「時代性とのシンクロがみごとです 大ヒットするのは当然のことです オタクが喜ぶ単なる怪獣映画 それにとどまってはいないのです」シン・ウルトラマン あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
時代性とのシンクロがみごとです 大ヒットするのは当然のことです オタクが喜ぶ単なる怪獣映画 それにとどまってはいないのです
想像以上でした
大満足です
今までオタクの脳裏で補完されてきたようなことが、巨額の予算とスケジュールで満足できるクォリティーで公式となった
そこに意義と価値があると思います
夢が叶った
生きてきて良かった
そう思える出来映えです
さすがは庵野&樋口コンビ
冒頭から目の覚めるような豪速球です
まず、ウルトラマンとはウルトラQと一体であることが提示されます
ウルトラマンを初めて体験するためには、ウルトラQ をまず体験していなければならないという強烈なメッセージです
全く我が意を得たり!膝を打つような思いです
ウルトラQ のタイトルの背景の不思議な空間は、多元宇宙らしいこともさりげなく示されています
今回の物語はベーターカプセルを中心に展開されます
ベーターカプセルについて深く考察したことがなかった自分にとり、さすが庵野秀明!と喝采しました
ウルトラマンや外星人がなぜ巨大化する事が自在に可能なのかについて納得の考察でした
山本耕史のメフィラス星人は見事に尽きます
メトロン星人のちゃぶ台談義に匹敵する居酒屋談義
伝説のシーンとして末長く語り草になるであろう名シーンでした
オリジナルのメフィラス星人登場回のフジ隊員の巨大化をそのまま踏襲して、禍特対の浅見分析官が巨大化しています
しかし、自分にはウルトラQの第17話「8分の1計画」を思い出しました
江戸川由利子はこのときのスカート姿でした
逆に小さくなっているのですが
モチーフは同じことです
何故に浅見弘子のスカート姿を、下から仰ぎ見るアングルで際どく撮るのか?
なぜに彼女は自分のヒップを叩くのか?
セクハラではないのか?
昭和の価値感ではないのか?
このような批判が集中しているようです
庵野&樋口コンビはそんな批判を受けることは百も承知してのことだと思います
というか敢えて批判させるように仕向けているとさえ思います
無自覚なセクシーシーンとか、無自覚なセクハラそんなことあろう訳がありません
それは21世紀に於いては、個々の価値感が巨大化して、我こそが正しい、現在の価値観で過去を罰する、それこそが正義であり、それに合致しないものは全てをなぎ倒しても許される
そのような風潮を表現しているのだと思いました
メフィラス星人の心理的侵略とはこういうものだという表現でもあるのです
自分には、巨大な釣り針に見えたのです
賢しげにセクハラだと批判すると、見事に釣られてしまうという仕掛けです
時代性の反映が効いています
禍威獣
怪獣ならぬ禍威獣
禍々しい威力のあるけだもの
科学特捜隊ならぬ禍威獣特設対策室、略称は禍特対
なぜ漢字を変えたのでしょうか?
別に怪獣であってもリアリティーは損なわないと思います
問題は「科学特捜隊」だったと思います
21世紀に実在する組織名としてはナンセンスな名称です
しかし「カトクタイ」という略称はどうしても使いたいという縛りがあります
怪獣のままでは「カイトクタイ」になってしまいます
だから一文字で「カ」と発音できる座りのよい漢字を持って来ないとならないのです
だから禍なのだとおもいます
禍はコロナ禍の禍だからです
21世紀の怪獣はコロナ禍として現れたのです
1950年代のゴジラは原水爆への恐怖の形
1960年代のウルトラシリーズの怪獣は突き詰めると文明の進展で変貌してしまう社会への恐怖の形でした
ならば、2022年の恐怖の形として、コロナ禍を避けることはできません
そして製作スケジュールからみてウクライナ戦争は本作に取り上げようがなかったと思います
しかし、不思議なことにメフィラス星人の侵略はウクライナ戦争と連動していると感じてしまうのです
2022年の時代性を濃厚に反映していると感じるのです
ウクライナ戦争、台湾や北朝鮮の有事
侵略は水面下でヒタヒタと身近に迫ってきている
その恐怖の形がしっかりと反映されていました
それは外星人という単語です
従来は宇宙人や異星人、○○星人でした
それが外星人で呼称が統一されています
外星人という言葉の使い方はオタクの間でも珍しいものです
自分にはとても耳につきました
外国人、外星人
考えれば普通にありえる造語のようですが、これまで使われた事例は思い当たりません
本作ではとても意図的に作られ選択された単語であると思います
1966年と2022年の相似形
冷戦とベトナム戦争
新冷戦と近づく台湾尖閣有事、北朝鮮有事、そして始まってしまったウクライナ戦争
矛盾に満ちてどうにもならなくなった世界
何か抜本的な解決策を社会が渇望するとき
その時、現れるのがウルトラマンなのです
なんという見事な解釈なのでしょうか!
ならばウルトラマンに全て任せて他力本願でよいのでしょうか?
そうではないはず
本作の終盤の展開のように打開策を求めて自ら戦うのは私達なのです
ウクライナも自分達だけでロシアの大軍に立ち向かっているではありませんか
逃げちゃダメだ!
本作もやっぱりそれがテーマだったのです
本作の公開が延期され、2022年に公開されたのは必然だったのかもしれません
時代性とのシンクロがみごとです
大ヒットするのは当然のことです
オタクが喜ぶ単なる怪獣映画
それにとどまってはいないのです