ANIARA アニアーラのレビュー・感想・評価
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地味だがSFマインド萬斎である。
思いの外周りの評価が低いので驚いた。既視感が強いのかもしれないが、奇をてらうことなくオーソドックスなSFビジュワルを追求する姿勢に好感が持てる。その背景には既視感と表裏一体かもだが安心化が漂うSF映画であった。個人的には大好き。
暴動が起こりそうなもんだけど、案外皆冷静なのが映画的でなく現実的だ...
暴動が起こりそうなもんだけど、案外皆冷静なのが映画的でなく現実的だなと思った。
主人公のパートナーが徐々に精神崩壊していくのもリアル。
ラストは年数のケタがおかしかったけど、宇宙の広大さを考えると今回の事も本当にちっぽけな事なんだろうなと感じた。
題材は良かったけど、もう少しストーリーに起伏があったらなお良かったかな
平凡なオタクの感想
自分の趣味とは合わない映画というのはわかった上であらすじ確認後アマプラで視聴。
SF、宇宙、ディストピア、災害物とここまですごく好みで、バットエンドって一点だけが嫌い。なので、自分流に楽しむべく未来側から順番に視聴してみた。宇宙を漂う巨大客船に乗り込んで記録映像を解析してる気分になれて結構楽しめた。
マトリックスの時も思ったけど、日本のオタにしてみたらこれ系はとっくに使い古されたネタで、もはや美少女とか能力者とか巨大ロボとか世界系とかいろいろ盛らんと見向きもされない。この映画のネタで自分みたいなオタクも楽しめるものにするならもう百ひねり欲しいところ。
原発を止めて、自然を取り戻ろうって言っているのは分かるが。
『私達は神が持つ気泡の中にいるに過ぎない』
この映画を見て得られた事。それと
『馬鹿な男の指導者に対する警告』くらいかなぁ。もう一つ、
ざっと見ただけでも、白人ばかり。さすが、スウェーデン。白人至上主義に対する警告もあるのか?
小説を読んでいないから、はっした事は言えないが、発想は一見斬新だが、表現がチープ過ぎる。色々な出来事が文学的に進行する訳が無い。経験した事が無くとも、人間の心理学や物理を無視しては駄作になると思う。少なくとも、映画に限っては何一つ緊張感が無い。
スウェーデンとは王国だけど、民主国家のはずだ。しかし、船長の存在は独裁者だと思う。
で、何処に戻るのだ?地球は原子力発電所が爆発して、汚染されているし。また、
船長だけ、白人じゃ無い様だが、何を意味するのか?全く気になる。
追記 ノーベル賞?
えっ!!平野啓一○先生の『ドーン○』を真面目にノーベル賞に推薦したい。
テーマは外れるけど、伊藤計劃先生の『虐殺器官』なんかも。あっ!伊藤計劃先生は残念ながら無理だ。
アリアーラが示すものとは・・・?
うむ・・・中々考えさせられるテーマの作品だった。話題の原作は未読なのだが、どうだろう。更に難しいテーマになっているはずだ。それを最後までめげずにページをめくれる自信が自分には無い。よほど文学に対する意識が強い人で無ければこれはある程度かいつまんだであろう劇場作品で十分かもしれない。
本編の中で、シーンが暗転する度に何年か経つ形になるのだが、本来約1ヶ月で着くはずの場所に何年経っても辿り着かないという焦燥感や恐怖感が上手く描かれている。初めの数年は微かな希望を信じて決して美味しくは無いという食料を受け入れて生活をするのだが、段々と狂気を帯びてくる乗客の意識が異様な混沌さを産んでいく。
主人公は、「MIMA」と呼ばれる人々の意識を映し出す装置の管理をしている人物なのだが、初めは体験者の少ないものがトラブル後に管理出来ない程に需要が増していく。そのMIMAが後々新たな火種を産むことになるのだが、10年単位の世界になるとおかしくなるのは当然だろう。新興宗教の誕生、性快楽信者の誕生、謎の違法薬物の誕生と秩序もへったくれも無い世界へと変わっていく。
今でこそ地球は平和かも知れないが、地球がここと同じ状況になった時に人々はまさにこうなるはずだ。このアニアーラ号は、我々が住んでいるこの地球の宇宙船版。人類の誕生から退化までをここで描いているのだろう。ラストで描かれるそれは、これからの人類の未来なのか、警告としてのメッセージなのか、それは原作を読んでより深める事が出来るのだろうが、ともかく背筋の寒くなる思いのする作品だった。近年はハリウッド級のスケールで映画が製作されており、今までは埋もれていた構想やらが実現されて来ている。コロナ禍における映画産業の低迷はあるかも知れないが、映画好きには面白い時代なのかも知れない。
