やりたいふたりのレビュー・感想・評価
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性のスレ違いがライトでテンポが良い作品です。
以前から大蔵映画作品をR15+に再編集された「OP PICTURES+」は興味のあるシリーズで 機会があれば観てみたいと思って、「アップリンク渋谷」で「OP PICTURES若 特集」で上映されている「悶絶劇場 あえぎの群れ」を観賞。
「やりたいふたり」と勘違いしてましたw
映画ドットコムで「あえぎの群れ」が作品検索で引っ掛からないのでこちらで書かせて頂きました。スイマセン。
で、感想はと言うと…こんなもんなのかな…
大蔵映画作品をそんなに沢山観ている訳ではないので、他の作品と見比べる訳ではないんですが、ちょっと自分が思ってたのと違っていたかな。
漫画家の小崎愛が性体験の少なさからある別れた夫婦を取材するが、両者の言い分が食い違う所から、物語が絡みあう言うのは、普通のドラマとしても良くある話でそこにピンク要素が強く描かれている訳ですが、個人的に性をテーマとした際に描かれる人間の業や情愛、エゴの部分がどう絡み合い、織り成すかがピンク映画の根底に流れるテーマと思ってるのですが、その部分が物凄くライトに感じてしまいました。
…ちょっと自分の解釈が古いんですかね。
作風はかなりライトでテンポも良く、楽しめる部分もあって、昔の日活ロマンポルノと違っててある意味爽やかw
夫婦のスレ違いの悲劇を描いてますが、そんなにドロドロ感はない。
夫のタモツ役の関幸治さんは八面六臂の大活躍w
嫁のカオリ役の横山夏希さんはエロいと言えばエロいんだけど、どうも開けっ広げなエロさ過ぎるんですよねw
主人公かと思いきや、主人公感が薄くて、ストーリーテラーにだけなってた小崎愛役の霧島さくらさんのエロい部分がものすんごく少ないのが不満w
個人的には霧島さくらさんのエロ部分がもっと多ければ、評価が変わったかなw
といろんな勝手な事を書きましたが、男女の仲の性のスレ違いと情愛を丹念にライトに描こうとされている部分では、確かに他のピンク映画とは違うのかも知れません。
その辺りはもっとピンク映画について勉強していこうと思います!w
大蔵映画がやってる事って、個人的には興味深いんですよね。
昔はピンク映画とメジャー映画は地続きでしたが、今はその色も薄くなってきてますが、メジャー作品もエロもどんと来い!の漢! 城定秀夫監督wみたいに間口を開ける監督が出てくる試みとしては大蔵映画のやってる事は映画の世界での光り導く希望と正義に思えます。
また、一般映画館の劇場で様々な特集を組んでの上映をしているのも心強い♪
エロはエロのフィールドでの勝負と言う事を踏まえても、広く目を向けられている気構えが頼もしいです。
いろんな気になる大蔵作品があるので、今後も勉強していきたいと思いますw
「ジェラシーというモノは何という悪徳だ」
“OP PICTURES+フェス2019”作品群の1作品であり、過去の作品群も含めて頭一つ飛び出してる。
映画館入口にて配られていたビラの文章を引用すると『変態夫婦による愛の物語を多視点で描く本作』との撮影技法を紹介していたが、確かに本作はかなり作り込んで、凝った映像が目白押しの内容であり、これがピンク映画作品なのかと思うと、この可能性の広さは全く一般作品と遜色ない、それ以上のハイクオリティであると強く感じたのである。多彩な手数と、キチンと濡れ場での扇情度の保持だが、無駄に冗長にならずにコンパクトに纏めた性交時間や、カット割りでの興味の持続の演出、場面転換での小気味よい演出等々、この監督の才能の高尚さに称賛を贈らざるを得ない。
