ウエスト・サイド・ストーリーのレビュー・感想・評価
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おまけ映像無し
名作が、現代の歌と映像の技術で更に磨かれてます。
昨年の大河「青天を衝け」では、日本移民に触れられてました。
今回の映画に登場する、ポーランド移民(ジェッツ)やプエルトリコ移民(シャークス)の他に、イタリア移民(ロッキー・バルボア)、中国移民などアメリカは移民だらけです。
先住民であるインディアンを追いやった、最初の移民である英国人以外の移民は、アメリカではかなりの苦労をされていたのでしょう。
新顔の移民は先輩移民や英国人に差別されるという移民の問題が、人種差別問題以外にアメリカにはあることを予習していくともっと楽しめると思います。
再解釈 ウエスト・サイド物語
申し訳ないことにオリジナル版は未鑑賞のまま本作を鑑賞。スピルバーグの名前は子供の頃から知っており、「ジョーズ」がサメ映画好きとしては最高の先駆者として今もこれからも称えていきます。
そんなスピルバーグの最新作はまさかのリメイク、名前だけは知っていたウエストサイドストーリー、最初の上映予定からはだいぶ遠のきましたが無事公開。吹き替え版で観てきました。
率直に言って面白くないな…という感想です。
先に良いところをあげていきます。とにかくダンスもといアクションシーンは凄かった。街を駆け回るダンス、銃を奪い合い舞うアクション、スカートひらりなタップダンス、シンクロ度の高いダンスなど、一つ一つが美しい画になっていてとても良かったです。背景も美しくて、ひとつの街の物語なのにそれ以上の壮大なものを観れたことに感激しています。
ただストーリーがまぁハマらなかったです。分断をテーマのひとつに置いてあるとは思いますが、人種だの国籍だのをとにかく随所に置きまくっているせいか、もうそれは聞いたよが作中何回も自分の頭の中によぎってノイズでした。きっとポリコレにある程度の配慮をした上で作られたんだろうなという箇所がよく観られ、そこに配慮してちゃなーと残念に思いました。
主人公たちの恋の物語もまぁ唐突で、気づけばキスをしていて、気づけば交際の話、気づけば逃避行の話など、起承転結の承転をすっ飛ばしているように思えました。日本人だからアメリカの文化と相反するものもあるとは思いますが、そこに引っかかりを覚えてしまったのは確かです。
前半はまだテンポの良し悪しはともかく楽しく観れるシーンが多かったのですが、語るものが増えすぎた後半はミュージカルシーンも少なくなり、重い話が続いていきます。画面も全体的に暗くなり、上映時間の長さも相まってかなりダレてしまった印象が拭えないです。
おそらくミュージカルという観点で観に行ったことが災いしたんだろうなと思っています。愛と分断の物語として観れば評価は違ったかもしれません。心に響くものが特にありませんでした。というか自分にこの作品を理解する頭が足りてないんじゃないか?と考えしまうほど観たその日1日はだいぶ悩まされました。何はともあれアカデミー賞は多くノミネートされているみたいなので結果がどうなるのか、楽しみです。
鑑賞日 2/11
鑑賞時間 11:30〜14:25
座席 M-9
マリア役シャクレすぎ。
スティーブン・スピルバーグ監督の映画に間違いなし。と思って去年から楽しみに待ってました。
感想は。マリア役を筆頭に全キャストの人選ミス。
キャストに感情移入できず、ただただ長かった。
巨匠の本気を見た
これだけ名作の呼び名も高いこの物語を一体どうやって料理するのか?
ただ、スピルバーグ監督はオリジナル版を愛し、深い敬意を払っていると聞くから不安はあまりなかった。
また、スタッフ&キャストも長い年月、オリジナル版を大切に思ってきたメンバーばかりが集ったようである。
若い世代が受け付けにくい古臭さを現代風にするのかな?それとも完全に現代版?
などと考えているところに映し出されるはリンカーン・センター。
あぁ現代版かぁ、と思わせておいて実は精巧な絵。
未来の完成予想図であり、時代背景はやっぱりオリジナル版と同じ1957年のようだ。
タイトルシークェンスでは壊れた非常階段の映像。都市再開発の為に壊されていく街並みの中で生きねばならない人々の暮らしや人間関係までもが破壊されている象徴なのか。
振り付けは、ジャスティン・ベックのオリジナルだが、ジェローム・ロビンスを彷彿とさせる動きが頻繁に入るので違和感なく観ていられる。
最も有名だと思われる「例のポーズ」は思い切って割愛。
手にするはバスケットボールではなくペンキ缶。なるほど、なるほど?
