ANIARA アニアーラのレビュー・感想・評価
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原発を止めて、自然を取り戻ろうって言っているのは分かるが。
『私達は神が持つ気泡の中にいるに過ぎない』
この映画を見て得られた事。それと
『馬鹿な男の指導者に対する警告』くらいかなぁ。もう一つ、
ざっと見ただけでも、白人ばかり。さすが、スウェーデン。白人至上主義に対する警告もあるのか?
小説を読んでいないから、はっした事は言えないが、発想は一見斬新だが、表現がチープ過ぎる。色々な出来事が文学的に進行する訳が無い。経験した事が無くとも、人間の心理学や物理を無視しては駄作になると思う。少なくとも、映画に限っては何一つ緊張感が無い。
スウェーデンとは王国だけど、民主国家のはずだ。しかし、船長の存在は独裁者だと思う。
で、何処に戻るのだ?地球は原子力発電所が爆発して、汚染されているし。また、
船長だけ、白人じゃ無い様だが、何を意味するのか?全く気になる。
追記 ノーベル賞?
えっ!!平野啓一○先生の『ドーン○』を真面目にノーベル賞に推薦したい。
テーマは外れるけど、伊藤計劃先生の『虐殺器官』なんかも。あっ!伊藤計劃先生は残念ながら無理だ。
小説読むのがいいかも
SF好きですが、これはSF好きでも意見が真っ二つに分かれる映画だと思いました。
SFガジェットや映像美や音響や映画技術やキャストや諸々はさておき(さておくのかよ😀)、SFストーリーバリエーションに一石を投じる意味は有ったと思いたい。
<以下ストーリーへのコメント>
・異文明の槍の様な物体が結局"人類とは無関係"とわかる件は良いね👍
・最後の地球型惑星に辿り着く件は、それならそれで良いがストーリーに関係しないなら余計なことに思えた。
・AIのデザインがなんかデザインというか現実の落とし込みが自分には理解出来ず、評価不能であった。AIの太陽表面みたいなテクスチャーはまあ良かった。
598万1407年後・・・
原作は未読だが、スウェーデンではノーベル文学賞受賞者執筆とのことで広く認知されているらしい。どこまで原作に近似しているのかは不明だが、映画だけを観て感じるのは確かに今作品の無常さや哲学は永遠の真理探究として古今東西、特に先進国と呼ばれる社会では常に持ち併せる“不安”を写し取られていて、ノーベル文学の奥深さを感じ取れる内容である。そうではあるのだが、それだけ高度な思考内容故、ついて行けない部分もあったりしてクセもまた強い作品でもある。その手の飲み込みづらいモノは自分としては大好物だが、果たして一般受けするかどうかは難しい限りだ。
今作品がSFとはいえ、全体的な構図が読めないのは“神の視点”として俯瞰での視線ではなく、あくまで主人公の女性の目線でストーリー展開されることである。なので主人公の持つ知識やそれによる見解に対しては細かい説明をするのだが、色々なアクシデントに対しては一切解説が成されず、そしてフリの回収もされない。重大なインシデント(そもそもこの巨大船にぶつかってきた部品は何だったのか、事故なのか攻撃だったのだろうか、そして中盤回収されたあの“槍”は何だったのだろうか)等の答えは一切解明することなく、悠久の時間が幕毎にカウントされていく構成になっている。設定とすれば『マクロス』のようなイメージの船艦に近いが、8,000人収容のクルーズ客船の方向なのであろう。なのでその閉ざされた世界において、希望が得られない状況に陥った人類の思考や行動はどのように変化していくのかという実験的意味合いもプロットに含まれているのではないだろうか。その中で科学とは又別の柱である“スピリチュアル”やそれに伴う“宗教”観といったものがどのように人間の精神に影響を及ぼすのかも言及されている。そこで鍵となるのは『MIMA』と呼ばれる脳内映像投影システム(という表現で良いのかは分らないが、勝手に命名)。人間の精神を安定させるストッパー装置としての機能を果たしていたのだが、余りにも人間の負の念を浴びたことで自爆してしまい、人間はその代替をそれぞれで試行錯誤することに陥る。享楽に興じる者もいれば、新興宗教に嵌る者も出てくる。そしてその二つが惹かれ合う様に、“セックス教団”が誕生してしまう。もうそうなると艦内の秩序もへったくれもない。そんな中で宇宙間に漂う物体をみつけるのだが、結局これもエネルギーとしての変換は出来ない事が分ってしまい、一度首を持ち上げた希望が無残にも打ち砕かれる時の絶望感は筆舌に難い演出だ。絶望感の中、艦内の自殺率は悪化の一途を辿るが、もう為す術もない。宇宙の放射能汚染により、益々絶命者が増え、こうなると生存している事自体が表彰されるようなおかしな現状が起こる。それは静かな死への旅路として粛々と石棺化される船艦の何とも言えないカタストロフを見事に演出されていて、この無常観をどう表現すればよいか、深い深い悲しみに打ち拉がれる。そして、表題の年数に於いて、こと座付近の地球によく似た惑星に辿り着くこの船艦(しかしもう艦内には誰も生きてもせず、骨さえも残っていない)は余りにも皮肉めいた結論を叩き出して静かなエンディングを迎える。こんな年数まで宇宙船が外見をそれ程破壊されてもせずに存在するのかのツッコミは、今作品に於いてはそこが分水嶺かもしれない。さもありなんと思えるならば、この悠久の時間を一緒に旅が出来た事に万感の思いを抱くことが出来るだろう。あり得ないと思うのならば、今作品のラストで今までのストーリーが無に帰すことになってしまう。
