盲目のメロディ インド式殺人狂騒曲のレビュー・感想・評価
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見えてる目撃者
インドのタランティーノもしくはコーエン兄弟映画と評された犯罪サスペンス×ブラック・コメディ。
うむ、確かに!
一癖二癖ある登場人物たち、それぞれの思惑が交錯、騙し騙され…。
「?」と思ったウサギ狩りのOPがクライマックスに繋がった時、思わずニンマリ。
本作も劇場公開時から気になっていたインド映画だが、期待に違わず面白かった!
盲目のピアニスト、アーカーシュ。
実は嘘。彼は目が見えている。
目が見えないフリをしているのは、音楽的センスを磨く為。
表向きはそうだが、盲目を装うと、得する事ばかりのこの世の中。
魅力的な女性ソフィと出会い、いい関係に。
彼女の父親が経営するレストランでピアノ演奏した所、往年の大スター、プラモードに気に入られ、後妻シミーとの結婚記念日サプライズとして、自宅でピアノ演奏をして欲しいと頼まれる。
う~ん、何ていい事ばかり!
…プラモードの自宅に招かれるまでは。
約束の日時。
プラモードの自宅に伺うと、まだ彼は戻ってない。
奥さんのシミーが出迎えてくれたが、ちょっと様子がおかしい。
中に案内され、そこで“見た”ものは…
プラモードの死体と、シミーと一人の男。
すぐ察しが付いた。シミーと不倫相手がプラモードを殺害。
アーカーシュは目が見えないまま装い、二人はアーカーシュが盲目である事をいい事に、それぞれその場をやり過ごす。
プラモードの自宅から出たその足で、急いで警察署へ。
が!何と! そこの署長マノーハルこそ、不倫相手だった…!
殺人の“目撃者”だが、盲目を装っているので公表出来ない。言ったら、嘘がバレてしまう…。せっかく出会ったソフィとも…。
一方で、アーカーシュは善人。事件の真相を公にしたい。プラモードは自殺した事になっている。
アーカーシュに疑いの目を掛けるシミーとマノーハル。
奴は、目が見えているのでは…?
アーカーシュ以外に事件の目撃者が。プラモード宅の向かいに住んでいるおばあさん。
が、口封じに殺されてしまう。
再び、その場に居合わせてしまうアーカーシュ。
これで疑いは確信に。
後日アーカーシュの家を訪れたシミーにハメられ、バレる。
ついでに、ソフィにもバレる。
災難は続く。シミーに毒薬を盛られ、本当の盲目に…!
得する事ばかり!…から一転、命すら狙われる最悪の事態に…。
一応ここまでで中盤。あらすじはここまでにしておこう。後の展開はそれこそ、ご自身の目で見て欲しい。
絶体絶命のアーカーシュに更なる危機。が、思わぬ好転。
シミーは自分ばかり手を汚す事に不満と怒り爆発、マノーハルは自分の妻に浮気がバレ…。
さらにそこに、プラモードの大金が絡み、罠に掛け、出し抜き、争奪戦。
ドタバタでもあるが、ハラハラドキドキでもあり、話も次どうなるか二転三転、全く飽きずに楽しい。
嘘付いたばかりにとんだ災難に見舞われるアーカーシュ役のアーユシュマーン・クラーナー、悪女だけど何処か同情に値する一面を併せ持つシミー役のタッブー、この二人が悲哀と滑稽の快演。
ソフィももっと話に深く関わるのかと思ったら、少々お飾り的な…。まあ、彼女もタッブーもインド美人だから良しとしよう。
原案となった短編映画はあるようだが、ほとんど完全オリジナル。ユーモアとスリル、練られたストーリー展開は称賛モノ。タランティーノやコーエン兄弟も絶賛するだろう。
欲を出したのが悪い?
不倫をしたのが悪い?
殺人を犯したのが悪い?
そもそも、嘘を付いたのか悪い?
娯楽作ではあるが、人の卑しさをチクッと風刺。
最後の最後は思わぬ強運と善良さが窮地を救う…と思いきや、
あのラストシーン。つまり、そういう事だよね…?
