ミッドサマーのレビュー・感想・評価
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あなたの知りたくもない世界
他に観るものないし相当な奇作と聞いていたので鑑賞
アリ・アスター監督作品は未見です
感想としては
美しさを感じるビジュアルと共に
コレ作った人頭大丈夫という感じ(褒め言葉)
ただめちゃくちゃグチャグチャの中にちゃんと
メッセージ性は多少あるのかなと感じるものでした
民俗学を専攻する大学生のグループが
卒論テーマや気分転換など色々な理由を付けて
スウェーデンの90年に1度の祝祭に参加します
参加するのは
家族を失い精神的に不安定なダニー
ダニーの恋人で草食系だけど妙にモテるクリスチャン
今回の旅を手引きした地元出身のペレ
論文のためなら周り見えないけど概ね理性的なジョッシュ
バカでスケベのマーク
などで現地で
最初から樹脂でキマッてる人や
イギリス人バカップルに会います
そしてメンバーはもれなく樹脂でガンギマリしており
かなり現実の境目が無くなった状態で9日間の
祭りに参加していきます
その村の祭りは実在する神話がベースにはなっている
ようですがどことなくディフォルメされた感じですが
とりあえずテーマは古き生の死と新しき誕生
一同は村の老人が飛び降りて死ぬ儀式でパニックに陥ります
事前に説明せずに見せてるのもよくわかんないですが
ダニーはトラウマが蘇りイギリス人バカップルは混乱して
帰ろうとしますがバカップルはその後行方が分からなくなります
その後マークは神聖な木に小便をして
ジョッシュは祝祭を卒論のテーマにするのに夢中に
なりすぎて禁忌を破って行方が分からなくなります
ダニーは「女王」を決める儀式に高揚する水を飲まされ
参加し女王になってしまい
クリスチャンは村娘に惚れられて性交の儀式を依頼され
同様の水を飲まされ半ば無理矢理協力されてしまいます
ダニーはその現場を見てしまい絶望に暮れますが
女王として村の一員と認めた村人達は同じように慟哭し
ダニーは悲しみを共有してくれたかのように感じていきます
クリスチャンも性交後全裸で逃げ出してあちこち逃げ回りますが
そこで行方が分からなかった仲間たちが全員惨殺されているのを
目の当たりにしつつ自分も眠らされてしまいます
そして祭りのラスト
9人のい生贄を小屋ごと燃やしますが
女王として最後の生け贄を一人選びます
候補にクリスチャンが含まれていますが
ダニーはクリスチャンを選び他の仲間の死体と
一緒に燃やされダニーは蔓延の笑顔で話は終わります
…終盤はもう唖然として見るしかなかった感じでしたが
結局ダニーは家族を失った悲しみをクリスチャンやその仲間達には
共有してもらえず女王となったときの村人達に一番共感してもらえた
と思ってしまい傾倒していってしまったのですね
これはカルト宗教にハマる時の典型例ですから非常に危ない
またジョッシュら研究のために神聖な祝祭に敬意を払わないと
どんな仕打ちに遭うかという部分もあります(殺されまではしないでしょうが)
他人にはとても理解できない文化や儀式や習慣って
どこの国にもあるいは会社にもあったりしますから
そんなに特異的な事ではないというメッセージも感じ取れます
只とにかくゴアなシーンや生理的に嫌悪するシーンが平気で出てくる
ためPG以上に観に行くには気をつけた方がいいとおもいます
ビジュアルに圧倒されっぱなしになってしまう作品ですが
しいて言えば村に行くまでの尺がちょっとありすぎて
ダレてしまう感じはあるかなと思います
行ってから色々独白していく感じでも良かったんじゃないかと
思います
なんかあまりに殺されに行くだけ感が強かったです
まあホラーはそんなもんですけど
この作品を薦められるかどうかと聞かれたら
怖い物見たさとしか言えません
あんまり中庸な点数を付けたくないのですが
さすがにこれは見る人選ぶかなという感じなので
1点引いときます
禍々しいが救いのある話?
