ミッドナイト・トラベラー : 映画評論・批評
2021年9月7日更新
2021年9月11日よりシアター・イメージフォーラムほかにてロードショー
アフガン難民とスマホ撮影の時宜性が、“家族”という普遍的価値を際立たせる
今観るべきタイムリーなドキュメンタリー映画であることは疑いようがない。2001年9月11日の米同時多発テロを受け、当時のブッシュ政権は「対テロ戦争」の一環としてイスラム武装勢力タリバンが支配する中央アジアのアフガニスタンに攻撃を開始。一時は西側の支援で新政府が樹立するも、やがてタリバンが盛り返し、今年4月には米バイデン政権がアフガンからの米軍の完全撤退を表明。撤退完了予定日の9月11日が迫るにつれ、国外避難を望む市民が空港に押し寄せるなど混乱が深まっている。その9月11日に日本公開となるのが、あるアフガンの家族が難民としての3年の旅を自ら撮影した「ミッドナイト・トラベラー」だ。
本作の“主人公”である家族は、映画監督のハッサン・ファジリ、その妻で女優・監督でもあるファティマ・フサイニ、二人娘のナルギスとザフラ。ハッサンがタリバンの一員から平和主義者になった男性を題材にしたドキュメンタリーを2015年に発表したところ、内容に憤慨したタリバンはその男性を殺害し、監督のハッサンには死刑を宣告する。最初の避難先の隣国タジキスタンで庇護申請を拒まれたファジリ一家は、欧州連合の域内で難民認定してもらうことを目指し、5600キロの旅に出る。
家族が撮影に使ったのは、サムスン製スマートフォン3台。時にはトラックの荷台ですし詰めになることもある難民の旅で、持ち運ぶ家財一式をできる限り減らしたい家族にとって、小さく軽く子供にも撮影できるスマホは最適解だっただろう。また近年のスマホの高性能化もあり、画質が良く手ブレも少ない映像になっているのも好ましいポイントだ。
当事者でないジャーナリストや映像作家が難民を撮影していたなら、あるいは「暴力的なタリバンと、抑圧される表現者」とか、「難民たちと、滞在先の外国の消極姿勢や排斥運動」といったより大きな構図を強調したかもしれない。だがハッサンたちがスマホのカメラで切り取るフレームは、あくまで家族とその周辺にとどまる。たとえば、難民キャンプ内の狭い共同住居の一室で、「退屈だ」と号泣する長女ナルギス。部屋を訪れた少女の容姿を褒めたハッサンに対し、「不適切よ」と非難し口論する妻ファティマ。そんないくつかのシーンは一見、平時のどこにでもある感情の発露のようだが、表にあふれ出るそうした感情はいわば氷山の一角で、心の水面下には過酷な難民生活の中で鬱積した不安と恐怖が抑えられているであろうことは想像に難くない。
だが、そうした胸が痛むシーンは比較的少なめで、普段の家族たち、とりわけ妻であり母でもあるファティマの表情は意外なほど明るい。彼女の柔和な笑顔が夫や娘たちの救いになっていることが映像から伝わってきて、観客の心もなごませる。どんな環境であれ、苦難や逆境の時も希望を失わず、笑顔で支え合う家族がいかにかけがえのないものか、その普遍的価値を改めて教えてくれる。
(高森郁哉)