「違う次元の我々の世界」ミッドサマー 猿田猿太郎さんの映画レビュー(感想・評価)
違う次元の我々の世界
最初に書きます。観ない方が良いです。物凄くエグイ映画です。でも、よくぞここまで表現したなと思います。
「もしかしたら、自分達の生活圏を違う角度で観ると、こんな風に目に映るのではないか」
というのが、直感的な感想です。正直言って、胸クソ悪い。最初の姥捨山的な、リアリズムのある飛び降りの儀式から、胃袋がえぐられるようだった。考えられるのは二つ。監督の趣味に基づくグロ映像。もしくは、赤裸々な人間文化の姿そのもの。
そう、映像のグロさに加えて、「ほら、自分の姿をよく見て観ろ」という皮肉でなじられているように感じる。笑顔の仮面を捨てて、主人公達をおとしめる村人達の酷薄さを、結果的にやりかえすことの出来ない結末。いやもう、何か納得できる筋道を立てなければ、見終わった後に胃もたれしてしまいそう。
何故、冒頭から両親を死に追いやった自殺する妹のエピソードを交えたのか。それは「考えろ、同じ事だ」ということを示しているのではないか。正直、古代の残酷な風習と儀式に胸を悪くしながらも最後まで見続けられたのは、その映画の絡繰りと言うべき筋書きを感じたから。
ネットやAIを通じて調べた結果(当然ながら)今はもう行われていない、古代から中世に行われた儀式だとか。そのような儀式をかくもリアリズムを持って描いたというのは、博物館的な映像作品の創造、そして、現代に当然の如く行われている我々の生活習慣や認識との比較なんだろうな、というのが、私の考えるに至った結論です。
加えて、最後に主役のデニーが最後に何故笑ったか。自分の社会と村の掟。残酷な顛末はそれぞれに多々起こりうる。圧倒的な違いは人々の共感。村人達は人の苦しみを全力で共感する。結果的に、女王に祭り上げられたデニーが選んだのは生贄ではなく、村人の一員となって生きることを選んだのではないでしょうか。これまでの苦しみやしがらみを断ち切り、共感しあえない彼氏のクリスチャンとの縁も絶ちきれる。その開放感から笑ったのか。
これってハッピーエンドと分類していいんでしょうか。多分、駄目な気がする。デニー本人はハッピーなんだろうけど、他の来訪者全員が生贄となってしまったんだから。
絵的に厳しいシーンが多いけど、映像の微細なところに面白い仕掛けを感じました。ウネウネと蠢く草花、テーブルの料理。まるで命が育まれていることを認識させるかのような。見せつけられる部族の古い絵画の他に、何気なく背景に置かれている絵画の数々もまた、いろいろと意味ありげで興味深いですね。
ともかく、人間の文化や風習はかくも美しく、面白く、残酷で、酷薄で、独りよがりものであることか。それを徹底的に古代の衣装から風習までリアルに再現することで表現した良作であると結論づける他は無いかと思います。