小説読むのがいいかも
SF好きですが、これはSF好きでも意見が真っ二つに分かれる映画だと思いました。
SFガジェットや映像美や音響や映画技術やキャストや諸々はさておき(さておくのかよ😀)、SFストーリーバリエーションに一石を投じる意味は有ったと思いたい。
<以下ストーリーへのコメント>
・異文明の槍の様な物体が結局"人類とは無関係"とわかる件は良いね👍
・最後の地球型惑星に辿り着く件は、それならそれで良いがストーリーに関係しないなら余計なことに思えた。
・AIのデザインがなんかデザインというか現実の落とし込みが自分には理解出来ず、評価不能であった。AIの太陽表面みたいなテクスチャーはまあ良かった。
今風の駄作
スウェーデンの映画だそうですが、CGの発達によりSF大作映画をハリウッド以外の地でも作れるようになり、そのような今どきの風潮の中で現れた凡作・駄作です。
SF映画特有のいち側面として、新進映画作家の斬新な発表の場となる傾向がありますが、その分表現が独りよがりにおちいりがちなものです。映画表現とは「絵でわからせる、動きでわからせる」事を美徳としており、SFの場合世界観の説明にそれが利用されたりもします。それはそれでいいのですが、しかしこの映画はそのような傾向にはまり込んでしまい、「5秒でわかる事に無用なカットの連なりを費やす、悪い意味での学生映画」といった出来になっている。やはりCGの発達によって特殊効果表現の裾野が広がったとはいえ、脚本開発力という人間の腕の良し悪しは作品を左右する事に変わりありません。
地球の縮図
バックミンスター・フラーが提唱した「宇宙船地球号」を想起させる作品。
郷愁、宗教、未来(次世代への期待)、など様々な希望に縋りながら緩やかに人々が死んでゆく様が、地球の縮図のように感じられる。
ヒトは過去、もしくは未来に希望があるからこそ生き続けられる、個として種として発展し続けられる。希望を失った人間は弱い。そんなテーマがあるように思われる。
終盤には主人公が盲目になる描写があるが、まさに、過去も未来も見ることができなくなり、縋るものが無くなったことを表現しているのではなかろうか。
最後に、宇宙船が美しいこと座に到達するシーンが印象的。もし、搭乗者がこと座の美しさを認識していて、こと座に行くことを目指していたら別の結末になっていたかもしれない。
余談
・本作の宇宙船と地球はかなり近しい構造をしているしが、なぜ宇宙船には閉塞感があるのか?
種の多様性?空間の広がり?到達可能性の有無?
・コロナで分断された社会にも受け取られた
さすがノーベル文学賞は伊達じゃない
心にがつんと来る映画でした。それにしても時間は無情ですね。前には進んでも戻ることはない。ほんと過去にタイムスリップしてぇー。神は酷い仕打ちをするもんですね。それでも俺は神がこの原理を打破する裏技を隠しているって信じているぜ👍。
…誰か見つけて😭
598万1407年後・・・
原作は未読だが、スウェーデンではノーベル文学賞受賞者執筆とのことで広く認知されているらしい。どこまで原作に近似しているのかは不明だが、映画だけを観て感じるのは確かに今作品の無常さや哲学は永遠の真理探究として古今東西、特に先進国と呼ばれる社会では常に持ち併せる“不安”を写し取られていて、ノーベル文学の奥深さを感じ取れる内容である。そうではあるのだが、それだけ高度な思考内容故、ついて行けない部分もあったりしてクセもまた強い作品でもある。その手の飲み込みづらいモノは自分としては大好物だが、果たして一般受けするかどうかは難しい限りだ。