(あのポーズ、バレエの「バットマン」というんですが。ここで削った代わりか全然別の箇所に「バットマン」って台詞が入りましたネ(笑))
最初の違和感はベルナルド。
「髭は要らないだろー」と思った。しかし、これこそが重要だったのだ!
(いや、別に髭の有無ではなくて)
スピルバーグ版は可能な限りの「リアリズムの追求」を重視していると思われた。
オリジナル版は、良くも悪くも「銀幕スターの映画」
なればこそ、ジョージ・チャキリスはめちゃくちゃカッコいい。当時、踊って演じられるプエルトリコ系役者が非常に少なかったという事情はあるが、実際にプエルトリコ系は2〜3人しか出演していなかったのだ。
また、街路はゴミどころか塵一つなくきれい。撮影は屋外よりも室内シーンが多い。ブロードウェイの「舞台」ではないが、「銀幕」の中もまた舞台に近い「非日常」の一つであったと言えるだろう。だからベルナルドは女性の熱視線が集まるようなイケメンが望まれた。
しかし、チャキリスはギリシャ系アメリカ人でありプエルトリコではない。リアリズムを求めるならばシャークスをまとめ上げるリーダーにはイケメンよりもパワフルでエネルギッシュなタイプこそが相応しいと言えるだろう。(髭ある方がそれっぽい)デビッド・アルバレスはまさにハマリ役である。
スピルバーグ版では、街路は敢えて埃にまみれさせ、人々の喧騒も生々しい。(今の時代では見かける事もない当時の外置きゴミ箱を200個集めるのに、古物商、フリマ、ネットオークション、スタッフは相当奔走したとか)
オリジナルでは夜の屋上だった「アメリカ」を昼の路上に引っ張り出し、最後には街中のプエルトリコ移民を巻き込んでの一大ダンスが繰り広げられる様は実に圧巻だ。本作は「人々の生の暮らし」が実に丁寧に描き込まれているのだ。
スピルバーグ監督は本作では「映画にしか出来ない事」「映画ならではの強みと魅力」「舞台では絶対に出来ない事」に非常にこだわっていると強く感じる。
また、今回はトニーがめちゃくちゃカッコいい。オリジナルではベルナルド&アニタが目立ちすぎてトニー&マリアに感情移入しにくかった。トニーはただの良い子ちゃんだし、マリアもウブな小娘だった。
しかしながらスピルバーグ版は違う!
トニーはリフ達同様荒んだ家庭環境の犠牲者であり、あわや人を殺す手前というトラウマ経験を持ち、刑務所で初めて「生きる意味」のようなもののカケラを意識する。なればこそ、「マリアとの出逢い」がより一層輝く。
「クール」をトニーに歌わせたか〜!
