「最高でした!何度でも見たいと思わせる作品」劇場 ryuさんの映画レビュー(感想・評価)
最高でした!何度でも見たいと思わせる作品
原作読んでみました。
山崎けんと、松岡茉優、伊藤さいりあたりがさすがの演技力、激はまりでした。
行間も想像しながらで(余計な演出も少ないため)楽しむことができた。
沙希がなぜ永田にひかれたか?それは圧倒的なセンス(芸術)、自己があったからのはずだ。
しかし次第に世間の価値観や永田に翻弄され?画一化されていく沙希。
それも野原の「人の評価とか一切気にしなかったお前が、沙希ちゃんの前では
評価を気にしてんだろ」と話すところからも、恋(嫉妬)により
オリジナルではなくなっていく永田を捉えることができる。
序盤、本音で接する価値観に魅力を感じながらも、うまくそれを沙希の前では表現できない永田。
沙希は沙希で永田何を考えているかわからないところに魅力を感じたはずなのに、その芸術性が次第に苦しみと変わっていった。
つまり世間(劇中でいうと居酒屋でのバイトなどか)やそれとの関わりを起因とする嫉妬心と一定の関わりが誰しもある以上、人の価値観は変わるのでいつまでも本音の自分では相手に受け入れてもらえなくなってくる可能性があるということだ。
するとこのように適応して変わっていったらある意味うまく一緒にいられたのかもしれない。
それでも原作者は最終的には「会いたい人に会いにいく。なんでそれができなかったんだろうな」とプライドとか建前とかかなぐり捨て、本音で生きようと投げかける。
永田の価値観も変わっていったし、沙希の価値観も変わっていった。
ただもし永田が恋に翻弄されず、ずっと素の自分でいれたのならば「永くん何も変わってない!」
というザ・世間体のパワーワード成長を起因とした言葉は発せられなかったのかもしれない。
→素でいればその人間から発せられる引力で、恋人を世間に明け渡すこともなかっただろう。
世間に左右されない(人からどう見られているか考えない)素をお互いが見せ合うことこそ、リアルなのである(永田が徐々に死んでないよの評価や青山からの「仕事なんだから媚へつらえよ」などの関わりあいからもやはり変わっていっていたのだ)。
映画は終盤離れる二人を描写し、終わりとなる。
ただそのときのお互いは「私がかわっちゃったのかも」や「なんで素直になれなかったのか」という発言からも昔の二人を取り戻しつつあった。きっと永田が語るような未来が、演劇が訪れることを思わせてくれた。
そしてなにより競争心による建前などを持ち、典型的な像にはめた恋愛を目指すのではなく、
自分なりの演劇(世間との距離を持ったコンテンツが演劇、劇場だとするのなら)を創造し、全うして生きていけるようにしたい。
追伸:最後は音とか演劇のくだりにする必要はなかったように思う。
劇中歌は無音のまましっとりあの永田の言葉を綴るシンプルのほうが泣けたはず。