ANIARA アニアーラのレビュー・感想・評価
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終末から語られる紛い物のループ
北欧で槍と言えばグングニルだ。それを持つものはオーディン。つまり謎の槍を船内に取り込んだアニアーラ号はオーディンだ。
オーディンが巫女の話を聞く「巫女の予言」というものがある。これは世界の創造から終末、そして再生が語られるという。
今、私たちが暮らしている世界が創造からの出来事で、映画の中でエンドロールのような終末のシーンのオープニングがあり、作品内では終末から再生が語られることになる。
いきなりエンディングの話になってしまうが、こと座にある地球型惑星に、おそらくまだ生きているであろう藻を乗せたアニアーラ号が到着し、生命の種を植え付け、再生する。
原作者のハリー・マーティンソンが詩人であり、原作のアニアーラが詩であり、巫女の予言もまた詩であることから、多分あっていると思う。
その中で描かれる出来事は、漂流による混乱なのだけれど、注目ポイントは本物と紛い物かなと思う。
主人公が何かを口にするシーンが二回ある。1度目はミーマの見せる映像の中で何かの赤い実を食べる。二度目は青いドラッグを口にする。
地球で赤い実を食べたことは本物であり、その後、ミーマの中で紛い物の赤い実を食べ、更に紛い物の青いドラッグへと変わる。
ミーマの存在もまた紛い物だ。地球を離れてなお地球という本物を求めてミーマの見せる紛い物にすがる。更に窓に貼るスクリーンで紛い物の紛い物にまで落ちる。
そもそも、地球という本物を離れ火星に移住することが紛い物を求める行動であるし、カルト教団もまた、本物の神に対する紛い物だった。
ここでエンディングの話に戻る。
こと座の地球型惑星は地球の紛い物だ。私たち地球人から見ればその星で生まれる生命は紛い物だ。
しかし将来生まれるであろうその星の生命から見れば自分たちは本物である。
振り返り、遠い過去に槍のような謎の物体が地球に飛来し私たち生命が誕生したのであれば、本物だと思っている私たちの全てはどこかの誰かにとっての紛い物なのである。
創造から終末、再生の物語は本物のない紛い物のループなのだ。
面白いといえば面白い。つまらないといえばつまらない。ちょっと難しい作品だったね。
598万1407年後の軽快なメロデー🎼
宇宙をさ迷う巨大船と人類の遥かなる旅
また異なる「インタステラー」に出会ったような気分。
数年で決着がつくかと思いきや、恐ろしい距離と時間を経て宇宙空間をさ迷う巨大船と人類の行方を追う物語。
奇しくもひとつ前に見た「コンクリート・ユートピア」と構造が似ている。
いずれも非常事態における閉鎖空間の群集心理だ。
だがこちらは分断や対立は起きず、個々が静かに壊れてゆく。
この差はお国柄から来るのか、ハナからテーマの違いからか。
いずれにせよ破綻したように見えない、真に迫る人々の心理の変遷から目が離せなかった。
釘付けにするこれみよがしでない描写も、従って荒廃してゆく船内も生々しい。
この絶望加減は穏やかなホロコーストに匹敵する。
それでもなんとか生き抜こうとする人間の、弱いからこそしなる如きしぶとい強かさが神々しくもあった。
最後までどうなるのか予想できず、前のめり。
500万年後の船は果たして本当に石棺なのか。
もしかすると・・・と過らせるニクイ作品だった。
記憶には残る
エンタメとしては盛り上がりがなさすぎるが、静かな絶望が心に残る。
掘り下げが欲しかったところはあるし、船内の娯楽の乏しさにツッコミを入れたくなるが、原作(未読)は70年ほど前の作品だそうだから仕方ない部分もあるのだろう。
地球を思い出させるものを嫌がり、ついには子と心中してしまった恋人の絶望を想像すると恐ろしくなる。水が汚れて藻も腐っている描写も良かった。
カルトの乱交シーンは『ミッドサマー』を思い出したが、北欧の人はセックスカルトが好きなんですかね?
宇宙漂流598万年
ANIARAとは8000人もの移民を乗せて火星へと向かう壮大な宇宙船。スウェーデンのノーベル文学賞受賞作家ハリー・マーティンソンの代表作の映画化ということで、ノーベル賞作家の描くSFとはどんなものかと興味をもって鑑賞。
宇宙船と言うより巨大なビル、3週間で火星につく筈が事故で漂流、豪華客船の様な船内で途方に暮れる乗客たちが繰り広げる卑猥な珍騒動、なんと漂流は598万年余も続き地球によく似た系外惑星がある、こと座周辺に達したところで、やっとThe END。でも原作の系外惑星はおおくま座のHD 102956を回る木星ほどの惑星、HD 102956はスェーデンがマーティンソンの代表作にちなんでANIARAと名付けたそうだ。
てっきり、SF小説かと思ったら原作は103の章から成り、全103編からなる教訓詩集だそうだ、教訓主義は、文学その他の芸術の中で、教育的で有益な特質を強調する芸術観のことらしい。人間の脆さと愚かさを描いた壮大な物語とスェーデンでは評価は高かったようだが、ノーベル賞を巡ってはハリー・マーティンソン自身がスェーデンアカデミーの会員だったことから批判を浴び、精神を病んで切腹自殺したというから、そもそも曰く付きの作家さんだったのですね。
SFものと期待したのが失敗でした。
描きたいものは分かるけど…
地味だがSFマインド萬斎である。
暴動が起こりそうなもんだけど、案外皆冷静なのが映画的でなく現実的だ...