これは監督に喝采を贈りたくなった。
クレイグ・ボンドのようなパルクールを彷彿とさせる波止場での格闘は実にカッコいい。オリジナル版ではリフを殺されたジェッツを落ち着かせる為にアイスが歌うところだが、この場面で使ってくるとは。今回のトニーの高身長も旧作のアイスが重なる。
この場面によって、トニーが決闘現場に行かざるを得ない理由が生まれる。
この部分、マリアもオリジナル版より好感度が高い。旧作ではトニーになんとしてでも決闘を止めてくれるように頼むが、本作では一度は口にしても、その後トニーの身を案じて近づかないようにと心を変えた。清純な中にも若芽のような意志の強さが感じられて非常に良い。
トニーのみならず、今回はシャークスもジェッツも、いや、実は端役1人1人に至るまでも、詳細な人物設計、人生背景が創られている。
シャークスはアメリカで一旗揚げたいと夢を持って移り住んできた若者達だ。みんな、何らかの仕事を持ち働いている。
対して、ジェッツは白人系移民の子(主にポーランド。次にイタリア系が中心と思われ)。通常、白人達はとっくに良い仕事と生活環境を手に入れてこの街を立ち去っている。しかし、ジェッツはそうならなかった親の子供達だ。アル中、ヤク中、まともな仕事に就いていない親達に、愛される事なく育った子供達。だからジェッツの服装はゴロツキ風だし、シャークスの方がまだ身なりが良い。
オリジナル版はこのような詳細設定がなかったから、単に「反目しあう若者達というありがちな構図」「敵対関係の中で翻弄される悲恋」「憎しみあう事の虚しさ」「根深い人種差別」くらいの主題で終わっていたが
スピルバーグ版はそこに「人間として生きること」という深いテーマを織り込んだ。
「ジー・オフィサー・クラプキ」の歌はノリの良いコミカルパートとして捉えられがちだが、歌詞は虐待を受けている子供達を救うはずのシステムが、子供達をたらい回しにするのみで結局は機能していない事を痛烈に皮肉っている。旧作では路上で歌うが、本作ではポリスオフィスにてジェッツメンバーが「ちゃんと見てくれ、ちゃんと聞いてくれ」と大人に懇願する。ふざけていても、そこには彼らの本心が隠れている。オリジナル版と違い、ゆっくりとしたピアノ弾き語りから曲に入るので、笑わせるだけの場面ではないと気付いてくれる観客は増えるのではないだろうか。
カメラワークも良い!
オリジナル版はほとんど固定カメラなので、本作は比較にならない自由度の高さで新しい映像を切り取っている。
「ワンハンド・ワンハート」の教会シーン。「ダンス・アット・ザ・ジム」の色の洪水。いや「アメリカ」や「クール」の炎天下自然光でも、ヤヌス・カミンスキー撮影監督は光と影と色の魔術師か!と感嘆を禁じ得ない。
今回、全部フィルムで撮ってるんですよね。スピルバーグ&カミンスキーのタッグだから安心して見ていられますね。フィルム時代を生きてきた人達だもの。
「ダンス・アット・ザ・ジム」はマリアは白のドレスが当然だけど、アニタの黒も良かったねー。
他の女性が色とりどりの色彩だから、2人が見事に浮き立った。アニタのキャミソールの赤がチラ見えするのも「内に秘めた情熱」を思わせてgood。
コンクリートの廃墟で育ったジェッツは寒色、灼熱の太陽の元で育ったシャークスは暖色。無彩色はマリアとアニタだけだ。惹き立たせる意味もあるが「どちらの色にも染まらない」マリアとアニタの柔軟な感性、相手を受け入れる懐の広さ、深さを表していると思うのは考え過ぎだろうか?
音楽も、かつてバーンスタインが率いたニューヨークフィルだが、ドゥダメルが引き出すバックビートが柱となり、ジェッツはビー・バップに、シャークスはカリビアンミュージックになっている。
衣装やメイクの1つ1つのこだわりもオリジナル版とは違い、深堀りされた意味が加わっていて素晴らしい。
長くなってしまったけれど、最後にもう一つ言及したいのが「女性の描き方」
オリジナル版はどうしても男尊女卑の時代。女性の幸せは結婚がゴールで、社会を動かすのは男ばかりだった。
キャラが立っているのはアニタとマリア程度で他の女性は添え物程度だった。
しかし、本作では女性達もまた男性同様にしっかりと自分自身を持っている。「アメリカ」でも「アイ・フィール・プリティ」でも女性達の考え方や働き方が描かれているし、アニタがジェッツに襲われかけた時、グラツィエラが必死で助けようとする場面も実に考えさせられる。
性別と言えば、男子の仲間入りがしたい女の子だっただけのエニーボディズが本作ではノンバイナリーとして描かれているのは時代を感じた。
デビッド・アルバレス(ベルナルド)始め、皆、プエルトリコの歴史について非常によく勉強したそうだ。自分達のルーツについて誇りを持つ人が増えた事だろう。ロケを見学に来ていた役者さんのお母さんには、当時の苦労を思い出して号泣する人もいたそうだ。
ラストシーン。ジェッツもシャークスも協力してトニーを担ぐ。
愛を知らず、闇の中を手探りで進むように身近な「仲間」だけを頼りにしてきた彼ら。
そんな彼らの心に、初めて「光」が見えたのだろうか。
歩を進めるうちに、夜明けの光が彼らを照らしていく。
旧作では救いようのなかった悲劇の物語だが、スピルバーグは彼らの未来に希望という光を投げかけたのではないだろうか、、、。
他にもリタ・モレノについてなど、まだまだ書きたい事は尽きないが、今はこれで筆を置こう。
スピルバーグ監督、本当に素晴らしい新作をありがとう!
