ホモ・サピエンスの涙のレビュー・感想・評価
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叙事詩。
「(男/女etc)を見た。(それ)は〇〇だ」というナレーションで始まる33の場面は、そのシーンの起点となる事実が説明されるほかは、前後の脈絡から寸断され、時系列でさえない。でも現実の世界も事実、例えば「女を見た。彼女は映画の感想を書いている」といった事柄の集まりだったと気づかせる。ただ、そこに描かれる感情や行動は誇張され、奇妙。シニカルな喜劇を通り越して、人間の不合理さを哀れんでいるように思う。監督が言うところの「絶望を描くことで希望を生み出す」ことなのかもしれないけれど……正直この転換がよくわからず、人間の残念さというか、救いようのなさというか、そんな印象しか持てなかった。見識が狭いからかな。
事実を縦糸、不定形な人間を横糸とした、叙事詩を読んでいるかのようだった。
動く絵画、世界の再創造、人間観察、刹那と無限。
恋人たちが廃墟の上空を漂うシャガールの「街の上で」など名画の数々が引用され、ワンシーンワンカットの完璧な構図と統制された色調はまさにムービングピクチャー(動く絵画)の味わいだ。一見野外での撮影に思えるシーンさえも巨大スタジオ内にセットを組み、模型やマットペイントで奥行きある背景を作り出すロイ・アンダーソン監督独特の手法は、自らの手で再創造した世界をフィルムに収めることへの執着を感じさせる。
実物大の箱庭とでも呼べそうな舞台で断片的に繰り広げられる人間の悲哀やささやかな喜びを、超越者のごとき視線で観察している趣さえある本作。スウェーデン語の原題は「無限について」を意味し、あるシーンでは男が女に「すべてはエネルギーであり形を変えても総量は変わらず、僕らのエネルギーは数百万年後に再び巡り会う」といった趣旨の話をする。宇宙のスケールから見れば人の生は一瞬だが、そのはかなさをいつくしむ愛がある。
ワンシーン、ワンカットで撮られた33の情景たち
近年のロイ・アンダーソンの映画はかなり特殊だ。それは観客が「さて、どんな世界を見せてくれるのか」と受け身になって身をまかせるのではなく、むしろ美術館で一つ一つの絵画と向き合うように、目を近めたり、俯瞰したりしながら自らの感受性でもって束ね、集約していくべき映像世界。感じ方は様々なので、中にはすぐに飽きてしまう人もいるだろうが、ワンシーン、ワンカットで撮られた33ものエピソードは、ある意味、人間の生き様を記した標本、もしくは壮大なタペストリーとも言い得る。とりわけ私の印象に刻まれたのは、何度も同じアングルで映し出される“終わりなき道”、そして夜な夜なバーで「素晴らしいよな!」と絶叫し続ける男だろうか。我々は一体どこから来て、どこへ向かうのか。もちろんここでは明確な答えなど得られるはずもない。むしろこの映画は、答えを求め彷徨い続ける私たち人類の姿そのものを、慈愛を込めて映し出している気がする。
こんな映画を見た。
全編ワンシーンワンカットという独特のスタイルでまるで絵画を見てるような本作。興味がわいたので過去作の「さよなら人類」と「散歩する惑星」もこの機会に鑑賞。この監督のスタイルはすべて同じようで、ただ本作は他の作品に比べてコメディ色が少なく、芸術作品寄り。この監督の作品のテーマはすべて一貫している気がする。
天からの視点でとらえたかのように人間の悲喜こもごもを描く本作。キリストからヒトラーまで、人類史を俯瞰して見せているようで興味深い。ヒトラーもキリストもそして市井の人々もすべて同列に描いている。
街でばったり会った学生時代の友人の出世が癪に障る男、信仰心を失い嘆き悲しむ牧師、名誉殺人を犯してしまった男、問題を抱えて仕事にやる気が出ない歯科医師、ハイヒールのかかとが折れてしまった女性、今まさに処刑の瞬間に命乞いする男、すべてが素晴らしいとバーでつぶやく男、シベリアの収容所に送られる捕虜たちなどなど様々な人間模様が描かれる。
他人からすればとりとめもない悩み、しかし本人にしてみれば深刻。自分が何を求めてるのかわからないと混雑する列車内で泣き続ける男に乗客の男は家で泣けという。泣くことも許されないのと同じ乗客の女性がかばう。
そんな些細な人間の悩みから第三帝国の野望がついえた独裁者の絶望まで、様々な時代や場所で起きた事象を淡々と描く。
とりとめもない出来事から歴史的な出来事まですべてが同列に描かれ、人類の行いが所詮天から見ればどれも些細な事とも思えてくる。達観したような思いにさせられる、しかしけして上から目線ではない。人間というものが愚かでもあり尊いものでもあるように感じられる。
