劇場公開日 2019年12月6日

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「現在ロシアの不安と恐怖」私のちいさなお葬式 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5現在ロシアの不安と恐怖

2019年12月22日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

知的

難しい

 ロシアのインテリおばあちゃんの終活物語である。ソ連からロシアに変わって、商売が自由になって儲ける人たちも出てきたが、社会保障はかなり後退したと聞く。ソ連時代はリタイアした年寄は年金だけでも悠々自適だったのが、ロシアになって生活がギリギリになってしまったらしい。ロシアになって生まれた格差は着実に大きくなっており、若者は不満を抱え、年寄は不安に苛まれる。そして社会の裏側では新興のマフィアが政権に貢いでいる。
 本作品のおばあちゃんは年金で裕福に暮らしているように見えるが、ロシア映画だけに検閲を受けている可能性は捨てきれない。実際はもっとずっと貧しい筈だ。心臓の不調でいつ死んでもおかしくないと医者から宣告された設定だが、本当は生活苦で自殺したいのがおばあちゃんの本音かもしれない。本作品からは、描きたいことがあるのに描けないもどかしさのようなものを感じる。
 ロシアの現状はさておき、死がテーマの筈の映画なのに、死に直面したり死を深く論じたりする場面は殆どなく、死は鯉に任せて、人間は専ら金の計算である。ロシア人は金の計算が殊の外好きなようで、ドストエフスキーの「白痴」にも将来の生活費を計算する場面が出てくる。
 本作品のおばあちゃんは自分の葬式と後始末の費用を計算し、息子の世話にならなくて済むようにあちこち奔走する。その姿はどこか物悲しい。息子は息子で、人生の真実よりも金儲けが大事だという演説をする。かつての彼女は浮浪者になって道端で金の無心だ。
 現在のロシア人が抱えている不安と恐怖が凝縮されたような作品で、生活の温かみを喪失してしまったような雰囲気が映画全体を包んでいる。冷戦構造の崩壊、ベルリンの壁の崩壊は歴史的には価値のある出来事であったが、ソ連を始めとする東側諸国の人々にとってはそれほどいい出来事ではなかったようだ。プーチンの牛耳る政治の末端には顫えながら死んでいく人がたくさんいるのだろう。

耶馬英彦