オリジナル版が吉兆の湯木貞一や北大路魯山人のように「日本料理の見事な型」を作ったとすれば、スピルバーグは山岡士郎や海原雄山のように、米一粒、大豆一粒、野菜も魚も真っ当に育った「本物」の食材集めに全力を注いだ。
「ご飯、味噌汁、鰯の塩焼き、漬物」献立の至高のメニューがオーバーラップした。
オリジナル版という金字塔の制約があるからこそ「映画を創る」とはこういう事なのか〜!という新たな視点・観点を学ぶことが出来た。
巨匠スピルバーグに脱帽である♪
かなわぬ願いとわかっているが、トニーもベルナルドもリフも死なない、幸せバージョンも観てみたかったなーw
スピード感を持って生まれ変わった
率直に面白かった。
米トランプ政権からの、欧米における移民排斥の動きや、黒人・有色人種への白人警官の暴行殺人に対する抗議暴動など、こじれにこじれた今の時代に作り直した意義は大きかったかなと。
旧作=61年版はミュージカル舞台の映画化を明確に打ち出し、「このシーン、このシチュエーション」という感じで、場面切り替えをし、あえて舞台劇っぽく同一方面からのカメラワークを主に撮っていた印象だったのですが。
本作では現代ハリウッド風に、あちこちのカメラから、動きあるカメラワークにて撮影されていました。
スピルバーグといえば『激突』『JAWS』から続く、ヒッチコックやディズニー作品で育った世代らしいクレーンショットを多用した画面作り。
『ジュラシック・パーク』のような圧倒的スピード感。
旧作のようなもっさり感はなくなって、サクサクと物語が進みます。
いくらスピルバーグといえども、原作のミュージカルを大幅に変更することなく、ほぼそのままなのですが、「決闘後に2グループがそれぞれ敵討ちの抗争を続けるかグダグダする」くだりを短く切り上げたのは、見易さの上で大正解だと思いました。
また、街の開発で移民たちの棲家が潰されていく様が、旧作での「頭の悪い不良どもの意地の張り合い」にしか見えない決闘から、「追い詰められての出来事」に見え方がかわったのが、構成として実に上手かった。
初めてのウエスト・サイド・ストーリー
うすうす感じてはいたのですが、設定を変えたロミオとジュリエット、ほぼ同じようなストーリーでした。ジュリエット設定の女の子は死なないで終わりましたが。
瓦礫のセットとかダンスのシーンは素晴らしく、映像は見応えがありました。
でもお話の内容はあまりおもしろさを感じず。
ロミジュリの戯曲は大好きなので古典の設定で観た方が自分にはおもしろいし、この作品は元はミュージカルということなので、舞台で観た方がいいのかなと思いました。
リメイクした意義が見えず
ウエストサイドストーリー
「ロミオとジュリエット」から着想した
NYスラムの移民系アメリカ人不良の抗争と
その間に芽生えた禁断の恋と悲劇を描き
レナード・バーンスタインの楽曲で
1957年にブロードウェイで
上映されたミュージカル
ロバート・ワイズ監督で1961年に映画化し
大ヒットおよびアカデミー賞10部門を受賞
ミュージカル映画の古典の名作として
語り継がれている
今作はそれを60年ぶりに
スティーブン・スピルバーグ監督がリメイク
個人的にはその1961年の旧作は
たまにBSとかでやってるとついつい
見ちゃう位に好きでなんですが
今作はどうだったかというと
あまりに「忠実すぎて」しまい
これなら旧作でいいんじゃと
思ってしまうほどでした
クリエイターサイドの方が
評価高いんでしょうね…
NYも今では世界都市みたいな感じ
ですが移民の窓口であり
古くは1800年代から治安は
ムチャクチャ悪く1900年代
中盤以降でも放置されてる
死体をまたいで通勤してたとか
すごい話を聞きます
治安があまりに悪いことから
地価が底値まで下がり過ぎたた
ところで買い上げて再開発から
財を成したのがかの
ドナルド・トランプの父
フレデリックと言われています
ちょうどそのころの話です
そうした再開発によって
取り壊された瓦礫などのセットは
よくできていましたが
まあやっぱりセットです
旧作ではなにせ「当時」ですから
本物なわけですしそれを超えるも
なにも無理がありますよね
ストーリーもほぼ同じです
リメイクにあたって何か追加や
改変を大きく受けた感じはないです
なにせ元ネタはロミオとジュリエット
ですし変えようがないんですけどね
スピルバーグ監督の撮影チームが
最高の力を発揮しているのは
わかりますが
どうしても
三つ星シェフがあの名店の
伝説の味を再現!