あの アリアスター の長編2作目ということで鑑賞。
前作ヘレディタリーは自分の人生の中で間違いなく最も怖い、というより忌まわしい一本だったが今作はそう言った ホラー的 な感情を主に扱った作品ではなかった印象。
主人公ダニーが家族にある決定的な 呪い をかけられたところで今作のタイトルクレジットが出るが、今作は彼女がそんな呪縛から解き放たれるまでを描いた作品だったと言える。
前作ヘレディタリーのラストもある種の祝祭感が溢れていたが今作はその 救い に向けての話運びがより明確になっている気がした。
白夜のスウェーデンのそれはそれは美しいホルガ村を舞台に繰り広げられる 家族 そして 生と死 のあり方は、ダニーを苦しめる一般的な文化的価値観とは180度異なっており、そのコミュニティの中では彼女の苦しみは意味をなさない。
(180度異なる という点は村に近づいていく途中のカメラワークでも 文字通りの形で印象的に示される)
つまり、村で繰り広げられる様々な 禍々しい風習 がダニーの抱える苦しみに対してある意味 わかりやすく 対照的なものとして描き出されていくので、話の向かう方向性にはそもそも忌々しい雰囲気があまりないのである。
その点でミッドサマーはヘレディタリーと比較して 恐怖 とい成分が少ない印象なのかもしれない。 というか、この映画に関していえばジャンルは ホラー ではないとも言える。
描いているのは 恐怖 ではなく、自分の生きるコミュニティとは全く異なる価値観で生きる人々の 異物感 とその 正しさ(正当性という意味ではなくその場を支配するという意味で)だった。
彼らからすると何一つ間違っていない 全て正常 なのだ。
食人族映画と同じだな。
とはいえ・・・
恐怖が少ない というのはあくまでヘレディタリーと比較してということであり、一つひとつの描写の感じの悪さはやはり凄まじい。
美しい景色の中で美しく繰り広げられる恐ろしく禍々しい風習の数々がほんとーに感じが悪く、なのにそれ込みでやはり超絶美しく撮られている。 それら全部をひっくるめて超キモいのだ。
特に、昔から苦手なのだが、ああいう ヨーロッパの絵本 的なタッチの絵で何か描いてあるだけでもうたまらなく嫌!笑
後半に向けて加速するバットトリップ的描写と合わせての数々はもう完全に見る側の理解を超えて彼らの文化の中で事態が進んでいくので やばい・・・この人たちやばい・・・ ともうただドン引き。
え 結局お前どこからそのつもりだったの? といのはどうやら映画をもう一度見直すと色々とわかるようになっているらしい(ヘレディタリーも結局 最初から詰んでたのね・・・ という話だった)が、とりあえず怖いので見直しません!!
でもダニーを旅行に誘うくだりの時点で こいつなんかやばくない?みたいな雰囲気はビンビンだったとは思う。
音楽 と 音の部分での演出もすごくて、最後とかもう
壮大なんだか 禍々しいんだか 美しいんだか
もうわけがわからない、こんな音楽はこの話以外ではあり得ません
という感じ。
フローレンスピューは今作のほか、個人的に超絶楽しみなストーリーオブマイライフ、MCU新作ブラックウィドウ などの注目作もあるし、ジャックレイナー、ウィルポールターも役者としての地位を確実にステップアップしており役者陣の充実もすごい。
怖いのはわかっているが次回監督作も期待大な出来だった。
いやーしかし本当にアリアスター作品はホント感じが悪い。笑
前作同様 カルト 的な集団を取り巻く話であり、ヘレディタリーの公開の際にはインタビューで 自分の家族に起こった出来事を題材にしていると答えていたが、彼の家族に一体何があったのだろうか。怖いけど聞いてみたい
海外旅行をした事がない私が北欧を満喫
折角の連休なので、「気分だけでも海外へ」と観に行きました。
海外旅行はおろかパスポートすら所持しておらず、このご時世に外国語を話すことも出来なければ、外人の知り合いすらいない私。グローバル社会の中、いまだに鎖国を続けるサムライであるため、海外の文化や風習にも明るくありません。なので、あまり自分の倫理観や先入観だけで海外について苦言を呈したくないのですが、それでも言わせてください。
ハーブはダメ、絶対!!
沢〇、マ〇キー、そして田〇、見てっか?ダメだぞ、君たちはハーブに手を出しちゃダメだぞ!