やっぱり、人って…(^^;
居心地の悪いインド製サスペンスコメディ
盲目のピアニスト、アーカーシュ(アーユシュマーン・クラーナー)。
ひょんなキッカケで高級レストラン(お酒を提供するバーに近いかも)でのピアニストの職を手に入れた。
親しくする女性も出来た。
が、彼には秘密があった。
それは、盲目というのは嘘で装っているだけ。
そんなある日、元映画スターのプラモードから、後妻との結婚記念日のサプライズ演奏を依頼される。
当日、彼の住居を訪れるが、そこでプラモードの妻シミーと不倫相手がプラモードを殺害した現場だった。
目撃者のアーカーシュは警察に駆け込むが、その警察の署長こそプラモードの妻シミーの不倫相手だった・・・
というところから始まるインド製作のコメディサスペンス映画。
前半は頗る面白い。
盲目を装っている主人公に彼女が出来・・・とのはラブコメ路線。
そもそも、「装っている」というのは『お熱いのがお好き』『トッツィー』などと同じく、正体を隠しての「なりすまし」コメディで、この種の映画にハズレはない。
が、この映画、前半3分の2ぐらいで、定石から離脱し、個人的には面白くありませんでした。
なりすまし映画の基本は、なりすましていることへの「罪悪感」なのだが、この映画では、主人公の本心かどうかわからないが、「それは芸術のため」などといってのけ、罪悪感の欠片が感じられない。
はじまってすぐのシーンで、「このアパートはNGOのお陰で安価に借りられるんだ」と、親しくなった彼女にいうにもかかわらず。
で、この「前言撤回」的な場当たり的展開で、映画はどんどんと複雑怪奇を極める事態となり、よく言えば「想像できない展開」なのだけれど、「想像できない展開」よりも、想像できる展開だけれど、納得と驚きがある映画の方が個人的には好き。
その予感はあったけれど、あっさり裏切られた感じもする。
ま、主人公の盲目が演技だとバレ、それが犯人に逆に利用され、本当の盲目にされてしまう展開あたりまでは面白いが、その後は先に述べたような罪悪感がないので(盲目になった主人公の腎臓を、移植用に摘出しようとするハナシは気分が悪くなった)、心地よく見れませんでした。
個人的には、主人公は「あれは嘘」と認めたうえで、彼女と結ばれ、事件も解決するというのが好みなんだけれど・・・
それでは定石的すぎるのかしらん?
ちょっと、コーエン兄弟作品がみせる露悪的展開の映画のようで居心地が悪かったです。
盲目のうさぎ
冒頭から印象的で意味深なシーンから始まるので、
一気に引き込まれた。
そのシーンをラストにすごく上手に回収をしていて、
関心というか感動した。
冒頭、うさぎの目が白く濁っていることが特に印象的だったが、これはうさぎが盲目であることを意味していたんですね。
ファーマーがこのうさぎを打ち殺し損ねたのは、シミーがアーカーシュを殺し損ねた意味に繋がっていて、やられっぱなしだったアーカーシュが最後に盲目のうさぎに助けられる流れがお見事でした。
出てくる人たちがほぼ全員悪人のなか、唯一アーカーシュと同じ盲目であるウサギが助けてくれたことに、グッときました。
笑えなかった
コメディって書いてあったけど、あまり(ほとんど)笑えなかったなぁ。
インド映画らしからぬシーン(ベッドシーン)もあって。え?となった。
音楽は良かったけど、踊り出したりはなくて、なんとなく拍子抜け(笑)
しかし、やはり長い。ただ、その長さを感じさせないのもインド映画だったはずだが、今回はやや間延びした感があり。途中やや飽きてしまった。
この映画の主人公はピアニストかと思ったけど、もしかしたら、生きる事にあらゆる手を使いながら執念を燃やすあの人だったのか?