みたいな印象しか受けないのです
内容的には60年ぶりに作りました
と言いますが
10年前に作っても20年前に作っても
こんな感じでしょうね
つまりわざわざ作った理由があんまり
わかんなかったです
いまだにミュージカルの定番ですし
一昨年の特異なビジュアルで話題となった
CATSみたいのならまだわかるんですが
まあ自分の映画偏差値はそんなもの
60年前にアニタ役だったリタ・モレノ
がドック役で出てるってのは
ちょっと面白いけど
リマスターされた旧作でいいと思います
公開初日に IMAXで
公開初日にIMAXで観ました。
どの映画もそうなのかもしれないけど、本編が始まる前のIMAXの紹介の方が迫力があって、本編はIMAX効果がそれ程ではないなと思いました。
リメイクだからしょうがないけど、今の時代に合ってない⁈なんか冷めて見てしまいました。
アニータの歌いかたとか、ダンスとか演技は好きでした。恋人が亡くなってからのシーン。掛け合いで、主役のマリアとアニータが歌い出すシーン、アニータで感情移入できても、マリアが歌い出した瞬間冷めてしまいました。ミュージカルだから、台詞を歌うっていう感じが、台詞より、歌ってる、綺麗に歌う。が優先的で、台詞っぽくなく冷めてしまいました。歌ってるだけ。な感じ。感情で歌ってほしかった。
マーベルよりもDC?
どこまでリメイクするのか?それとも改悪か?などと期待と不安が入り混じりながらの鑑賞となりましたが、オリジナルの『ウエストサイド物語』では好きじゃない部分があったため、それを解消してるだけで満点にしちゃいました。もっともオリジナルを鑑賞した上での話です。
オリジナルの何が不満だったか・・・それはジョージチャキリスを中心としたプエルトリコ出身のシャーク団が顔に墨を塗っただけの偽物だったこと。舞台版をそのまま映画に移植したかのような美術。逆に舞台版を観たい欲求に駆られました。それがスピルバーグ版ではさすがにスクリーンの良さを前面に出していて、細かな設定や歌詞そのものも書き換えていて分かりやすかったところが非常に良かった。
最も大きな改変部分はドクの店の店長がドクではなく、彼と結婚していたバレンティーナが演じてドクは死んでいることになってたこと。それというのもオリジナル版でアニータ役としてアカデミー賞助演女優賞を獲得したリタ・モレノがバレンティーナ役として登場させるためだろう。彼女はまた製作総指揮にも名を連ねているのだ。
その他にもダンスホールでジェット団が青、シャーク団が赤という鮮やかな衣装でまとめられていて、そこに登場するマリアが赤のベルトをアクセントにした白いドレスだったこと。アメリカ国旗、プエルトリコ国旗ともにこの3色だというこだわりさえ感じる(じゃ、フランスはどうなる?って質問は受け付けません)。レンガの壁に描かれていたのもプエルトリコだったし、かなりリスペクトがありますね。また、シャーク団のリーダーであるベルナルドがボクサーという意表を突く職業だったことも青コーナー、赤コーナーといった意味を持たせていたのかもしれません。
細かな相違点を挙げればキリが無いのですが、ボーイッシュな女子の扱われかたもジェンダー差別といった点で現代的だったし、冒頭のベイビー・ジョンが受けた傷は痛々しいし、警察署内という場面(オリジナルでは路上)もあったし、地下鉄や教会も使われるし、なんと言っても決闘場所が高速道路下から塩の倉庫だったりすることが意外ではありました。チェックしていた車のナンバーなんかは全く違うものでした(相変わらずナンバーが気になる)。