村に到着し自己紹介から流れるようにオープニングハーブをキメ、ことあるごとにハーブをキメる。心を落ち着けるためのハーブを勧められたり、ダンスの前にもハーブでテンションアゲアゲ。村人全員、パーティーピーポーか何かなのかな?そして極めつけは、女性の村人とのキメ〇ク。しかも、オバサンがメチャクチャ関与してくる始末。あそこに関してはハーブが無かったら無理だったね。しゃーない。
このように、全編通して、「ハーブ万能説」で押し切ってくるのよ。仕方ないんだけどね、わかるんだけどね、ただね、「ハーブだからしゃーない」ってなっちゃうのよ。何か異常な行動があっても、「村人全員ハーブでラリってるもん」ってねw
個人的には良く出来ていたなと。
登場人物の立場になれば恐怖しかないけど、客観的な立場になると、こんなもんかなという印象。北欧に限らず、日本を舞台にしても成り立つ話だし、「閉鎖的な村で続く儀式に巻き込まれた旅人」というのはホラーとして珍しくないですよね?単純だからこそ、細部に凄くこだわっているのが伝わったし、こだわりが凄すぎて1回観たぐらいではわからんという、もったいない状態にもなっていたなと。その手の知識が無いのでわからないですが、考察する余地がめちゃくちゃあるのでしょうね。なので、そういうのが好きな人にとっては傑作だと思います。
強いて言うなら、助かる余地があったのかだけ気になる。
生贄の人数よりも招待客の方が多いわけだし、逃げ切れる選択肢があった方が良かったかも。いくら伝統儀式だからといって「外の人間拉致して、皆生贄にします」では、頭の狂った集団にしかならない。「文明的な人間が論理的に思考した結果、非文明的な儀式を続ける」みたいなほうが決定的に理解が噛み合わないから恐怖を感じたかな。
そういう点で言えば、ラストシーンのヒロインは好きです。村で生きていくことを決めた一方で、皆がWO~WO~している中、一人笑っている。まだ染まり切っていないヒロインが何を感じていたのか、凄く興味深いですね。
鑑賞前は、「若者がバカンスに行く」タイプの単純なホラーだと考えていたのですが、実際は監督の「好き」を詰め込んだ宝箱みたいな作品でした。上映中、観客の息遣いが凄かったので、宝箱の中身についての評価はお察しですw
可哀そうなヒグマちゃん・・・
友人のペレの故郷でもあるスウェーデンのホルガという小さな村。奥にはピラミッド型の神殿もあるし、絶壁の山もある。白夜なだけにずっと明るいため、時間の概念すら奪われそうで、常にトリップした雰囲気の若者5人組。元々は男子4人で行こうと計画していたのに、クリスチャンの恋人ダニーは折しも両親、妹の3人を同時に排気ガス自殺で亡くし、失意のどん底だったために急遽参加することになったのだ。
閉鎖的なコミュニティのカルト的儀式。自然を愛するがゆえに“サイクル・オブ・ライフ”という、人間も自然になぞらえている。なんとなく90年に一度という大祝祭と18年周期の人生が絡み合うが、どうも72歳になったら死を迎えることが自然なようだ・・・。自然に癒されることも大切だ!なんて初日を過ごしたが、彼らよそ者が目の当たりにしたのは驚愕の自殺の儀式だった。
もう帰りたい!と思ったに違いないダニー。民俗学の論文のために必死にメモする黒人のジョシュ、クリスチャンも共同研究したいと言い出す始末。まぁ、自殺だけならそのまま帰れたかもしれないが、『メイズ・ランナー』でも演技が印象的だったマーク(ウィル・ポールター)が枯れ木にしょんべんかけたことからおかしくなった。逃げろ!メイズ・ランナーのように・・・あ、やられちゃったな。
とにかく閉鎖的であるがゆえに、近親結婚もあるんじゃ?という疑問もおこるが、時折外部の“血”を取り入れてるのだという。アメリカではいとこ婚も禁ずる州が多い(可能なのは6州)けど、その考えも取り入れてるのだろう(ちょっと日本と違う)。最終的にはその外部の血が欲しかっただけという目的もあった。
