「平家盛衰を再奏する二人の運命」犬王 因果さんの映画レビュー(感想・評価)
平家盛衰を再奏する二人の運命
現代京都の路上に始まり、フラッシュカットで南北朝の時代へと一気に遡る演出は川島雄三『幕末太陽傳』を彷彿とさせる。これから語られるできごとが史実の従順なトレースを超越した延伸性を秘めていることの示唆だ。
湯浅作品の醍醐味といえば、不可視の身体感覚を巧みに捉えたダイナミックで奇想天外な作画演出だが、本作はそれがある種の統制の中で意図的に展開されていた。『マインド・ゲーム』においては画面や時間の節々にまで節操なく及んでいたものが、本作では場面場面によって出力の多寡を適度に調整されており、カオスながらも安定感のある画面作りに成功している。
特に盲人に関する作画は他に類を見ない出色の出来だ。水彩ではなく、敢えて力強い油絵具で盲人の感覚世界を描き出しているのがすごい。目が見えないことは単なる事実であり、決して弱者性などではないことを誇らしく顕示しているようだった。
歴史の闇に葬られた平家盛衰の物語が犬王の語りによって少しずつ成仏を遂げていく過程は、単純でありながら確かなカタルシスがある。アヴちゃんはほんとに声優未経験なの?ってくらい演技が上手い。湯浅政明のピーキーすぎる作画演出に追随するどころか余裕で並走できている。
そういえば舞踊シーンではカメラの位置が固定されていることが多かった。アニメのアクションシーンで10秒以上カメラが静止しているというのはかなり稀なことだ。犬王の舞踊は外連味なくとも舞踊として成立するのだという気概を感じた。
平家盛衰の物語を下地とする以上、犬王たちがそれと同様の運命を辿ることは必然だ。語ることを最後までやめなかったがゆえに死の罰を課せられた友魚と、語ることをやめたがゆえに空疎な生に縛り付けられ続けた犬王。どちらを選んでもどうにもならないというのが残酷だ。
ただ、犬王という歴史の暗部がそのまま現代に投げ返されてくるラストカットのくだりは少々やりすぎというか、受け手に対して優しくあろうとしすぎなんじゃないかと思った。そのせいで結局何が言いたかったんすかこれ?みたいな終わり方だったし。犬王が無音の中を空虚に舞うシーンで唐突に幕を閉じるくらいの暴力性があってもいいと思う。
アニメのアクションシーンで10秒以上カメラが静止しているというのはかなり稀なことだ。犬王の舞踊は外連味なくとも舞踊として成立するのだという気概を感じた。
なるほど。そのための固定アングルか。納得です!