れ上がり、デヴィッド・ボウイがベルリンの壁近くで演奏した曲に併せてのダンスという演技でカタルシスを披露する。冒頭のビートルズ『Komm, Gib Mir Deine Hand』も又、彼等のハンブルグ武者修行時代の思いが伝わる素晴らしい選曲だ。
ドイツ語での台詞じゃないところに反発もあると巷では流れているが、そもそもが寓話的要素も緻密に織込んでおり、リアリティから距離を置き、まるで絵本のようなストーリーテリングに没頭する脳内転換が出来れば、今作を観る素養は充分である。
今迄結べなかった靴紐を、しっかり結んで上げた時、大人として又、善き人としての階段を登り始めたあのビックリ顔の愛らしい主人公の愛おしさを、ずっと観続けていたい、そんな暖かい気持に包まれる作品である。
レビューとは関係無い、個人的な事情を話したい。
今回の作品を最後にレビューをアップすることを最後にすることとする。理由は仕事が変わる予定であり、映画鑑賞が儘ならないことである。この何年も自分なりに少なくない本数を鑑賞することができた。時には趣味趣向と違っていたテーマにぶつかることもあったし、何より作品の感想など烏滸がましく人様に晒すなど恥以外の何ものでもないと躊躇したが、しかし自分が観てきたこの“総合芸術”に対する気持をどこかに留めておき、記憶の散逸阻止の重要性を大事にしたい思いが勝ち、ここまで記録できた。本当に嬉しい、感慨に浸る心地である。
勿論、拙い文章構成力、乏しいボキャブラリー、何より表現力の圧倒的欠乏と、全く成長できない原因は、努力不足と、研究不足に他ならない。こうして足りないものを羅列して落ち込めるのは、お金を貰って書いている訳では無いというエクスキューズのお陰だ。自分の為に記録しているのだからそこまで卑下しなくてもいいかと楽したいのだが、的確で“芯を喰った“コメントを頂けるレビュアーの方々への申し訳なさだけは心に留めておこうと思う。お目汚し、本当に失礼しました。
唯々、感情に任せて読むに堪えないレビューをアップする人もいる。鑑賞した映画の挙げ足取りに始終し、挙げ句に監督を含めた制作側の信条に迄攻撃を仕掛ける。無料で観た訳ではないだろうに何故作品と向き合えないのか。脳や心がフィルターとなって、映像は様々な解釈に化け、自分自身に化学反応を起こす。脊髄反射だけで映画を観ることこそ、金をドブに捨てるようなものだ。例え自分とは違った思考であろうとも、それを冷静にかみ砕く力を人間は持っている筈。しかし、その思考には前提がある。
『馬鹿にするな』
これが唯一の基準だ。人を蔑む行為程、愚かしくそして汚いものはない。汚物を口一杯頬張ったその臭い頭で、いつものように素っ頓狂で見当違いの人格否定を繰り返すレビュアーにもう一度言いたい。
『馬鹿にするな』
他者を認める事は本当に苦しいし、厳しい。しかし、自分の持っている浅はかな蟠りを気負いせずに放り投げた時、スクリーンに映る様々なシーン、カット、一連のシークエンスは自分達を奥深い人間へと作り替えてくれる筈である。
又いつか、レビューが書ける環境が訪れる迄 ありがとうございました。