「劇場という生な空間への賛美歌」劇場 南 貴之さんの映画レビュー(感想・評価)
劇場という生な空間への賛美歌
主人公の感情に魅了されるストーリーだった。
というのも…
とことん考え方が似通っている部分がある。
正直、そこまでの”ダメ男”じゃない自負はあるが、何より自分への自信とその反対の弱気さは
常に鬩ぎ合っていて、どうにも耐えられない時が必ず来る、来ている。
「いつまで持つのだろうか」というセリフはまさにそうで、そこには個人的共感が強かった。
映画作品として全体を見た時、美しいまでに空想と現実の境界線が最終的にわからなくなる。
これが本作の良さなのかなと思う。
どこまでが「劇場」内で、どこからが”リアル”なのか、
いやそれとも全てがリアルなのか。全て虚構なのか。
これはまさに劇場で芝居を見ているときに感じることではないか。
変な食わず嫌いのせいで、もっぱら生の芝居を見ることは少ないのだが、
映画館で見る映画でも同じかとも思う。
良い作品ほど、自分のいる「空間」が麻痺する。
隣の客が泣いているという時、実はそれもその映画のストーリーとして自分の中で昇華される経験を幾度となくしている。
そういう場合、空間が映画館として、というよりは作品から派生した何かになっている。
そんなことを体現した映画がこの映画だとも思えた。
監督がインタビューで絶対に映画館で上映したいと語っていた。
実は今回この「劇場」において、自分が嫌としていた「途中見」をやってみた。
Amazonプライムでの視聴。途中まで映画を見て、少し時間をあけ、また見る。
映画館ではできない見方だ。
映画では心をギュッと締め付けるようなシーンがちょうど中盤にやってくる。
そこが実は良い時間の切れ目であったり、また心を休める切れ目にもなった。
良い面としては、映画観賞後に受ける後味がマイルドになったという点。
しかし、思い返すとこの作品ではやはり通しで見て、映画館という空間でこそ、
初めて「劇場」というタイトルにつながってくるのではないかとも思う。
劇場の、映画館の、匂いなどもこの映画のスパイスとして必要だと思う。
このスパイスこそが映画館の良さであり、現実とをキッパリと分けてくれる境界線かとも思う。
ディズニーランドしかり、そういうイメージだ。夢から醒めないと、夢は辛くも楽しくもない。
ネットで観賞された方は、ぜひ映画館でも。
この作品はまさにそういうものだとも思います。