とにかくグロ!明るい草原の風景とマッチしない異様さがまた凄い。ダニーの視線がほとんどなのですが、手や足に草が生えてくる描写が面白かったし、わざとらしくメイクイーンに選ばれ、最後の生贄の決断を迫られるところもいい。ペレくんが大仕事をやってのけたんですね。
それにしても上映後、誰も席を立とうとしない。しかも女性たちに人気があるみたいで、「面白かった」「パンフ欲しい」という声が聞こえてくる。男はしょせん種馬さ・・・みたいな・・・どこかで書いた気がする。
最後に鳥肌が立った。原始的な、根源的な畏怖を揺り起こされたような…こんなホラーは日本では(ジャパニーズホラーとやらを作っている限りは)生まれないだろう。
儀式の最後、生け贄の館が燃え上がるシーンで全身に鳥肌が立ち、しばらく治まらなかった。体に火がついた生け贄の一人が泣き叫び出すと同時に、ホルガの人々も、有るものは泣き叫び出し有るものは笑い出す。そのときに、ふと一緒に叫び笑いたくなった。怖い。話はいたって簡単。映画の冒頭で家族を失くしたダニーが映画の最後で新しい家族を見つける話。(何せダニーがパニック障害の発作を起こしても一緒にパニクってくれる家族なのだ。) オジンとオバンとが投身自殺した時点で彼らが生きて帰れないことはわかってしまう。あとの楽しみはダニーとクリスチャン以外はどういう風に消されていくのかということ。そしてダニーとクリスチャンとが最後にどうなるかという興味だけで引っ張っていくのだが、牧歌的でもあり薄気味悪くもあり、美しくもありおぞましくもある、という世界は結構飽きさせない。ホルガに行く途中で走っている車からの視点が180度引っくり返る、いつか夢て見たようなシーンがある。その時、これは面白そうな映画体験になりそうな気がしたが、あそこで既に非日常の世界に入っていた訳だ。
なんとも不思議な映画
朝一で観た。←朝から(笑)
3分の2くらいが明るいスウェーデンで、朝に相応しいかなと。なんてことは全くなかったが。
劇中ではコミューン呼んでたけど、もっとカルト村的な感じ。
家族を亡くして精神的に参ってしまう役を演じたダニーがすごいと思った。
ジャック・レイナー(シングストリートのお兄ちゃん!)が全裸で走り回るのは見たくなかったけど。
カメラワークが独特で、村?に近づいて行くシーン全員が揃って食事をするシーンとか、面白かった。
ラストはうーむ、という感じだったが、きれいな風景と異常な儀式のコントラストが割と面白く、見応えがあった。
ホラーと観るかメンタルケアとして観るか
アリ・アスター監督作品は「ヘレディタリー/継承」のみ観賞済。
「ヘレディタリー」公開時に絶賛の声をSNSで見ていて興味はあったものの機会を逃していたので、この作品が公開されるのを聞いて「ヘレディタリー」を観賞し、「ミッドサマー」が公開された初週に不安半分恐れ半分で観に行った。
事前にホラー映画と聞いていたものの、観終わった時の印象はむしろ"現代人の為のメンタルケア映画"だった。
冒頭で主人公・ダニーの姉が両親を道連れに自殺する衝撃的なシーンから始まり"映画は冒頭五分間で作品のテーマを描く作品が多い"と言うのを知っていたので、こんな胸糞悪いシーンが一体どうテーマに関わるのか一気に心を捕まれた。
村へと向かっていくシーンでゆっくり上下反転していくカメラワークは"ここからは世の理が通用しない"(ここから怖いシークエンスですよ)って言う比喩として解りやすかったし、村に入ってから"村で語り継がれている寓話"を紹介する体で、これからの展開を暗に(冒頭でも)示すのも後々その展開がいざ来た時に精神的な備えが出来るのは良かった。
この手法を見た時点ではホラー映画としては予め今後の展開を知ってしまうのは恐怖感が薄れてしまうのでは?と思ったけれど、白夜と言う太陽が沈まない季節で明るいからこそ恐怖の対象から目を反らせない恐怖と、その展開を知っているからこそその恐怖からも目を反らせないって言う入れ子の構造が常に緊張状態を持続させて、個人的には暗闇が舞台のホラーよりも怖かった。
