ゴッホとヘレーネの森 クレラー・ミュラー美術館の至宝のレビュー・感想・評価
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クレラー・ミュラー美術館に行きたくなる
ヴァレリア・ブルーニ・テデスキの語り、専門家の説明、ファン・ゴッホとヘレーネの手紙で構成されています。
絵を描いたファン・ゴッホと絵を残したヘレーネについて、良く理解できます。
ファン・ゴッホの人生も一通り説明されるので、分かりやすいです。
ドキュメンタリー作品で、字幕が長いので、映画館で鑑賞した後で、ブルーレイでも鑑賞したほうが、理解できます。
ファン・ゴッホの絵がなぜ愛されるのかについては、以下のように説明され、納得しました。
「彼の狙いは、動く人間だった。
ファン・ゴッホは日常を厳しいものと考えた。
美術や文学は、人々に美と休息と安寧を提供できる。
それが彼の芸術の重要な要素だった」
ファン・ゴッホの以下の言葉にも共感できます。
「変人の神髄を作品で見せてやる。
つまらない男の本質を」
自分の信念を貫き通しましたが、評価されずに、自殺という結果は残念です。
もっと、変人の神髄を作品で見せて欲しかったです。
ヘレーネの以下の言葉が心に残りました。
「今後の芸術界の動きとは、ファン・ゴッホに続く動きと伝統を追う動き
彼は我々や未来の人々に感じさせてくれる、人間とは何かと。
彼自身が何よりもまず人間だった。そして、次に画家だったの。
彼は皆が喜ぶ作品を描こうとしたのではない。
人間の魂の深淵に触れようとしていた」
ファン・ゴッホの画風が、デッサン、色彩豊かな油絵、色彩豊かな点で描く油絵、黄色と青色の色を使った油絵、彫刻的スタイルという厚塗りの油絵、円を描くタッチの油絵、うねる唐草模様の油絵、誌的で運命的な光が特徴の油絵と次々に変わっていくことを解説してくれます。
ファン・ゴッホの絵画がたくさん観ることができます。
有名な「ひまわり」は、残念ながら出てきません。
「ゴッホ展–響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」が開催されるので、行くことにします。
「ゴッホ展–響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」を観に行く前に、この映画を鑑賞することをお勧めします。
ヘレーネが消えた
芸術作品を淡々と観ていく映画なので、ウトウトしちゃうんだけど、それでハッと目覚めたらヘレーネ消えてゴッホの話になってた。
ゴッホは有名な傑作以外は、意外とそんなでもない作品が多いなと思ったよ。
ファン・ゴッホの最高傑作の数々がここにある
上野の森美術館でゴッホ展が開催中なので、予習気分で鑑賞。
ゴッホの個人コレクターとしては世界最大規模の収集家、ヘレーネ・クレラー・ミュラー。オランダ有数の資産家で、クレラー・ミュラー美術館を開設。その作品を紹介するドキュメンタリ。
まるで修道女のごとく、ゴッホの作品に生涯をささげた彼女。そんな豊かな彼女と、神の存在さえも疑う貧しかったゴッホとの対比は、巡り合う運命だと言おうか、神の皮肉とでも言おうか。
ゴッホといえば「ひまわり」や「糸杉」(ゴッホ展で展示)などが一般には有名なのだが、それはパリ移住以降の作品で、それ以前は農民などをテーマにした暗めの絵ばかり描いていた。農夫の労働を慕うゴッホの気分は、まるで用の美を賛辞を贈る民芸の世界のようだ。「じゃがいもを食べる人々」がその典型で、ゴッホ展ではリトグラフが展示されている。おおこれか、と感慨深く、ほかの鑑賞客よりは長めに見つめた。
当のゴッホ展はハーグ美術館収蔵の作品が多く、クレラー・ミュラー美術館収蔵のものは少なかったが、せっかく同時期の上映しているこの映画を観てからゴッホ展に赴けば、なにかゴッホ本人に近づけた気分になれる。半券提示で100円引き。
普通で標準的
全部観ていないので、レビューする資格はないが、期待したほど、ヘレーネおよびクレラー・ミュラー美術館の話は無いようだ。
ヘレーネの話とゴッホの話は別立てで、特に後半は、普通の“ゴッホ伝”になっている。
内容も、「2人の深層に迫っていく」と言うほどではない。“ゴッホ伝”は、標準的な解釈で、大急ぎに一通り語って終わる印象だ。
見所としては、
・前半で、ゴッホが描いたようなオランダの風景が映される
・現在、上野の森美術館で開催している「ゴッホ展」(~2020年1月13日)で展示されている作品を、いくつか観ることができる
ことだろうか。
ただしもちろん、ゴッホ好きにとって、大きなスクリーンで、解説付きで絵を観ることに、不満のあろうはずはない。
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