「「無能と無知に投資」」国家が破産する日 いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
「無能と無知に投資」
1997年にアメリカ・投資会社モルガンスタンレーよる「投資家は直ぐに韓国から離れよ」というレポートから始まる、“マネーショート”韓国版の作品。但し、おふざけやコメディ要素は一切無く、大変真面目にそして厳しい情緒で描いていく作りである。その中でも強烈な風刺や皮肉は随所で散りばめられていて、そのセンスは疑いようもない素晴らしさである。例えば、未曾有の経済危機が起こる時に、ズラリと並んだ官僚が乗る数々の外車の前でのシーンは、かなり凝った構図であることは疑いようもない。
今作品は、正直観るのは気が重かった。粗筋でもそしてレビューでも日本のバブル崩壊後の“消失した十年”を想起させるテーマであり、少なからず自分の身の上にも心当たりがある内容であろうと予想し、振り返りたくない過去を直視する覚悟が必要だと思ったからである。そしてその覚悟も決めぬ儘、映画は始まってしまう。
ストーリー的には3つのパートがそれぞれ同時進行しながら、巧みに場面転換を繰広げる構図となっている。フィクションとはいえ、史実に基づいた表面の出来事の裏側を描いているのだから、その結末も又事実としては周知されている。実際あのような役人達や財閥のボンボン、そして町工場のオヤジが実在していたのかは分らないが、あくまでも“池井戸潤”的な経済小説としてのエンタメの観方が好ましいと感じる。実際、あんな政財界上層部のメチャクチャ且つトンチキで無責任さが蔓延っていたとしたらこんな危機以前にとっくに破綻していただろうから、かなりオーバーには描いていて、そういう意味では親切な建付けに仕上げている。特に悪役の役人はそれこそ“相棒”の敵役の演出に酷似していて、経済用語等の難解さは気にしなくても、大まかに悪徳振りが認識し易い。そんな明瞭な展開の中で、しかしラスト前のシークエンスでの、3パートの内の2つが結びつく件は、ハッキリ言って戸惑いを覚えた。というのもそれを匂わす伏線が一切無く、余りにも唐突だったからだ。勿論、伏線を張る法律など無く、如何様にも表現は自由なのだからこれも持ち味といえば否定しない。しかし、町工場のオヤジと正義の女役人が兄妹という関係性をぶち込まれると、一気に色々とかの国のネガティヴな因習が透けて見えてしまい、兄に融資先を紹介してくれと頼まれた後の車中での号泣シーンの女役人の心理や真意が幾重にも想像されてしまい、却って焦点がぼやけてしまう状況を作ってしまったのではないだろうか。それが今作品のキモであるならば、やはり伏線をきちんと序盤に設定して欲しかったと残念でならない。具体的に言えば、急に現れた兄への憐憫の涙か、それとも清廉潔白さを旨とした矜持をねじ曲げて、血族を選んだ自分の不甲斐なさ故の涙か、結局自分の兄妹しか助けられないこれまでの自分の過信に対する恥辱の涙なのか、純粋に権力に対する敗北の涙か、どう捉えて良いか困惑するシーンであった。そして、その後の付け足したような20年後の話も又、なかなか一筋縄ではいかないそれぞれのパートの顛末で、今作品の複雑で多層的な世界観を描いた着地に、幾重にもの解釈と共に、コントラバーシャルな論議を呼び込む意図はしっかり感じられた。
ラストの「疑い、目を開く事」というモノローグは、もう少し具体的且つ同意味で違った言葉を披露してくれたら今作品はもっと輝けたのではと思った次第である。いずれにせよ、こういう作品が日本では生まれにくい事を考えると羨ましい限りだ。