「ヘレディタリー」でも思ったものの、この監督は既存のホラー映画が醸し出す"恐怖"よりも日常に潜む"人に対する不快さ"、"胸糞悪い気分"を醸し出すのがとても上手い監督だと思う。
序盤では不眠症に悩まされたり、会話の最中でも意識が散漫としてしまうなどショックを受けた事で情緒不安定になっているのがトイレに駆け込むことで時が何日、何時間も進むなど演出的にも強調されていた。
そんなメンタルがボロボロな状態の恋人に対してクリスチャンは支えようとはせず、悩みを吐露出来るような友人も少ない中、結果的にダニーがホルガ村で"家族"と呼べる存在を見つけたのを見るとアリ・アスター監督自身が失恋後にこの作品を作ったってのも相まって、(カルトかどうかは置いておくとしても)集団生活を捨てた個々でしか生きられない逃げ場の無い現代社会は果たして良いのだろうかって疑問を投げ掛けているようにも感じた。
日本だと言い伝えで「姥捨て山」があったり「TRICK」でカルト宗教を扱っている回があるからこそ、ざっくりとした設定はそこまで新鮮には感じなかった(勿論演出が斬新で鳥肌は立った)けれど、海外では観賞後どういう印象だったのか気になる。
何かと比較されがちな「ウィッカーマン」もいずれ見てみたいな。
新鮮な演出
2人が同じ画面に入るようにクリスチャンを鏡越しにうつしたり、逆さまに道を撮ったり、カメラワークが新鮮でよかった
不安定だったダニーが依存先を見つけられたハッピーエンドだったけど、結局ダニー自身はまだ共同体に染まりきらずに自我を保ってたのがよかった
この先どんなふうに共同体と関わっていくのか想像するとちょっと楽しい
あとダニーの部屋のベッドの上に飾られてた、花冠をかぶった女の子と熊がおでこ合わせてる絵、なんだか意味深だな〜
めちゃくちゃ美しいけどめちゃくちゃ胸糞悪かった
今作はセットがメルヘンで色鮮やかで美しく、白夜なのでずっと明るい。それらが、幻想的というか違和感を引き出してた。そして、容赦無い描写の数々で普段見慣れてないから滅入っちゃった😓
最初の方は主人公が家族を失った悲しみでちょっと狂ってるのかなぁぐらいだったのが、夏至祭が進むにつれ段々と感じる違和感、そして崖から飛び降りるシーンから「えっ、あかんでしょ」と常軌を逸しまくりの村人の文化、思想が明らかになる。あんなことしといても馴染み深く、愛着を持っている文化故、罪悪感どころか幸せそうなのが怖い。
クリスチャンが他人の文化は尊重しなくちゃみたいなことを言っていたが、その文化の外にいる人に危害を与えてる時点で尊重すべきでないだろうと思った。
そして、村人たちの同調意識?の異常な高さ、皆んな同じリアクションをすることがある(同調した方が楽だもんね)。最早理性を失っているように感じた。例として終盤、ダニーがクリスチャンの裏切りセックスを見て、泣き叫んでる時周りの女たちも叫び出す。
ラストシーンの笑顔も、全て吹っ切れたからか、それとも周りと同調することを選んだのか?
後フローレンスピューの出てる作品初めて見たけど、結構ハスキーボイスなのね。ポストスカーレットヨハンソンになるかもね☺️
「肉体は無条件でいつか僕達を裏切る」
ラジオ番組“アフター6ジャンクション”内でアリ・アスター監督が答えていたパンチラインである。心気症でもあると告白されていた監督ならではの、精神と肉体の乖離、又は不一致性を端的に今作品に表現せしめた“金言”である。それを如実に印象づけている幾つかのシーンの重要なアイテム達を羅列してみると、幾度となく使用されるドラッグや媚薬は説明するまでもなく、肉体を制御不能にさせるモノ。そして、『Ättestupa』は日本『楢の山節考』のよりアグレッシブ版として、肉体の老いに対する一つの結論。そして主人公の女が恋愛、家族の不幸、そして奇っ怪な集団に駐屯している状況の中で、肉体が自然と同化していく幻想(手に草が生える、足も土に溶けていく感覚)。