「日本人だからこそ生み出せるウルトラマン哲学」シン・ウルトラマン 終焉怪獣さんの映画レビュー(感想・評価)
日本人だからこそ生み出せるウルトラマン哲学
空想と浪漫。そして、友情。
生粋のウルトラシリーズファンです。
現行の最新作トリガーまで鑑賞しております。
2022年の邦画に於いて最も待ち望まれた作品ではないでしょうか?
公開前に総監督が庵野秀明ではなく、樋口真嗣と聞いて少しだけ不安にもなりました。
樋口真嗣は特技監督としての手腕は信じてます。
しかしかつてシン・ゴジラが、あれ程までの傑作になれたのは、庵野秀明が邦画のテンプレを破壊する為に俳優陣に忖度しなかったからこそ。
樋口真嗣は優しすぎるので邦画の悪い癖が出てしまうのではないかと疑ってしまいました。
しかしそれは全て杞憂でした。
樋口真嗣監督の元、スタッフ・キャストの皆様の熱意は充分に伝わって来ました。
以下、本作の良かった点と悪かった点を。
【良かった点】
○何よりも作品の方向性が素晴らしい
私的にゴジラとウルトラマンは戦争を体験した日本人が生み出した人類哲学の総括に位置する作品だと思ってます。
ウルトラマンは「人類とは何なのか?」を常に説いてきた作品です。
PVにも映っていた「野生の思考」が正にそれです。
ここでウルトラマンを構造主義的観点で描こうとする部分に庵野秀明の熱意が伝わって来ました。
ウルトラマンの精神面から観測した人類。
人類の精神面から観測したウルトラマン。
ウルトラマンを見続けてきたあらゆる疑問への解答が心地良いです。
特にウルトラマンとメフィラスの問答は、必聴かと思います。
我々、人類の視野の狭さに忸怩たる思いを抱きました。
○禍威獣と言う名の美しさ
長らく我々が「怪獣」と呼び、書き続けて来た言語が更新された。
既存の言語が変化する事は国の文化が豊かである証左だと思っています。
ここに日本文学と禍威獣の双方の密接性と美しさが現れている。
ゴジラが現実の国難の度に真価を発揮するようにウルトラシリーズの禍威獣が、新たな語彙を獲得した事に意味があると思う。
○圧倒的なCG・VFX表現
日本では優秀なCGクリエイターがゲーム業界に流れていく傾向にあります。
それ故に国産ゲームの映像は世界トップクラスなのに対して邦画は、大きな変化が見られない現状。
しかしそんな不安を払拭する見事な表現でした。
ウルトラマンを筆頭にネロンガ、ガボラ、ザラブ星人の映像が素晴らしい。
レジェンダリーのモンスターヴァースに劣らない生物の躍動感が表現されていました。
又、破壊描写も圧巻!
予告にもあった山を穿つスペシウム光線の他に建造物の破壊描写の緻密性も素晴らしい。
しっかり夜間の市街地、工業地帯とお約束の場所での戦闘シーンは最高です。
八つ裂き光輪が回避された後の工業地帯への被害描写なんて堪らない!
○鷺巣詩郎の音楽
エヴァやシン・ゴジラ同様に映像より目立たず、かと言って印象が薄くもない。
映像をより引き立てる素晴らしい役割を果たしていました。
又、劇中曲がオリジナルから引用して来たものばかりで終始ニヤニヤが止まりませんでした。
選曲をした人物は言わずもがな。
○登場人物の台詞
この言葉選び、語彙表現に関しては安定の庵野秀明脚本でした。
部分的に一般層が好みそうな台詞が組み込まれてはいるものの、
全体的に昨今の邦画業界のありきたりな台詞に媚びず、
観客の知性を信じ、引き上げる表現に好印象。
物理学、生物学などあらゆる専門学の単語の羅列は、シン・ゴジラを思い出して心地良い。
○感情移入と共感性の意義
昨今の観客は感情移入を人間ドラマによる登場人物への没入感を指し示す人がいるが、それは間違いである。
それは共感であり、感情移入とは総合芸術たる映画に於いてあらゆる要素に適用されるもの。
基本、日本人は無表情であり感情を爆発させながら会話はしない。
今の邦画は、役者が演技をし過ぎて逆に不自然。
だからこそシン・ゴジラでは、役者に演技をさせなかった。
それにより登場人物に共感出来なかった人々がいた。
それはそれでいいのですが、もう少し映画鑑賞のフォーカスを変えるのは如何でしょうか?