人間の愚かさも素晴らしさも同列に描いていて人間存在に対する監督の深い洞察が感じられた。
作品はとても短くて唐突に終わる。この上映時間が観客が集中力を保てる限界だと思ったのか。個人的にはハマってしまったのでもう少し見たかった。そういう方にはほかの過去作をおすすめします。
戦禍の街は 『ドレスデン』
33枚の動く絵画を見た。ほとんどの絵が遠近感を偏らせて、奥行きを右すみ、左すみにとった構図になって、絵全体を大きく見せていると思う。
言うまでもなく、シャガールの『街の上で』だが、再現された戦禍の街は
空爆を受けた
『ドレスデン』だと思う。
『その時、君はじゃがいもかもしれないし、あるいは、トマトかもしれない。』
『じゃぁ、わたしはトマトが良いわ。』
初見は寝てしまったので、二回目を見たが『ゴルゴダの丘』のシーンの手前で、どうしても寝てしまい、今回は3回目。やっと完投出来た。嬉しい。
オープンカフェで女のコが踊る場面に流れていた曲が良い曲だ。
トルストイの名言が思い浮かぶ
「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。」とは、トルストイの名言ですが、この言葉を思い出しました。本作を観終わって、評論子は。
そして、それぞれに(本人にとっては)深刻な悩みを抱えた人々を、ものすごく温かい視線で描いていることに、とても好感を覚えました。
この監督さんのお名前は聞いたことがありましたが、どうやら初めてだったようです。実際に作品を観たのは。評論子は。
「追っかけ」と称して、特定の監督さんの作品を集中的に観ていくこともありますが、また、新しく追っかけをするのが楽しみな監督さんに巡り合えたようにも思います。
満足のいく一本でした。観終わって。評論子には。
ほぼ、日本のコントを模倣している姿を観た❓‼️
ヒトラーのところと訳の分からないのが一つ以外は、志村けんと内村がしてるコントに似ています。
時系列からすると、これがパクリのようです。
映像と演出と演技で、これほどのものになるとは。
いやそれ以上にパクリがバレないとは、驚愕。
良い風景です。
スタジオの志村けんと優香がこんな姿になるのは良い供養かもしれない、アーメン、信仰のシーンはそのままです、アーメン、必ず笑うから、YouTubeで検索してね。
モダンな美術館のロイ・アンダーソンという北欧作家の連作絵画33点の展覧会に行った
モダンな美術館でロイ・アンダーソンという北欧作家の連作絵画33点の展覧会を見学した。
ひとつひとつの絵は、額縁の中で西洋人が僅かに動き、言葉を話し、時に此方にも語り掛けてくる。館内には静かな音楽が流れ、絵ごとに音声ガイドもある。日常の些細な場面の数分間を描いたものがほとんどだが、時に戦争や事件を描いたものもある。気になったのは、若い人は殆んど痩せているのに、中年の男女は肥満体が多い。食べ物に満たされているのだろうが、ただ幸せそうには見えない。他人には言えない、悲しみ苦しみがあるのだろう。それでも生きている。面と向かって愚痴を言う人もいる。言ったところでどうにもならないのに。ひとりの牧師は神に見捨てられて悩み体の不調を訴え、精神科の医者に救いを求めている。どこかおかしい。そして、医者にも見放されてしまう。何故か可笑しい。とても可哀想な人もいる。でも私には救えない。空を飛んでいる恋人たちは、廃墟の上空を今にも落ちそうにゆったりと移動している。とても神秘的でシュールな絵だが、どんな意味があるのだろう。最初の絵と最後の絵で鳥が群れを成して飛んでいく。空はどれも灰色に曇っていて陽光が燦燦と降り注ぐ絵は一枚もない。
でもすべての絵が美しい。マットペイントを使った淡い色調の北欧の背景が統一されている。普通の絵画と同じく自分勝手に想像して楽しんでみた。絵画は、レンブラントやターナーやゴッホが好きだ。それでも、しばらく美術館には疎遠だったので、それなりに満足した。たまには絵画をじっくり鑑賞するのも悪くはないと思った。
映画ショートショート
短い話がたくさん散りばめられた、初めて見るタイプの作品。
ほとんど関連のない話、というか、そんなこともあるかも、という情景がワンカットで繰り出される。
映像は面白く印象に残る。
絵本ならぬ映本
信仰を失った男性の牧師を軸に、「◯◯な人を見た」と日常を切り取って物語は進んで行く。
絵本ならぬ、映画の本・映本(えほん)のような世界観。