そんなシーンを散りばめる中で、強迫観念にも似た心身の不同一を丁寧に表現している手腕には狂気すら覚える程の作り込みである。更に、精神にも異常を故意に与えることで、正常性を排しそれを超えた別の社会性への帰依を図るカルト宗教的手法を表現することで、人間の脆さをも訴える構築となっている。マチズモの代表であるアメリカ人達が、次々と血祭りに上がる件、そして単なる“子種”としてしか必要とされていない対象、“メイクイーン”と呼ばれる、女性が長である社会性、心情を軽くスルーするやり方や、一方でオーバーリアクションを演劇やコンテンポラリーダンスを彷彿とさせる“型”に落とす動きで日常性の排除を催す動作に、精神さえも剥がれ落ちる若しくは脱皮するかのようにラストのクライマックスでの何とも言えない笑顔は、“狂気”という言葉さえ当てはまらない炎極がスクリーンに映し出される。これを34歳の若い監督が描いている事実に、驚愕という言葉でしか言い表せない己の陳腐さを嘆かざるを得ない。
ゴア表現ばかりが取り沙汰されるが、確かにジャンル映画としてのホラーでもあれだけの攻めた演出は、R指定を避けたいコマーシャリズムに果敢に挑戦していることをハッキリ見て取れるが、それ以上に注目なのは劇伴の細かいアレンジ調整の妙である。例えば、崖の上から投身するシーンでは掌の裂傷の前迄、音楽がメジャーコードなのにそこからマイナーコードへと転調することで不穏不吉さを劇的に演出たらしめている。音楽との親和性の高さ、そして裏切る演出も又サイコホラーとしてのジャンルの新機軸かも知れない。
今迄の家族をリセットし、新しい家族に取り込まれる。家族という共同体からは一切逃れられず、その十字架を次の世代へと背負わす。日本の昔の因習と同じ土着社会は実は世界共通であったことをありありと本作は突きつけてくる作品である。
本作は、他の数多くのレビュアーが仰るように、観る人を選ぶ特異な映像である。所謂『なんだ猫か・・・』的手法とは真逆の位置にある、決して陽が沈まない明るさの中での気が狂う殺戮のアイデアを提示している。身体は眠いのに、頭は冴える。そのアンナチュラルな季節を経験したことがない自分としては、バッドトリップの想いに耽るうってつけの、ジャストフィットな作品であった。多分、監督のバイブスに自分はかなりシンクロ率が高いのではと、勝手に判断してしまう悪い癖である。
【明るすぎる白夜の下の、唯一無二の”集団パラノイア”】
アリ・アスター監督は、つくづく”因習”、”継承”というワードがお好きだと見える。
そこに”A24"が絡むのだから、普通ではない作品になるよな、と思いながら独特過ぎる世界感にどっぷり嵌る・・。
物語は、序盤から、不穏な空気が立ち込める。
家族を事故?で失ったダニー(フローレンス・ピュー)は失意の中、彼氏のクリスチャン(ジャック・レイナー:久しぶり)の誘いで彼の友人達(含む、ウィル・ポーター 君がいるだけで、怖そうだぞ・・。)たちとスェーデンの”どこか”で行われる祝祭に参加する・・。
ほぼ一日中明るい土地で行われる、数々の因習を見ているうちに、こちらまで”何かを飲まされたかのように”脳内トリップ”していく。
”私、今を何見ているのかな?”
白を基調にした、貫頭衣のような衣装が印象的な人々の姿。(刺繍された花柄及び幾何学文様が素敵。一着欲しい・・。)
妖しいが、美しい。美しいが、妖しい・・・。
<見事に夏至祭の”サクリファイス”になっていく”外からの訪問者達の姿”も印象的な、アリ・アスターワールドを堪能した。>
ー 今作、地元のシネコンでまさかの上映。
いそいそと足を運んだが、当地では良い感じの客の入り(3割位かな。)で少し、ホッとして(何故?)劇場を後にした。ー
気持ち悪くなる映画
まず、気持ち悪くなった。
始めのほうの車が走っている時に上下が逆さまになるシーンや、会場に向かう人たちを上から見下ろしながらカメラがぐるぐる回るシーンなど
「この映画は気持ち悪くなりますよ」というサインだったのかもしれない。
なぜこんなにも嫌悪感を覚えるのか。
