マーティン・エデンのレビュー・感想・評価
全23件中、1~20件目を表示
マーティン・エデン
マーティンエデン
好きだった!面白かった!と映画が終わった後につい言ってしまった。
意味のわからない映像や、よくわからないカットインも嫌だと思っていたけど意外にも嫌ではないことに気づいた。なんなんだ?と心で思っても、すぐ次の映像が映るのでそれがずっと気になるということはない。伏線の張り方として、全然そこにはないイメージとしてのモチーフを挟むのは面白いと思った。
アスクフォーザムーン、ソーシャルネットワークと同じように1人の主人公に対しずっと追いかけるような話。やっぱり面白いのは、最初と最後の変わりよう。それは後悔なのか、懺悔なのか、怒りなのか。わからないけど、最後の最後にエレナと出会った時の若々しい自分と邂逅する。それが最後の感情。それは誰にもわからない。エデンでさえも。ソーシャルネットワークのマークは成功と同時に友人を失っていったが、エデンは成功と引き換えに、友人、恋人、そして自分自身すら失ってしまった。
その過程は自業自得であるのだが、この時代というもののせいでもある。正直同情してしまう部分があった。それが感情としてすごく面白かったと思う。
僕は裏切りが好きなのかもしれない。エレナと離れたりくっついたりするたびにすごく面白いと思う自分がいる。後はエデンの感情の爆発。
生の感情が見えたか。見えまくった。見えすぎた。生々しい感情。鋭利な刃物のような、すぐに誰かを切りつけてしまいそうな危ない感情を鞘に収めず堂々と持ち歩く。それが周囲との対立を生む。
謎があったかどうか。謎があったかどうかは謎という謎はなかった。だから時々退屈に思ったりしたが、この場合エデンの着地点というものが最大の謎になる。エデンはどう決断してどう行動して、最後にはどうなるのか。これは、1人の主人公を追う話というシリーズの中では王道で、これが基本なのだろう。
この話は面白いと思う部類の話だった。主人公と、その周囲と、感情の爆発が見られたからだ。対立の種類が、立場や状況ではなく、感情であることが好ましい。
主演がよく、テンポが良い。挿入される映像がいい。 疾風のような...
主演がよく、テンポが良い。挿入される映像がいい。
疾風のような人生のテンポの良さと、圧倒的な不幸。でも、その不幸を選ぶ矜持に人生があらわれている。
ちょっと暗かったなあ
ドラマの虚構の部分と
当時のものと思われる映像が
交錯するところが,
作品にリアリティを与えるし
おもしろいなあと思いながら観ていました。
当時の過酷な貧困や階級社会への抵抗が
ヨーロッパでしばしば行われるストの
大元なんだということがよく分かりました。
途中まではよかったのですが
暗い重い。。。
夢を実現しても
社会的に成功しお金を儲けても
幸せとは感じられませんでした。
エデン役のルカ・マリネッリは
ずっと観続けることに耐えられる
魅力がありました。
「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」ではクセのあるキャラが印象的だったル...
「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」ではクセのあるキャラが印象的だったルカ・マリネッリ。本作品でのルカさん、何なんでしょう、やさぐれ感の中に魅せる色気、そして演技力の高さ。ヴェネツィア国際映画祭で「ジョーカー」のホアキンを抑えての男優賞の受賞もうなずけます
若干の単調さを感じられるものの、フィルムの質感の映像、イタリアの田舎街の風景や建物の描写がそこをカバーしていて、この時代に生きたマーティンとマーティンを巡る人々の生きざまはじっくりと観られました。よき作品。
入り込めないです。
日本で言えば「戦後民主主義世代」なんだろうなぁ、これって。と思いながら観てました。苦手です、正直。スペンサー哲学に触発されて議論を挑むなんてのもイタイ。
哲学、政治的背景、主役の内面、どれにも心が動かないので、結構辛い後半戦。
半生もの、ワンスアポンアタイムものが、最近、あまりこころに響かないんです、理由は分からないけど。
と言う事で、退屈はしなかったけど、全く刺さらずで、ゴメンなさい。
16ミリのフィルムの質感が最高 貧民街から独学で勉強し作家にのしあ...