今回、フォーカスするべき点は
「ウルトラマンから見た人類」と「外星人から見た人類」、そして「禍威獣から見た人類」です。
ここを念頭に鑑賞すれば、この作品全体に感情移入が出来ます。
何より主人公はウルトラマンです。
ウルトラマンの気持ちを汲んで下さい。
○禍威獣のデザイン
いずれの禍威獣・外星人もオリジナルモデルを無理のないリアリティある造形に落とし込んであり、禍々しくも美しい日本の怪獣観が損なわれていなかった。
人間の発想は完全なる自由ではなく、現実世界と地続きのイメージの基に生物学的な成り立ちを露呈してしまう。
人間は形態学的感性から抜け出せないものだが、今回の禍威獣達は正に人間の感性への挑戦となっている。
私的にガボラとメフィラスのデザインが、とてつもなく素晴らしいと思う。
又、禍威獣達が放置された生物兵器と云う解釈も良かった。
何故、「ネロンガやガボラが酷似しているのか?」への解答でもある。
メタ的にスーツを改造して新規怪獣を生み出した先人達への敬意にも感じられた。
○禍特対
人間ドラマを省いてきたシン・ゴジラに似て非なる構成に拍手。
過剰な感情表現はなく、合間に然り気無い仕草や最低限の感情の暴露だけで友情を強く実感出来た。
シリアスとコメディのバランスも絶妙。
また出演者の中にシン・ゴジラの馴染みの俳優さんを配置する遊び心。
○冒頭の演出
ウルトラQ、ウルトラマンのあの演出が始まったらと思ったら「シン・ゴジラ」に笑ってしまいました。
また禍威獣第1号がゴメスだったのも最高です!
何からに何までウルトラマンファンを絶対に楽します気満々で良かったです。
○ゼットン
先ず誕生経路が、ウルトラマンを通じて哲学をして来た人々の答えが形となった事に嬉しくも切なくも感じた。
ウルトラマンはいずれの人類の敵となる。
否、正確には宇宙に害を成す人類が宇宙生命の敵となると言うべきだろう。
こうなるであろうファン達の考察通り、今作のゼットンはゾフィーによって生み出された。
天空のゼットンを傍目に日常を続ける風景は、現実世界と何も変わらない。
ゼットンのデザインも完璧であり、原典のゼットンの攻撃パターンを見事に再現している。
攻略法もウルトラマンファンならニヤリとする。
「ウルトラマンと人類が協力すれば倒せない敵などいない」。
ここはウルトラマンメビウスを観て来たファンならば胸に込み上げるものがあるかと思います。
○ウルトラマン
先ずはデザインですが、成田亨先生へのリスペクトが無ければ、完成しなかった完璧なるデザインです。
カラータイマーと覗き穴を無くしたのは英断。
成田亨先生が思い描いた「真実と正義と美の化身」たるウルトラマンをこうして拝める日が来ようとは...
圧倒的に美しいデザインに感無量です。
エンドロールに成田亨先生の名前が出た時は泣きそうになりました。
カラータイマー無しの活動限界をボディラインの色で表現したアイデアが良かったです。
スペシウム光線、八つ裂き光輪の表現も文句なし。
長らくファンの間で議論された「人格の主導権はウルトラマンなのか?ハヤタ隊員なのか?」についても今作はハッキリしていた。
○結末
続編も作れる結末ではありましたし、考察が捗ります。
ウルトラマンの自己犠牲、人類への想いに胸が熱くなりました。
ウルトラマンの期待を裏切りたくない気持ちで胸がいっぱいです。
仲間が見守りつつ、エンディングへの流れは余韻が残ります。
【悪かった点】
○ウルトラマンの戦闘時に於けるCG
シン・ゴジラ同様に意図的に嘘臭い表現している部分は分かります。
が、やはり偽ウルトラマンやメフィラスとの戦闘時は、明らかなCG臭さが目立っていました。
全体的に一般的な映画レビューではなく、小論文に近い投稿になってしまいました。
しかし冒頭に書いたようにゴジラと同様にウルトラマンとは人類学であり、現実に於いて思考する事のない複雑性を帯びた命題を投げ掛けてくれる素晴らしい作品です。
故に必然的にこのようなレビューとなってしまいます。
人類とは何者なのかと問われた時、怪獣を引用して解いてきたのが日本人。
それは戦争を経験し、戦後は荒廃した祖国の姿を見た人々だけが理解出来る哲学なのかもしれません。
しかし私は、このシン・ウルトラマンが提示してくれた疑問や哲学に深い敬意を表したいです。
ゴジラやウルトラマンを生み出した日本人だからこそ描ける普遍的な人類哲学があると再度知る事が出来て本当に嬉しかった。
最後に...
「空想と浪漫。そして、友情。」
このキャッチコピーに偽りなし。
長く続くウルトラマンをこのような形で生み出してくれたスタッフ・キャストの皆様に感謝を。
そしてウルトラマンと出会えた人生に感謝を。