「人を愛することにも「所有」と「共有」がある」劇場 映画野郎officialさんの映画レビュー(感想・評価)
人を愛することにも「所有」と「共有」がある
『劇場』を「劇場」で観た。
この新作は同時にAmazonでも配信されている。冷房のきいた部屋でそのまますぐに観られるのに、それより高いお金を払って、わざわざ炎天下のなか映画館まで行って、往復の時間使って、上映開始まで待って…なんでそこまでしてって思うんだけど、その過程すべてが映画という体験なんだなって改めて感じた。
観終わったあと、チケットの半券が愛おしく感じるのもそのためだろう。
「読後感」という言葉はあるのに、なぜ「観後感」という言葉がないんだと嘆きたくなるほどの余韻。エンドロールを観ているときに、もうこの映画がまた観たくなった。劇場で。
又吉直樹の原作を読んでないけど、山崎賢人演じる永田のモノローグは詩的で、それを軸に進む物語は小説のようで、そういう意味では「読後感」というものにも浸れた。
こんなに映画に関わる人やもの、すべてを好きなる作品もなかなかない気がする。
山崎賢人の芝居をもっと観たくなったし、松岡茉優は愛くるしくあんな彼女にまた会いたいし、行定勲監督の次の作品も楽しみだし、又吉直樹の原作も読みたくなったし、ボロアパートで肩を寄せ合い節約する生活が尊いし、演劇を観たくなったし、そしてこの映画にまた映画館で会いたくなった。
「一番会いたい人に会いに行く
こんな当たり前のことがなんでできなかったんだろう」
映画館で当たり前のように映画が観られる。その幸せな日常をもっと大事にしよう。本当に大切なものは失ってからしか気づけないものだ。
人は大切と思うものこそ自分のものにしたい欲望がある生き物だ。家も服も食べものも「所有」したがる。
人を愛する方法にも二種類あると気づかされた。「所有」と「共有」だ。
相手を大事にしたいと思うあまり、まるで自分のもののように守り「所有」する。それは往々にして嫉妬を生む。
逆に相手が好きになるものを自分も好きになる。「共感」という名の好きの「共有」である。
どちらも相手を想う気持ちは同じだが、一方通行ではない"思いやる"ことが大事なのだろう。
相手を受けて自分を返す。それは芝居も同じ。人生という舞台は、自分が脚本・演出の「劇場」だ。想像できることは、その上で演じることができる。生きるとは難しいが、可能性に満ち溢れている。
あと、こんなキスもセックスもない恋愛の描き方が慎ましく、美しいと感じた。
特にラストは劇場で観ることを前提につくられているから絶対に映画館で観ることをおすすめする。「観後感」が全然違うはずだから。
(って劇場公開はあと2日間なのかな?駆け込みぜひに!)