16ミリのフィルムの質感が最高
貧民街から独学で勉強し作家にのしあがった若者の物語
知性を身につけやりたいことが見つかり、成功したはいいものの果たしてそれが幸せかどうか
書きたいものが世間に望まれない
自分の考えが貧民層にも富裕層にも理解されない
愛も名声も望んでいたはずなのに手にしてみると感じる虚無感
知識からくる世の中への絶望
支配者からの支配から解放されることを夢見る労働者たち。たとえ解放されたとしてもまた新たな者が支配する体制が作られるのに、学がないから気づけない。しかしまだ夢を見れる彼らの方が主人公よりも幸せなのかもしれない
途中途中に流れる歌が要らない気がした
主演の俳優(シャー・ルク・カーンに似てる)の最初と最期の変わり様が半端なく、全く違う雰囲気を醸し出している
主演の演技だけでも満足
ルカ・マルネッリさんの演技がホント
素晴らしい。
目!眼!瞳!
語る語る、演じる演じる。
「目は口ほどに〜」とはこのことか。
それ以外も、若い頃、壮年期の演じ分け
素晴らしい。
ラストに如実にそれがわかります。
それだけじゃないっすね。
なんだろな、内面が湧いて出てくるような
感じ。
しかし、この演技あっての作品かな?
物語自体は淡々と作家の人生の一編です。
こちらの感情を揺さぶるのはやはり、
マルネッリ演じるエデンのそのたたずまい、
発散されるエネルギーなんだな。
どっちが先か
136本目。
今週、映画を観る人を2つに分けるならば
鬼滅の刃を観るか観ないかだろうけど、俺は後者。
マンガ見てないし。
で今日、何を観ようかと迷うのだけど、ほぼ120分越え。
集中力ない俺にはキツイ。
けど、まぁしゃーないと。
才能が先か?努力が先か?成功するにはどっちが先かとは思うけど、宝くじみたいなもので、書き続けたから認められたのかなとも思う。
でも破滅主義者なのかな、ちょっとそう言う所が自分にもあるから怖い。
成り上がり
本来であれば、物語の主人公は40歳で亡くなった米国育ちのアメリカ人作家の自伝的小説を元にしてるはずなのだが、あえてそこはイタリアを舞台に置き換え、尚且つ端正な顔立ちのイタリア人俳優を起用した今作品。
内容はしがない工場労働や船乗りを経験して、令嬢に恋したことから作家を目立つサクセスストーリーである。何故作家を目指したのかは、あまりよく覚えていない。
にしても、何度も何度も小説を書いては出版社から返却されるという失敗を重ねながら、いざ成功したら、惚れた女の事は、はい、これまでよというのは、よくあるパターンではあるが(実際そう単純には描かれてはないのだが)内容的には重厚な大河的展開なので映画自体は締まっている。ただ若干ストーリー的には、やや単純である。特に前半の大半は。そこがちょっと惜しいところではある。
尚、この主人公役のルカ・マリネッリは今作品でヴェネツィア映画祭で男優賞を受賞している。
世紀末は陽炎
20世紀初頭という時代のカタストロフを生きる名も無い、若きひとりの作家の物語。
原作の舞台はアメリカ西海岸だが、イタリアのナポリに移され、音楽と映像で生み出される映画の世界は一層、興味深く、ドラマチックだ。
テーマはラス・ブリッセンデンが書いた「陽炎」にある。優雅なブルジョワジーの19世紀と貧困と過酷な労働で荒廃した20世紀の貧民生活。その狭間の中でマーティン・エデンの「詩」は何を語ろうとするのか。
それは決してイディオロギーではなく、新たな人間が生に生きるヴィジョンなのだ。ロースやシェーンベルクが懸命に模索した「世界」がマーティンを育てる老作家ラス・ブリッセンデンの「陽炎」として表現される。
久しぶりにイタリアのイケメンを見た
原作の舞台がアメリカということを忘れそうなほど、イタリアにフィットしてた。労働者地区で育った主人公が、オルシーニ家のお嬢様と恋に落ちる。
奇しくもこの前にムヒカ元ウルグアイ大統領のドキュメンタリーを見ており、被りっぷりに笑った。
それにつけてもルカ・マリネッリがイケメンだった。米や英にはいないタイプは久しぶり。前回見たイタリア映画はシシリアーノだしね。
主役の魅力は凄い
レビューの評価が高かったので、予備知識なく見てきました。
