「時代に絶望していたのだろうか」マーティン・エデン 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
時代に絶望していたのだろうか
本作品の基となった自伝的小説「マーティン・イーデン」を書いたジャック・ロンドンが27歳のときに出版されたのが彼の著作で最も有名な「野性の呼び声」である。子供の頃に読んだ気がするが、内容は忘れてしまっていた。今年の春に何度目かの映画化作品が公開されたので鑑賞した。CG技術が長足の進化を遂げて本物の犬に見えたのと、ハリソン・フォードとオマール・シーの演技がとてもよくて感動した。
ジャック・ロンドンの物語を紡ぐ才能は流石に文豪である。「野性の呼び声」は4歳くらいまで人間に飼われて衣食住に恵まれた生活をしていた大柄の犬を主人公に、さらわれて働かされ、やがて森の狼と交流し、野生の本能が呼び覚まされていくという設定である。実にエネルギーに富んだ設定であり、作家が後ろから押されるように小説を書いた様子が想像できる。生み出された物語は力強さに満ちている。
そういう作品がどのようにして生み出されたのかを描いたのが本作品である。主人公マルティン・エデンはあまり教育はないが、素直で頭の回転が速くて洞察力に満ちている青年だ。知り合った金持ちの娘エレナからもらった本を読んだことがきっかけで文学にのめり込む。そして独自の解釈、独自の世界観、独自の文体を身に着けていく。エレナのすすめに従って学校教育を受けてしまっていたら、ステレオタイプの文体や世界観しか身に着かず、マルティンは作家になることはなかったかもしれない。作家の想像力の源はアカデミックな知識ではなく、自分の目で見て耳で聞いて嗅いで食べて触った体験なのだ。
そして文体や語彙は、貪るようにして読んだ本から得られた。映画はマルティンの行動をシーンとして繋げるが、外に出ていないときのマルティンは殆どの時間を本を読み、詩や小説を書くことに費やしていたに違いない。話すたびに前のシーンよりも語彙が増えて言葉が正確になっている。物語の進行よりも遥かに速いスピードでマルティンが進歩していることがこの作品のポイントである。誰もマルティンについて行けなかった。そこにマルティンの孤独がある。
時代というものはその時の人々の習慣や思考回路によって、一定の方向に収斂されていく。ある時代にもてはやされたものも次の時代には廃れてしまうことがある。大衆は自分の考えを持たず、たったひとつの新聞記事で他人を両断して排除する。予断と偏見に満ちているのが時代というやつだ。マルティンは時代に乗って有名になり金を得るが、それがうたかたのように消え去るものであることを知っていたのだろう。無名で雑誌の掲載を夢見ていた頃のほうがずっと幸せだった。もうあの頃には戻れない。
ジャック・ロンドンは1916年に40歳で自殺している。第一次大戦が始まったのはその2年前の1914年(大正3年)だ。「マーティン・イーデン」を発表したのはおそらく1909年頃だから「野性の呼び声」で有名になってから6年後ということになる。既に時代に絶望していたのだろうか。