そんな相違点の中、最もしびれてしまったシーンがアニータ(アリアナ・デボーズ)対元アニータ(リタ・モレノ)のやり取り。これはもうオリジナルを復習したモノ勝ち!デボーズもオスカーにノミネートされてるし、アニータが賞を取りやすい位置にあるってことですよね。もう一点、「トゥナイト」(クインテット)ではアニータのパートが追加になっていて、今夜決闘だ!今夜会おう!に加えてアニータが今夜エッチな夜を・・・と、艶っぽい部分もあり、最高のアレンジとなっていました。「サムウェア」もトニーとマリアが歌うはずのところを元アニータのリタ・モレノが歌ってましたね♪意味が変わってくるけど、オリジナルを回顧せずにはいられません♪
全体的な完成度で言うと、スピルバーグ版が上のような気がします(路上でのアメリカのシーンが超絶すごい)。そしてタイトルに書いたマーベルとDCですが、オリジナル版では武器を何にしようか迷ってるときに「光線銃を使わないキャプテンマーベル」の名が出るのに、今回はスーパーマンやバットマンの台詞が!ただ、漫画好きの少年が読んでいたのは「キャプテンアメリカ」だと思います。配慮してありますなぁ・・・
あるスピルバーグファンの方に言わせると、彼の作品には必ずといっていいほど“手のアップ”があるそうです(調べてないので定かじゃない)。『E.T.』ではモロだし、『ミュンヘン』にもあったし・・・等々。そして今作でもリフとベルナルドが握手するところ、拳銃を握るところなど。今後鑑賞するときには気をつけたいと思います。
さて、余談になりますが、曲目で「アメリカ」が一番好きだったのには理由があって、プログレッシブロック(死語?)のイエスが「アメリカ」という代表曲が好きだからです。これはサイモン&ガーファンクルの曲のカバーなのですが、イントロの中にバーンスタインの「アメリカ」が隠されているのです(サブリミナル効果か?)。そして同じくプログレッシブロックのエマーソン・レイク&パーマーも「アメリカ」を演奏しているのです。ちょと調べて改めて聴くと「アメリカ」のテーマ部分は最初だけで、「新世界第4楽章」やら「熊蜂の飛行」やら「トッカータとフーガ」といったクラシック曲がどんどん登場するという変わり種だとわかります。ぜひ聴いてみてくだされ・・・
こんな長文を読んでいただき、ムーチョス・グラシアス、ブエノスノーチェス。
アニータのダンスがキレキレだった
1950年代のニューヨーク・マンハッタンのウエスト・サイドには夢を求めて世界中から多くの移民が集まっていたが、人種差別や貧困に直面し、移民の若者たちは同郷の仲間とグループを作り、他のグループとは対立しあっていた。特にプエルトリコ系のシャークスとポーランド系のジェッツは激しく敵対していた。そんな中、ジェッツの元リーダーで服役明けのトニーは、シャークスのリーダーの妹マリアとダンスホールで出会い、お互い一目惚れの両想いだったが、周りからは反対されてた禁断の恋だった。
その頃、2つのグループは決闘となり、ジェッツの現リーダーがシャークスのリーダーにナイフで刺され、怒ったトニーがシャークスのリーダーを刺した。2人は死に、そして・・・という悲しいミュージカル作品。
マリア役のレイチェル・ゼグラーは子犬のような愛らしい顔で歌は素晴らしかった。
どのダンスもキレキレで素晴らしかったが、特にアニータ役のアリアナ・デボーズのダンスがキレキレで最高だった。
今は亡きバーンスタインとニューヨークフィルの演奏を聴けて嬉しかった。
2時間半があっという間に感じた素晴らしいミュージカルだった。
歌とダンスが最高
ウェスト・サイド・ストーリーははるか昔、小学生のころに映画だとも知らずにテレビでやってたのをなんとなく見たのが初めて。ミュージカルというもの自体よく理解してなかったくらい幼かったので、突然みんなが踊りだしたりするのがなんとも奇妙でおかしかった。
しかし映画に使われている曲のうち、tonight、America、crazy boyは強烈に印象に残って、大好きになった。とくにcrazy boyは友達とかを煽るのによく使ったなあ…。