平凡なオタクの感想
原発を止めて、自然を取り戻ろうって言っているのは分かるが。
『私達は神が持つ気泡の中にいるに過ぎない』
この映画を見て得られた事。それと
『馬鹿な男の指導者に対する警告』くらいかなぁ。もう一つ、
ざっと見ただけでも、白人ばかり。さすが、スウェーデン。白人至上主義に対する警告もあるのか?
小説を読んでいないから、はっした事は言えないが、発想は一見斬新だが、表現がチープ過ぎる。色々な出来事が文学的に進行する訳が無い。経験した事が無くとも、人間の心理学や物理を無視しては駄作になると思う。少なくとも、映画に限っては何一つ緊張感が無い。
スウェーデンとは王国だけど、民主国家のはずだ。しかし、船長の存在は独裁者だと思う。
で、何処に戻るのだ?地球は原子力発電所が爆発して、汚染されているし。また、
船長だけ、白人じゃ無い様だが、何を意味するのか?全く気になる。
追記 ノーベル賞?
えっ!!平野啓一○先生の『ドーン○』を真面目にノーベル賞に推薦したい。
テーマは外れるけど、伊藤計劃先生の『虐殺器官』なんかも。あっ!伊藤計劃先生は残念ながら無理だ。
アリアーラが示すものとは・・・?
うむ・・・中々考えさせられるテーマの作品だった。話題の原作は未読なのだが、どうだろう。更に難しいテーマになっているはずだ。それを最後までめげずにページをめくれる自信が自分には無い。よほど文学に対する意識が強い人で無ければこれはある程度かいつまんだであろう劇場作品で十分かもしれない。
本編の中で、シーンが暗転する度に何年か経つ形になるのだが、本来約1ヶ月で着くはずの場所に何年経っても辿り着かないという焦燥感や恐怖感が上手く描かれている。初めの数年は微かな希望を信じて決して美味しくは無いという食料を受け入れて生活をするのだが、段々と狂気を帯びてくる乗客の意識が異様な混沌さを産んでいく。
主人公は、「MIMA」と呼ばれる人々の意識を映し出す装置の管理をしている人物なのだが、初めは体験者の少ないものがトラブル後に管理出来ない程に需要が増していく。そのMIMAが後々新たな火種を産むことになるのだが、10年単位の世界になるとおかしくなるのは当然だろう。新興宗教の誕生、性快楽信者の誕生、謎の違法薬物の誕生と秩序もへったくれも無い世界へと変わっていく。
今でこそ地球は平和かも知れないが、地球がここと同じ状況になった時に人々はまさにこうなるはずだ。このアニアーラ号は、我々が住んでいるこの地球の宇宙船版。人類の誕生から退化までをここで描いているのだろう。ラストで描かれるそれは、これからの人類の未来なのか、警告としてのメッセージなのか、それは原作を読んでより深める事が出来るのだろうが、ともかく背筋の寒くなる思いのする作品だった。近年はハリウッド級のスケールで映画が製作されており、今までは埋もれていた構想やらが実現されて来ている。コロナ禍における映画産業の低迷はあるかも知れないが、映画好きには面白い時代なのかも知れない。
小説読むのがいいかも
SF好きですが、これはSF好きでも意見が真っ二つに分かれる映画だと思いました。
SFガジェットや映像美や音響や映画技術やキャストや諸々はさておき(さておくのかよ😀)、SFストーリーバリエーションに一石を投じる意味は有ったと思いたい。
<以下ストーリーへのコメント>
・異文明の槍の様な物体が結局"人類とは無関係"とわかる件は良いね👍
・最後の地球型惑星に辿り着く件は、それならそれで良いがストーリーに関係しないなら余計なことに思えた。
・AIのデザインがなんかデザインというか現実の落とし込みが自分には理解出来ず、評価不能であった。AIの太陽表面みたいなテクスチャーはまあ良かった。
今風の駄作
スウェーデンの映画だそうですが、CGの発達によりSF大作映画をハリウッド以外の地でも作れるようになり、そのような今どきの風潮の中で現れた凡作・駄作です。
SF映画特有のいち側面として、新進映画作家の斬新な発表の場となる傾向がありますが、その分表現が独りよがりにおちいりがちなものです。映画表現とは「絵でわからせる、動きでわからせる」事を美徳としており、SFの場合世界観の説明にそれが利用されたりもします。それはそれでいいのですが、しかしこの映画はそのような傾向にはまり込んでしまい、「5秒でわかる事に無用なカットの連なりを費やす、悪い意味での学生映画」といった出来になっている。やはりCGの発達によって特殊効果表現の裾野が広がったとはいえ、脚本開発力という人間の腕の良し悪しは作品を左右する事に変わりありません。
地球の縮図
バックミンスター・フラーが提唱した「宇宙船地球号」を想起させる作品。
郷愁、宗教、未来(次世代への期待)、など様々な希望に縋りながら緩やかに人々が死んでゆく様が、地球の縮図のように感じられる。
ヒトは過去、もしくは未来に希望があるからこそ生き続けられる、個として種として発展し続けられる。希望を失った人間は弱い。そんなテーマがあるように思われる。
終盤には主人公が盲目になる描写があるが、まさに、過去も未来も見ることができなくなり、縋るものが無くなったことを表現しているのではなかろうか。
最後に、宇宙船が美しいこと座に到達するシーンが印象的。もし、搭乗者がこと座の美しさを認識していて、こと座に行くことを目指していたら別の結末になっていたかもしれない。
余談
・本作の宇宙船と地球はかなり近しい構造をしているしが、なぜ宇宙船には閉塞感があるのか?
種の多様性?空間の広がり?到達可能性の有無?
・コロナで分断された社会にも受け取られた
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