それは我々がいつもの生活で無意識に触れないようにしていることを、この映画は普通に見せるからだと思う。
死、性、近親相姦、ドラッグ
どこかタブー的なところがあるものたちがいとも容易く行われる。
崖を登る時に「飛び降りるかも」と誰しも思ったはず。
でも、「まぁ違うだろうな」とそうなって欲しくないと思う。
でも普通に落ちる。
始めのほうに、陰毛を食べさせたりして最後は結ばれる的な絵があった。
誰しもが「この通りになるんだろうな」と思い、「でもそうならないで欲しい」とも思う。
でも普通に性交をする。
胸糞悪いという表現は合わない、なんとも言えない嫌悪感にやられてしまった。
わかりやすい人生の参考書
凄く現実的な作品でした。小さな世界で人生の縮図を見せられている気分になりました。人の命は有限であり、群れる生き物だからこそルールがあり、学び悟り次世代へ引き継いでいく。とてもわかりやすく表現していました。
ただ…見知らぬ村の戒律を見せつけられている観光客を、お金を払って私が見てるっていう滑稽さ。たまりませんね。ドMではありませんが。
あれだけグロいシーンを目の当たりにしながらも、最後はダニーが笑顔になれて良かった、ペレは良い家族になれるだろうな、とハッピーな気持ちになれたのが不思議でした。
祝祭のクライマックスの炎には女王の笑みがよく似合う
どうやら『ハウス・ジャック・ビルト』を観ていたおかげで免疫ができていたようで、比較的冷静に鑑賞できました(ホッ)。
そうでなかったら、なんでこういう映画を作るんだろう、と悩んで終わってしまうところでした。
ネットで調べてみたら、実際のスウェーデンの夏至祭から、木材のポールとかハーブの香りといった類の祭りの道具立てのようなものをうまく取り入れているようですが、このお話のテーマらしきものとスウェーデンの伝承とか習慣が関係あるのかどうかは、残念ながらサッパリ分かりませんでした。
で、まったくの思いつき、こじつけ的な読解を試みました。
祝祭と死。
現代に生きる我々にはなかなか結びつけて考えるのが難しいと思いますが、病気や老いからくる衰えや死への恐怖から逃れる医療手段のない時代の人たちにとっては、ムラ全体が高揚感と熱狂に包まれるタイミングに命を断つこと、しかもそれが次の命に生まれ変わると信じられるのであれば、あのシーンも決して荒唐無稽なことではないと思います。
命は繋ぐものであって、いちいち悲しむものではない。
現代といえども、自給自足の中で得られる限られた栄養源しか摂取できない食生活と科学的な医療を施すことができず、ネットもテレビもなく、外の世界と遮断された環境で暮らしていれば、病気や老いの苦しみは昔とさほど変わらないはずです(村人たちがみんな健康そうだったので、そうは見えませんが😅)
しかもあのコミュニティの中では、全員が家族なので、直接的な身内への特段の悲しみ、という概念は薄くなります。
ついにあのムラの人たちと同期したダニー……悲しみや嘆きの咆哮を合唱のように周りの人たちが奏でることで頭よりも先に身体的同化が進んだのだと思います。
ムラの女王がムラの祝祭のクライマックスの炎を眺めながら、恍惚感漂う笑みで応えるのは、当然のことなのでしょう。
Happy midsommar. 超カルト!
うーん、何とも言えず気持ち悪かった作品でした。高い評価も理解できる。反面、低い評価も理解できる。そんな感じの希有な作品です。
まぁ、カルトって怖いな~っと思ったのが正直な感想ですね。カルト信者の方には申し訳ないですが、個人的にカルトって苦手です。閉ざされたコミューンで独自の文化が生まれたという設定でも、あの文化にはちょっとついて行けませんでした。ペレさんが友人を祭に呼んだ時点で生け贄要員確定ですし。「悪魔は優しい笑顔でやってくる」を体現しているペレさん。うーん、ろくでもねぇ。後、直接的な描写はなかったのですが、カニバリズムもありますよね?それとあれだけ薬に長けているのならわざわざ飛び降りしなくっても良いような?