これはコメディですよね
登場人物ほぼ全員悪いヤツという稀な映画でした。
そもそもなんで盲目のフリをするのかが謎。芸術の為?障害者の為のメリットを受ける為じゃないのか?だから誰にも気持ちが入らずちょっとシラけた気持ちで見てました。
最後はどこからが主人公の作り話なのか。実際には角膜移植後、シミーと医者を殺し海外に逃亡したのかも。そもそも急にシミーを許そうと言い出したり、冒頭のウサギのエピソードも唐突だ。
にしてももう少し短くできたのでは?ちょっとクドイ映画です。そんなに笑える所もなかった。
“人生を決めるのはLIVER(生きてる人)”というダブルミーニングが肝(キモ)だった。
終わってみると、アーカーシュの周りには悪人だらけだったというオチ。まともなのは彼とソフィーだけだった。そして冒頭のウサギを狩るシーンが、忘れていたのにここで繋がるか~!という驚きによって、ちょいとだけ加点。とにかく、しみじみと盲目の振りをしたり、ソフィーと恋に落ちる絶妙な心理描写、殺人現場で平静を装うことの難しさなど、前半は魅せるところがいっぱいあったのに、中盤からはコメディタッチ、さらには不法臓器売買という裏社会まで覗かせる社会派サスペンスになったりで、ごった煮状態になっていたのです。ベートーベンの運命とかビックリさせるところでの効果音BGMとして使ったり、落ち着きがない編集もあったり(笑)。
そんな全体を考えてみると、芸術性を高めるために盲目の振りをする道を選んでしまったピアニストの不幸。スティービー・ワンダー、レイ・チャールズ、辻井伸行など天才肌のミュージシャンも多いし、視覚に囚われないで音を探せば素晴らしい曲も生まれるかもしれない。だけど、見えちゃってるんだから、やっぱり本物には近づけないですよね。しかも売れてしまえば佐村河内氏のように詐欺にもなる可能性だってあるんだから世の中難しい・・・
このインド映画、もうひとつの特徴がテロップによる説明が多いこと。動物は虐待してないとか、臓器売買を肯定してないとか要らないですよ。エンドロール時に流れる、インド映画でのピアノシーンをコンピレートとしたフィルムなんて『ニューシネマ・パラダイス』まで想起させてくれるし、そこでまた加点。普通に楽しめた!といった評価になりました。
「悪人」にも“いろいろ”ありまして
メインキャストの半分以上が「悪人」という、とんでもない映画である。
アイデアはあっても、なかなか面白いエンタメにできないものだが、本作品は大成功している。
(1)盲人を装うピアニスト(アーカーシュ)、(2)浮気妻(シミー)、(3)警察署長、(4)外科医、(5)三輪タクシーの運転手、(6)その母(?)。(7)少年まで入れれば、7人もの“悪人”である。
対して、“善人”は3人しかいない。(1)ピアニストの恋人(ソフィー)、(2)元スターの寝取られ男、(3)隣人のお婆さん。
登場人物の“キャラ”と“動機”が、最初から最後まで一貫していることが素晴らしい。ご都合主義でキャラが変わらずに、決してブレない。
いろいろな形の「悪」があって、それぞれの持ち場・役割を果たすことで、物語を紡いでいる。
ピアニストは、詐欺師であっても殺人者ではない。外科医はビジネスとして、淡々と人を殺して臓器を取り出す人物である。
浮気妻はもともと平凡な人物であったが、バレないためなら血眼になって何でもやる。ラストの車を引き返すシーンでは、“ついにピアニストと和解するのか”と思いきや、ひき殺しにかかるという徹底ぶりだ。
また、ハリウッド映画ならアクションシーン連発という“力技”で押し切っていくだろう。
しかし、本作品はあくまで「予測不能」な、練り上げられたプロットで、観客を魅了しているのが素晴らしい。
まさか、冒頭のウサギが、あんな形で関わろうとは(笑)。
人生を決めるのは、生者(liver)なのか、肝臓(liver)なのか。
悪人たちの行く末は、文字通り、“最後の1秒”まで見逃せなかった。
意外とコミカルではない。
もっとコメディ路線なのかと思ってたのだがそうではなく、後半は悪人ばかりで、倫理観が無くて、重苦しくなる。最後に数年後のシーンがあるのだけど、またどんでん返しがあり本当はどうなの?と解らなくなる。
邦題のイメージで観ると肩透かし喰らいます。
しかし、いつもインド映画鑑賞後に思うのですが、インドの美人さんは、全てが自分勝手でキレ易い性格なのでしょうか?恐ろしいです。
終始コメディ
終始コメディ色が強く、笑いの価値観が違ったりすると終始退屈に感じてしまうかもしれない。
盲目を偽って周囲を騙して生活してきたアーカーシュ。
シミーの夫殺しの事件に巻き込まれ、口封じのために本当に盲目になってしまう。
シミーがアーカーシュの家に訪れ、盲目を装いながらしミーの攻撃を交わすやり取りは面白かったが、その他は少し胃もたれしたかな。
登場人物の殆どが悪人ばかりで、その内の一部は死ぬわけだが、それもあっさりしてて、あまり見ていてハラハラすることもなかった。
笑いの価値観が合えばとても楽しい作品だと思う。
僕が見たシアターでは大声で笑ってた人もそこそこいた。
まさに娯楽を極めた作品。
♪You can't really blame my innocent eyesなんて歌っちゃう⁉