素直な自分は間違いなく前者であるwとにかくこの圧倒的な時間経過や無常観、仏教観に親和性を感じる世界観にノックアウトさせられた作品であった。果て無き希望と失望の繰り返し、しかしその終焉が“糠喜び”の祭の後に訪れる本当の希望だった時の仏の掌で踊らされ続けた孫悟空に思いを馳せる、そんな荘厳で圧倒的な展開である。
これには、副題がある。”時間と空間における人間の復活”
この映画は、個人的考えとして聞いてもらいたいのだが、前半の40分と後半の約1時間で映画の質や雰囲気が変わるので、それを理解できる方は、おおむねこの映画を諦めずに見ることが出来る方であって、、また興味を失わずにかろうじて最後まで支持をされる方と思われる。ただし、それ以外の方は、このシナリオの進行の遅い何とも言えないディストピアの世界に対して、言い過ぎかもしれないが、見るのをあきらめてもらうしかないと言える。
My conscience aches for the stones.......
I've heard them cry their stonely cries,
seen the granites white-hot weeping......
I've been troubled by their pains.
In the name of Things I want peace.
I will be done with my displays.
There is protection from nearly everything.....
..................How grim it always is, one's detonation.
この映画自体は、大型とはいえ宇宙船内を描いたソリッドシチュエーション・Sci-Fiスリラー映画として成立していて、燃料を捨ててしまい制御不能となった為、宇宙船の乗客の心理的不安や焦燥感が現れ、最初快適であった船内においては、人工知能型癒し空間・MIMAを利用する乗客は数人程度であったにもかかわらず、事故後はさばき切れないぐらいに膨れ上がり、彼らの精神的よりどころとなっていたMIMAであったが、その過剰な乗客の感情を処理しきれなくなり、MIMA自体が自己暴走して崩壊してしまってからは、その精神的よりどころを失ってしまい乗客の一部には、感情失禁をしてしまうものもあらわれ、船長の独断的部分も登場してしまう。
アメリカボストンの日刊紙Boston Globeの記者のコメント「'Aniara'は、これまでに撮影された中で最もクールで、最もコストが高く、最もディストピア的長々と続いた結末が非常にとぼけた話かもしれない。」新聞に高級というものがあるのかも知れないがニューヨークで第3位の発行部数のNew York Timesのコメント「主に、これは生きる意志を失うという経験をシミュレートする映画であり、勇敢な宇宙航海者にとってさえもひるませてしまうような大前提となっている。」カナダ最大発行部数を誇るToronto Starのコメントの一部「ここでの宇宙船はJ.G.バラードの小説におけるような"生存を左右する罠”であり、そしてその結末は完全に満足のいくものではないかもしれないが、それはいかさまなものではない。」(1987年スピルバーグ監督の映画「太陽の帝国」を覚えている方は、その原作者として知られています。)
どなたかが言っていたが、途中理解できない女性の裸や性的な部分が唐突的に出てくるのだが、その意味を考える脳みそを持ち合わせていないので、個人的に理解するのをあきらめた。それとどうしてもわからないのがラストのシーン。あまり詳しくは言えないが、フランスの作家、ピエール・ブールの小説をもとにした「猿の惑星(1968)」とよく似ているが、それもおかしな話で金属がそこまで持つか?いくら宇宙空間とはいえ......?
ある人がラテン語を使った揶揄として"Parturiunt montes, nascetur ridiculus mus.”と表しているし、この意味するものが、原作者に対して評価とするならば、"死人に口なし"ってか?いい過ぎました。すみません。謝るぐらいなら言うなってか!
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