テーマ性からして、かなり哲学的要素を選んだのも興味深い。“NTR”(寝取られ)というジャンルは主にエロ漫画に於いて発展していったのだが、それがAVに移行すると途端に生臭くなってしまうところが欠点であった。“嫉妬”という負の要素を色情に変換させる心理転換は、かなりの精神的特異性が必要であり、通常の人間ならば、その負の要素から自らを遠ざけようと自然に心を別場所に移すのだが、そこにリビドーを直結させるという高難易な自己催眠に近い変換は決して解読不可な破綻した方程式であろう。哀しさで興奮するなんて芸当は、先天性のなせる技かも知れない。そんなテーマを、一組の夫婦のそれぞれの視点から、その言い分、見方の差違を通じて、尚且つその両方を知る第三者である男の浮気相手の視点も拗込む事で益々カオスなストーリー展開を拡げる展開へと進んでゆく。一体誰が嘘をついて、誰が本当の話なのか、という“信用のおけない語り部“の技法を入れつつ、登場人物が同じだがいわゆる”グランドホテル方式“の同一時間及び同一の場所での異なったストーリー展開として、魅惑さが加速していく。細かい編集に於いても、シーンの最後に精液が垂れるところで、次の転換でその垂れる様をコーヒーにミルクを垂らすシーンにオーバーラップさせるという映像は白眉以外に思いつかない修飾語である。それをキチンと狂言回しとして取材する漫画家という役柄を設定させることで整理も付きやすい親切設定。クライマックスでの狂言回し自身が自分も混沌に引き摺られてしまい、その演出でのワンカット長回しは、『カメラを止めるな!』を相当研究した習作として高度に再現性が高く、余程頭脳明晰な監督であろうことは直ぐ理解出来る。ラストは描かなくても良かったのかと蛇足感も感じたが、しかし女が離婚して5年経ってもやはり男を愛していて、その男が映る流失映像でのプライベート性交シーンに於いて、浮気相手を自分に置換して、泣きながら絶頂に達するという心理描写を重要なメッセージとして訴えたかったことなのだと鑑賞後に改めて思い返すことが出来た。相当の秀作を観せて貰ったことに感謝したい。74分という短時間で凝縮された高品質な作品であることは間違いない。
初見
知り合いに誘われて鑑賞。
映画館は満席で、昨今では珍しい立見客までいる盛況ぶりだった。客層も老若男女問わず様々ですっごい不思議な感じ。
なんかのフェスティバルの一環らしく…その老若男女が上映を心待ちにしてる空気が漂ってた。メジャーな映画館では感じる事が少なくなったモノが上映前の客席に漂ってた。
これしか観てないのでピンク映画事情は分からないんだけれど、なかなかに手の込んだ作品な印象。奥行きがあるとでも言うのだろうか…限定されない空間と時間を感じる。
勝手な思い込みで申し訳ないのだが、ピンク映画の立ち位置が俺には未だよくわからない。
ファンがいるだろう事は分かるのだけど…このジャンルの何に惹かれるのかまでは分からなかった。
普通に映画だ。
裸のシーンは多いけど、AVのようなダイレクトな描写はない。
脚本だってしっかりしてる。
無名の役者がやってる分、見劣りはするが適当に芝居してる感じはしない。
声にちゃんと距離感を乗せられる人達が演技してる。
だからこそ…上映前に漂う空気の内訳がわからなかった。単純に人が多いだけだったのかもしれないし、映画を観る以外の目的の人がいなかったせいかもしれないけど。
このジャンルが持つ特異性とでも言うのだろうか…それが何なのかまだは掴めない。
閉塞的な「性」というものを他人と共有するって状況は特異ではあるのだけれど、それを目当てに来てるような人は居ない感じだ。
監督は以外に野心家なのかと思う。
なんか文学性と悲哀のようなものがあるのは、ある種の伝統とか国民性なのかなと思うのだけど、あの長回しはリスクでしかないように思うのだ。凄いよく出来た1カットではあるのだけれど、時間も予算も限られてる中で、それをぶち込んできた勝負観とでも言うのだろうか…監督としての野心を感じた。
主演の2人が泣きながら「愛してる」と嗚咽するシーンまででピンク映画としてのノルマは果たしたぞ、と。
ここから先はピンク映画とメジャー映画への挑戦だ、的な。
まぁ、それがあったから「普通に映画」なんて事を思ったのかもしれないけど。
70分程の尺だったのだけど、話の展開がスムーズで、仕掛けも豊富にあったので、存外退屈しなかった。
むしろ、アイドルなどにオンブに抱っこな作品よりは映画としての純度を感じる。
大袈裟か…。
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