オープニング・クレジットが終わると次の言葉が紹介される。IN FOND MEMORY OF CHHAYA GEET (1972-82) CHITRAHAAR(1982-97)昔のインドのラジオやテレビの音楽番組とのこと。次にまたメッセージらしき文も。WHAT IS LIFE? IT DEPENDS ON THE LIVER.インド国内のヒンドゥー教徒の数は全体の約78%と大勢を占め、そのヒンドゥー教の五大罪の1つ”飲酒”に対しての免責事項によるものを映画に際しメッセージで知らしている。2つのメッセージを多分インド以外のましてヒンドゥー教徒でもない人にとっては、いきなり登場されても意味不明のものとなっている。
始まりの言葉 "It's a long story.......coffee?" のアーカーシュのこの言葉より幕を開ける映画「インド式殺人狂騒曲」。この映画を一言で言うとするならば、”風吹けば~”の日本のことわざで例えることが出来る。最後のシーンで'なるほどね’と作者の思わくにまんまと引っ掛かりました。
アーユシュマーン・クラーナーが、この映画について、なぜ彼と彼の映画クルーが映画をあまり宣伝していないのかと尋ねられると、彼は「この映画のジャンルでは内容について、あまり話せないと思う。それはサスペンススリラーであり、誰もが私が本当に映画の中で盲目の男であるかどうかを私に尋ねている事に加え、この映画を普通の映画として宣伝しないのが我々の戦略でした。この映画は口コミで流れ、見る時にその映画が何であるかを人々に理解してもらえると思っています。」
シナリオ自体は、友達も彼女もいなかった主人公のアーカーシュが、いつも近所のちびっこからピーピングトム的にイタズラをされながらも、ある日、ひょんなことがきっかけでソフィという可愛い彼女もでき、また彼女のオヤッサンのレストランでピアノの弾き語りの職にありつけたりもしているアーカーシュ。そんないいこと万事が続くわけもなく、そこの常連さんの殺害現場に遭遇してしまう。さあどうするアーカーシュ⁉......
Are you completely......blind?
I'm completely blind. When I was 14,
a cricket ball damaged the optic nerve of my eyes.
アーカーシュの目の前で、夫のプラモードの死体を妻のシミーと間男のラシカ警部が’無言’で片付けるところをアーカーシュの軽快なピアノのリズムを踏んで、まるでコミカルなサイレント映画を見ているような雰囲気作りをしている。この映画の見所であり、個人的には、オトボケ過ぎるかもしれないけれども、いい感じに自身受け止めている。しかし、後半になると何故か、前半と映画自体のテイストが変わり、コメディ色が失せていき、シリアスな展開が重きを置くようになっていく。面白みがやや半減しているようにも映る。全体を通して言えることは、話の先の展開が読めない映画とは言え、サクッと観ることはできたのは間違いのない事。
エンドロール・クレジットがながれる前に、この言葉が告げられている。INSPIRED BY THE SHORT FILM 'L'ACCORDEUR BY OLIVER TREINER この映画は2010年公開のフランスの映画で、”I rarely perform in public. Only for a truly special event. Or a special audience”という主人公アドリアンの言葉(仏語➡英語訳)ではじまり、また”She hasn't moved since I stated. She can't kill me while I'm playing.”という言葉で締めくくられる.....しかも......♪Dichterliebe, op. 48: Hör Ich Das Liedchen Klingen(シューマンの詩人の恋)を弾き続けなければならない。天才ピアニストであるアドリアンの運命をほんの13分の中に凝縮したサイコスリラーと称される映画になっていて、本作よりもいたってシリアスな内容となっている。この映画。13分間という短い上映時間だけで映画の質や完成度を判断できない、’これこそ映画’だと言わしめる逸品であることに対して、口を挟める人はいない。
話を本作に戻すと制作費の軽く10倍以上の興行成績を残していて、その上、amazon.comではすでにprimeビデオでレンタルが始まっていてる。アマゾンのレビューを見るとほとんどの視聴者から高い支持を受けている。
気になる意見として......
Filmfare
1952年に創刊されたインドのボリウッド関連の記事を英語で取り扱う映画雑誌とそのサイト。またインドにおいて映画賞なども主催している。
「 ”盲目のメロディ インド式殺人狂騒曲”のジグザグなストーリーとキャスト全体の演技をご覧ください。それは、結末を知っているにもかかわらず、あなたが戻って、もう一度見たくなる謎の一つです。」
The Indian Express
インドのニュースメディア出版会社のウエブサイト。
「女優の タブーは素晴らしく、彼女を当然もっと見たいと言わしめるほど、スリラム・ラガヴァン監督は、この非常に才能のある女優にふさわしい役を付けることをついに果たすことが出来ました。」
視聴者からも批評家からも抜きんでた好評価を収めている本作なのにイギリスでは暴力的なシーンを50秒ほどをカットして上映されている。
前出のフランスの映画「'L'ACCORDEUR」が何故13分という映画作りをしたのか? という単純な疑問が、本作を見終えたとき、その正解がわかるものとなる。2時間を超える目の不自由な人の映画......⁉ 言い知れない余韻の悪さが心に引っかかる。
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