あの中にハマってしまえば最後のダニーのように幸せになれるのかも知れませんが・・・だってカルト宗教にハマっちゃう人っていっぱいいますし、自分1人より周りと共感して流されてしまったがよっぽど楽ですしね。でも、あの風習を一番最初に考えた人は頭おかしいと思います。
フローレンス・ピューはスゴく良かったですね!もう本当にパニック障害になってるように見えました。何と言っても最後の笑顔!メイクイーンの話が出た時点でダニーがなるんだろうなぁってのは想像できたのですが、クイーンがよく似合ってたと思います。最後の歩く姿は「花ゴジラ」といった様相でした。
日本人にせよ、アメリカ人にせよ、大半の人は何処だよスウェーデンって?っという感じではないかなと思います。ヨーロッパでも北欧の、特にノルウェー、スウェーデン、フィンランド辺りの順番って馴染みが薄い分わかりにくいですよね。でも、本作観たらスウェーデンには行かなくっていいかなっと思う人が確実に増えるのではないでしょうか?そんな気分になる作品でした。
孤独 憎悪 共感 解放
「ヘレディタリー/継承」でオカルトともスプラッターとも言えぬ
独自のホラー感を醸し出したアリ・アスター監督の最新作。
前作も彼自身の体験を映像化したとし、
今作も家族を失った彼自身が当時付き合っていた
彼女に支えてもらえなかったという体験から
本作を生み出したと言う。
付き合って数年のダニーとクリスチャン。
二人は倦怠期であり、ダニーが家族を失ったことの
精神苦痛を支えるに至らずにクリスチャンは
別れを切り出せずにいた。
二人は知人のペレの誘いで彼の故郷の
スウェーデンの夏至祭に参加する事になるが…
ところどころ現れる絵画やキーワード。
北欧のバイキングが残した文化。生命のサイクル。
すべて本当に過去に存在していた文化であるという。
ダニーの視点で物語を鑑賞すると…
孤独になったダニーは精神的な支えが必要な状態で
彼はいるがいつか私を置いて立ち去りそうだ。
そんな中で出会った異文化の人間たちは
私の存在を認めクイーンとしてくれる。
そして彼に裏切られた感情を同様に理解して
共感し同じく嗚咽してくれる。
新たな共感者たちは彼という不安要素や
呪縛から解放してくれ、まさに生気を得ることが出来た。
前半はダニの心情を表現するように夜の闇の
情景が多いのに対し、夏至祭に訪れる辺りから
ずっと日中になり明るい風景が終わりまで続く。
ヘレディタリーは息子が悪魔の器として
捧げられ、家族たちが生贄になった映画だったが
本作は母国の知人たちが生贄になったことにより
ダニーが呪縛から解放され、異国の地で
女王として降り立った物語だったのだろう…。
必ずしも、今いる環境が自分に適してる訳ではない。
遠くの異文化にこそ自分を理解してくれる人達が
いるのかもしれないという、目前にある
当たり前の文化へのアンチテーゼにも感じた。
郷に入っては…
郷に入っては郷に従えと言うが、本作のような状況になってもこの言葉は説得力を持つだろうか。
多様性を大事にと言うが、この祝祭を多様性として尊重できるだろうか。
完全にイカれているが、この祝祭は彼らにとっては当たり前の文化なのだ。
劇中で"老人を施設に入れる方が彼らにとってショッキングかもしれない"というセリフがあった。その通りかもしれない。自分は、自分たちは当たり前と思っていることもヨソからみたら異常かもしれない。そんなことを思わされた。
しかしこの映画、まぁブッとんでる。監督の前作ヘレディタリーよろしく胃がキリキリするような不穏な緊張感が続き、ゴア描写にも事欠かない。そしてそれが異様なハイテンションで展開されるため怖いのか楽しいのかわからなくなってくる。これは新感覚だった。カットもいちいち美しく、自分は今どんな映画を観てるんだ?という気になる場面すらあった。ジャンル分けがとにかく難しい作品で、これはスリラーなのだろうか?間違いなくホラーではないと思うが…。
集団幻覚
集団幻覚を見せられたようで、映画終わった瞬間自分がわからなくなるくらい…
とりあえず、記憶も飛んでしまいもっかい見るべきなのか…
というか、ちょっとお酒入れてたのもあって…
村に着くまでふわふわしてて…村に入った瞬間はっきり景色が見えたんだけど…本当にエンディング始まった途端、記憶が飛んだ…
あれ、なんでここにいるんだ?
そういえば…映画見にきたんだった…って
そのトリップ具合に冷静になって怖くなってる…
🌿🌱🥩🌞🌿🌱🌞🌿🥩🌱
よかった
らりってる感じは楽しいのだけど、だんだん気持ち悪くなる。特に、セックスの場面で、周りで全裸のおばちゃんたちが体をゆすって監視しているのは、絶対無理。楽園のような地獄だった。主人公の女の子は、言葉尻をとらえてつっかかりがちで距離を置きたくなるタイプ。
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