「笑いながらいつしか自分の独善性を疑う」ジョジョ・ラビット masakingさんの映画レビュー(感想・評価)
笑いながらいつしか自分の独善性を疑う
偶然予告を観て、関心事として急浮上したので脊髄反射的に鑑賞。
登場人物がみな魅力的で、チャーミングだった。
なかでもスカーレット・ヨハンソンは出色の演技。
大いなる愛と母性と父性を兼ね備えたグレートママ役が堂に入っていた。
小生意気なのに守ってやりたくなるジョジョももちろんだが、
トーマシン・マッケンジー演じるエルザが大胆さと繊細さを代わる代わる見せて美しかった。
(名前の発音はトーメイスンだと思うんだが、あっちこっちのサイトがみな違う表記で笑った)
戦争をシニカルな笑いに包んで批判する映画は今に始まったスタイルでないが、
この作品がこれまでと少し異なるのは、明らかに人種間の幼稚な忌避感情を丁寧に描いている点だ。
「我が民族は…」という矜持は誰の心のなかにもある。
ただ、自らの内面に知らず知らず継承され根付いた美徳を、
贈り物として感謝するだけで十分であり、
それを他者と比較して優位性を誇ったりするのはとても下品な考え方だ。
ましてや他者を低く見て憎悪や軽視の材料にするなど、
それこそ「御里が知れる」態度である。
タイカ・ワイティティ監督のシンプルなシナリオは、
偏見や優生思想の愚かさを、ジョジョの想像上の友人であるアドルフや、
秘密警察の男たちの幼稚で滑稽な姿に戯画化して表現した。
一方で、それらと同類と見せかけて、全く異なる一面を有したサム・ロックウェル演じるクレツェンドルフ大尉が、最後に見せる振る舞いに、心が熱くなった。
監督は、きっと人間には本来この大尉のような善の心がどこかにあるのだと信じているのではないか。
ジョジョがナチスの思想を絶対と信じて疑わなかったように、
誰の信条や正義にも独善的な部分は必ずある。
自分の独善性に対する自覚をある一定数の人間が失えば、
またいつでもナチスと同じような惨禍は起こりうる。
過剰な自己規制も不愉快ではあるが、
謙虚さを欠いた自己の正義に対する絶対視は、
人をいとも簡単に加害の側に居座らせる。
恐ろしいのは、自分が立っているところがどこなのかに気付かないことだ。
「ジョジョ・ラビット」は、そのような意味で、とても現代的な映画なのだと思う。