「本来、拒否されるべき結末の意味」ミッドサマー N.riverさんの映画レビュー(感想・評価)
本来、拒否されるべき結末の意味
エンドロールが流れたとたん、半笑いで「えー!」と口走ってしまった。
奇妙な共同体の異常な風習を疑似体験。
ドラッグとショック体験で奪われる、正常な判断と感情の先にあるものは。
映像からカルト宗教や洗脳やらが連想されるが、
この狂気は何かに似ているなと探って、「戦争」という言葉を思い浮かべた。
初めはショックを受けるが、巻き込まれて何が何だか分からぬまま、必死に生き抜くうちに異常が異常でなくなって、むしろそのルールに馴染んでしまうという狂気。
いや、気付けば馴染むどころか率先して行動していたりするかも。
(ナチの党員などを思い浮かべる)
特にしれっと出て来る殺人グロ表現と、淡々とこなす人々の姿に戦争という名のもとに、
残虐な行為を残虐と思うことなく、むしろ正しいとすら考え行う人々の姿を重ねてしまった。
(考え過ぎかな)
疑似体験というわけで、映画によくある主人公の心の変化に沿うというよりも、
観客もまた共同体の訪問者となり、
自身の身をもってして、鑑賞前と鑑賞後の変化を体験するような本作。
だから、なんだか最後、納得してしまった人ほど、
あなたももう、あの共同体の一員。
奪われ、すり替えられたものがあるのでは、と思えてならなかったりする。
いやいや、それ、アブナイってばさ。
本来、これは拒否されるべき結末ですぞな、もし。
ちなみに、架空の共同体の物語とはいえ、ああも作り込んでしまったなら、
該当国の人からクレームが来ないのか少し、心配してしまった。
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