どの国でも歯医者さんは金持ちで威張っている感じの人がいて、人間という生物をコントになる手前の表現/コミカルを少し振り切る程度の見せ方で、淡々と画いている。
物語に抑揚はあるが、ないように見せていて、すーーっ…と見られる感じ。アニマルプラネットやナショナルジオグラフィックの感じで、動物番組を・動物を見ている気分になる。
あ、人間って動物なんだなーと感じさせる。
もしかしたら宇宙人が人間観察してた映像を寄せ集めて出来た映画なんじゃないだろうか。
ワタクシまだまだ修行が足らないようです。
固定で引きで撮っているから、正直表情とかよくわからないパートも。なんかもっと面白くなりそうな気もするけれど、うまく消化できなかった。
お店の前でDVやキリストを模した話はちょっとギョッとしたが。
退屈
33のワンカットシーンが続くって言う事。
寝そうなので数を数えてみたところ、どこかでウトウトしたのか、32だった。(やっぱり寝てしまった)
落ちのないコメディみたいで、日常の風景のようなシーンが延々と続く作品。
多少クスっとするシーンは有るが、殆どが何なんだろうって感じ。さっぱりわからなかった。
「お前はどう観るか?」を問われる
ロイ・アンダーソンが挑むのは、美術館の一枚絵。
北欧らしい曇天の下、それぞれの想いを持ちながら生きる人たちを眺めながら、そのひとつひとつの場面に、「お前はこれをどう観る?」と問われる強さがある。
聖書の逸話を読むのにも似ている。
睡眠をしっかりとって、ある程度お腹も満たされた状態で見ないと、集中できないかもしれません(笑)
固定フレームで落ちも哲学もない寸劇を見せられる罰ゲーム
と解釈するか。智力総動員してトコトン考え込むか。
わたくし。正直なところ。睡魔との戦いでした。画は魅力的なんですけどー。
何が嬉しくて、21世紀も20年を過ぎた今、こんなん見にゃいかんのん?
眠たかった。マジで。
これ、写真で良くね?
全33シーン・ワンカット
喜劇的、悲劇的、寸劇的、小噺的、歓楽的、悲観的、絶望的、希望的、恍惚的、猜疑的、夢想的、宗教的、妄想的、楽観的、教会的、待人的、抒情的、壮観的、幻想的、概念的、敗残的、牧歌的、北欧的、日常的、夫婦的、雨傘的、唐柿的、絵画的、俯瞰的、遠近法的、歯痛的、ワイン的、シャンパン的なショートストーリー集・・・33個集めた・・・的な。
ロイ・アンダーソン監督作品は『さよなら、人類』しか見てないけど、ほぼ同じだった。これだけ作家性のある映画も珍しい。33編の小品集だけど、最も多く出演する牧師がとにかくいい!十字架を背負い坂道を歩く姿は強烈なインパクトを与えてくれた。
序盤のレストランとワインのところで笑うことができれば、あとはもうのめり込むこと間違いなし。浮遊感漂うシーンから重くのしかかるシーンまで、とにかく楽しむことができれば儲けもの!個人的に好きなのはわざとらしいまでの遠近法による構図とオー・ソレ・ミオです。
オチがあったりなかったり、様々な物語をじっと見つめる絵画のようなドラマ集
街を見下ろす小高い丘のベンチに腰掛けた老夫婦、突然信仰を見失った牧師、久しぶりに出会った友人に無視された男、廃墟となった街の上空をフワフワと浮遊するカップル、電車の中で望みを失ったと泣き出す男、戦死した息子の墓を訪れた父母、シャンパンを愛おしそうに嗜む女、鮮魚売場で突然痴話喧嘩を始める夫婦、我儘な患者にブチ切れる歯科医・・・様々な人々が織り成す悲喜劇の数々を固定された視点から見つめる作品。
全編を通じたストーリーがあるわけではなく、オチもあったりなかったり。現実と非現実、過去と現在を奔放に行き来しながら無作為に切り取られたかのような物語の断片には深い悲しみや絶望、微かな希望の芽生えが滲んでいますが、一切カットを割らないワンカメラで捉えられたドラマはどれも絵画のように美しく、絵画的であるがゆえに登場人物の心情が鮮やかに浮かび上がります。80分に満たない小品ながら、全編を貫くオフビートなユーモアが優雅な余韻を残す印象的な作品です。
33シーン、ワンカット
悪くはないけど、どうも話、話にキレがないというかクスッ感がない。あっても1,2話ぐらい。似たような監督作を見た記憶があるが、その作品が同じ監督なら、かなり質は落ちたなぁと感じました。タイトルが思い浮かばないので比較できないのが残念ですが。まぁ60分ちょっとと、最近の映画では、かなり上映時間が短かったのが救いでしたかね。
ちなみに中身は全くないです。単なる(非?)日常風景を描写してるだけですから。
全48件中、1~20件目を表示