1960年代のような雰囲気で始まります。貧民街で育った貧しい船乗りのチンピラ青年マーティンが上流階級の娘エレナと出会ってから徐々に自分の人生を変えるために努力していきます。教養、思想、文学、イデオロギー、様々な苦難の末、富と名声を手に入れるまでを描いていますが、ラストは意外な展開で終わります。
主人公マーティンを演じたルカ・マリネッリがとても個性的で魅力的。演技を感じさせない自然な表情が素晴らしかったです。
イタリア映画の雰囲気を味わいつつ男の寂しさ哀れさを感じたい人にはお勧めします。
成功者の孤独
原作未読
1970年代のナポリで、小4から学校に行かず、文法もまともに使えない貧しい労働者の青年が、作家になっていく話。
防波堤で輩に絡まれている若者を助けて、家に着いていったら超豪邸だし、お姫様はいるしの竜宮城状態。
そこでふと読んだ本に興味を持ち、本を読み漁り自力で勉強して自分で書くようになっていくというストーリー。
勉強して賢くなり過ぎて、強い思想を持ってしまったり、掌を返す出版社や世間に疲弊したりと正に生々しい。
後半急に話が進み過ぎたし、精神的な変化も著しくて少しとまどったけど、少し哀しい成功者の物語がとても面白かった。
時代に絶望していたのだろうか
本作品の基となった自伝的小説「マーティン・イーデン」を書いたジャック・ロンドンが27歳のときに出版されたのが彼の著作で最も有名な「野性の呼び声」である。子供の頃に読んだ気がするが、内容は忘れてしまっていた。今年の春に何度目かの映画化作品が公開されたので鑑賞した。CG技術が長足の進化を遂げて本物の犬に見えたのと、ハリソン・フォードとオマール・シーの演技がとてもよくて感動した。
ジャック・ロンドンの物語を紡ぐ才能は流石に文豪である。「野性の呼び声」は4歳くらいまで人間に飼われて衣食住に恵まれた生活をしていた大柄の犬を主人公に、さらわれて働かされ、やがて森の狼と交流し、野生の本能が呼び覚まされていくという設定である。実にエネルギーに富んだ設定であり、作家が後ろから押されるように小説を書いた様子が想像できる。生み出された物語は力強さに満ちている。
そういう作品がどのようにして生み出されたのかを描いたのが本作品である。主人公マルティン・エデンはあまり教育はないが、素直で頭の回転が速くて洞察力に満ちている青年だ。知り合った金持ちの娘エレナからもらった本を読んだことがきっかけで文学にのめり込む。そして独自の解釈、独自の世界観、独自の文体を身に着けていく。エレナのすすめに従って学校教育を受けてしまっていたら、ステレオタイプの文体や世界観しか身に着かず、マルティンは作家になることはなかったかもしれない。作家の想像力の源はアカデミックな知識ではなく、自分の目で見て耳で聞いて嗅いで食べて触った体験なのだ。
そして文体や語彙は、貪るようにして読んだ本から得られた。映画はマルティンの行動をシーンとして繋げるが、外に出ていないときのマルティンは殆どの時間を本を読み、詩や小説を書くことに費やしていたに違いない。話すたびに前のシーンよりも語彙が増えて言葉が正確になっている。物語の進行よりも遥かに速いスピードでマルティンが進歩していることがこの作品のポイントである。誰もマルティンについて行けなかった。そこにマルティンの孤独がある。
時代というものはその時の人々の習慣や思考回路によって、一定の方向に収斂されていく。ある時代にもてはやされたものも次の時代には廃れてしまうことがある。大衆は自分の考えを持たず、たったひとつの新聞記事で他人を両断して排除する。予断と偏見に満ちているのが時代というやつだ。マルティンは時代に乗って有名になり金を得るが、それがうたかたのように消え去るものであることを知っていたのだろう。無名で雑誌の掲載を夢見ていた頃のほうがずっと幸せだった。もうあの頃には戻れない。
ジャック・ロンドンは1916年に40歳で自殺している。第一次大戦が始まったのはその2年前の1914年(大正3年)だ。「マーティン・イーデン」を発表したのはおそらく1909年頃だから「野性の呼び声」で有名になってから6年後ということになる。既に時代に絶望していたのだろうか。
全23件中、1~20件目を表示