これって要するにロミオとジュリエットの現代版ってことね、と子供のころは単純に思っていたのだが、今回改めて観て、移民問題や人種差別を扱った、社会派の物語なんだということを知った。LGBTや戦力の抑止力の話も出てきてて、「差別と争い」ということの本質を描こうとしてる。
今回の映画は、歌もダンスも最高だし、演技もすばらしかった。
映像も昔風の撮り方をしてて雰囲気がある。いわゆるエモいというやつか。
最後マリアが自殺すんのかな、と思ったけど死ななかった。
個人的には死んだ方がより良かったのでは、と思ったけど、トニーの遺体をシャークスとジェッツが協力して運んだところが感動的だったんで、死なない方がやっぱり良かったかな。
ダンスも歌も素敵で素晴らしかったです
1番切なかったのは、ジェット団の"仲間"に入れて貰えないFtMの子。男の所有物としての美しい女子も、喧嘩の出来ないお坊ちゃんですら性別男ってだけであっさり仲間になれるのに、FtMの子は組織に大きな貢献をしないと認められないという。私は女ですが、このキャラに簡単に自分を置き換えることが出来ました。男優位社会での「同等に振る舞いたい」女の扱われ方と同じだから。
銃の持ち主を突き止めてやっと仲間として「認めて貰えた」とき、彼は嬉しかったでしょうが、私は反吐が出そうでした(^.^)
1961年版にも出てくるキャラクターだそうですね。見てみます。
映画はとても見応えあって楽しかったです♡
スピルバーグは何をしたかったのか?
スピルバーグ好きとして、楽しみと不安を抱えて見に行きました。
私には何をしたかったのかわからない、残念な物に感じました。何一つオリジナルを超えておらず、ポリコレアピールも不発。オリジナル崇拝者ではないのですが。
好みと言われればそれまでですが、先ずキャストが全て残念。お巡りさんだけは良かったかな。誰一人印象に残らず感情移入出来ず。主役級もイケてなく感じました。
ミュージカルでクラシカルなアレンジの楽曲なので、2021年に制作されている感ゼロです。歌ったり、劇伴が流れると全くシリアスさを感じられずコメディのようでした。なのに命をやりとりするストーリーって。ラストもマリアに無理やり歌わせなくとも‥。
ほぼ良いところを見出せなかったが、時代を感じさせる見事な風景の特殊効果だけは凄かった。でもオリジナルを見ればいいのであって、いっそ現代に置き換えて作ってほしかったなあ。
スピルバーグも、オリジナルも好きです。本作はもう観なくともよいけれど、スピルバーグの才能の枯渇がかなり進んでいるようで寂しく感じた作品でした。
色褪せない名曲の数々 ✨
キレのあるダンスシーンが素晴らしい。
アニータを演じたアリアナ・デボーズの圧巻のダンスシーンに魅了された。既視感が…と思いながら観ていましたが、映画「ザ・プロム」で主人公エマの親友役で出演されていました。
移民グループの抗争が軸となる為、感情移入が難しい箇所も有りますが、その障壁を超え愛を誓う若い二人の姿は美しく、素晴らしい楽曲、美しい色彩、キレのあるダンスシーンの数々、とても見応えがありました。
映画館での鑑賞
吹替え版も歌は吹き替え無し
移民の問題に対して実感が無いせいでしょうか、登場人物達に共感しにくいんですよね。
もっと言ってしまえば、嫌悪感すら持ってしまう。
そのせいか、ストーリー自体はあまり面白いと感じなかったんです。
それでも、踊りながら道を進むシーンはワクワクするし、体育館での対決する様なダンスは見ていて楽しいし、『トゥナイト』を聞けた時の満足感等、映画としては楽しめました。
スピルバーグ見事!
伝説の名作をスピルバーグが職人監督らしく、魅せてくれた。話は、ロミオとジュリエットベースのニューヨークの白人とプエリトリカンとの縄張り争い。人種や立ち退きやLGBTもあって多様だ。しかし、街中で踊り、クールや指パッチンなど今の映画が影響したんだなってわかる。
全96件中、81~96件目を表示