今作品がSFとはいえ、全体的な構図が読めないのは“神の視点”として俯瞰での視線ではなく、あくまで主人公の女性の目線でストーリー展開されることである。なので主人公の持つ知識やそれによる見解に対しては細かい説明をするのだが、色々なアクシデントに対しては一切解説が成されず、そしてフリの回収もされない。重大なインシデント(そもそもこの巨大船にぶつかってきた部品は何だったのか、事故なのか攻撃だったのだろうか、そして中盤回収されたあの“槍”は何だったのだろうか)等の答えは一切解明することなく、悠久の時間が幕毎にカウントされていく構成になっている。設定とすれば『マクロス』のようなイメージの船艦に近いが、8,000人収容のクルーズ客船の方向なのであろう。なのでその閉ざされた世界において、希望が得られない状況に陥った人類の思考や行動はどのように変化していくのかという実験的意味合いもプロットに含まれているのではないだろうか。その中で科学とは又別の柱である“スピリチュアル”やそれに伴う“宗教”観といったものがどのように人間の精神に影響を及ぼすのかも言及されている。そこで鍵となるのは『MIMA』と呼ばれる脳内映像投影システム(という表現で良いのかは分らないが、勝手に命名)。人間の精神を安定させるストッパー装置としての機能を果たしていたのだが、余りにも人間の負の念を浴びたことで自爆してしまい、人間はその代替をそれぞれで試行錯誤することに陥る。享楽に興じる者もいれば、新興宗教に嵌る者も出てくる。そしてその二つが惹かれ合う様に、“セックス教団”が誕生してしまう。もうそうなると艦内の秩序もへったくれもない。そんな中で宇宙間に漂う物体をみつけるのだが、結局これもエネルギーとしての変換は出来ない事が分ってしまい、一度首を持ち上げた希望が無残にも打ち砕かれる時の絶望感は筆舌に難い演出だ。絶望感の中、艦内の自殺率は悪化の一途を辿るが、もう為す術もない。宇宙の放射能汚染により、益々絶命者が増え、こうなると生存している事自体が表彰されるようなおかしな現状が起こる。それは静かな死への旅路として粛々と石棺化される船艦の何とも言えないカタストロフを見事に演出されていて、この無常観をどう表現すればよいか、深い深い悲しみに打ち拉がれる。そして、表題の年数に於いて、こと座付近の地球によく似た惑星に辿り着くこの船艦(しかしもう艦内には誰も生きてもせず、骨さえも残っていない)は余りにも皮肉めいた結論を叩き出して静かなエンディングを迎える。こんな年数まで宇宙船が外見をそれ程破壊されてもせずに存在するのかのツッコミは、今作品に於いてはそこが分水嶺かもしれない。さもありなんと思えるならば、この悠久の時間を一緒に旅が出来た事に万感の思いを抱くことが出来るだろう。あり得ないと思うのならば、今作品のラストで今までのストーリーが無に帰すことになってしまう。
素直な自分は間違いなく前者であるwとにかくこの圧倒的な時間経過や無常観、仏教観に親和性を感じる世界観にノックアウトさせられた作品であった。果て無き希望と失望の繰り返し、しかしその終焉が“糠喜び”の祭の後に訪れる本当の希望だった時の仏の掌で踊らされ続けた孫悟空に思いを馳せる、そんな荘厳で圧倒的な展開である。
地球の縮図
アニアーラは縮小した地球。
制御不能、燃料無し、食料不足、資源不足、目先の娯楽に食い付き目先の問題に取り組んでみる人々。
身に染みる恐怖で身体は凍りつき、鑑賞後は脚が震えてしまった。
時間の経過を表すテロップで小分けにされるエピソードの一つ一つが強烈。
ぶつ切りで脈略不足の構造は逆に前後やその奥を想像させて、引き込まれる。
それぞれの出来事の一番分かりやすい部分を見せてくれるので、意味不明だと混乱することがない。
縋る先をコロコロ変える人々の行動がリアリティに溢れていた。
美しい自然を見せてくれた癒しの人工知能MIMAの死も、目的不明のカルト集団も、ちょっと時間が経てばすぐに飽きる。
普通ならこれらの問題を受けて難しく拗れそうなものを、あまり大した反応にならないのが面白い。
なっているのかもしれないけど。その面倒なシーンを削る潔さ。
一つの物事に依存するのはわりと精神力を使うからね。
なんとか維持していた船内の秩序がジワジワと崩れていく様子が恐ろしい。
荒れたショップ、汚れていく生産地。
きっと地球で起きていたことと同じなんだろう。
でも、よく持った方だと思う。
確実に病んでいく人間がいる一方で、儚い希望を作り続けるMR達の姿が印象的。
この映画の設定からして、こりゃ全員発狂で殺し合い嬲り合いの即死ルートだろ〜と思っていた自分の予想を遥かに上回る持ち堪え。
希望を捨てない気力や忍耐力というより、狂いきることすら難しい人間の複雑さ、意外なほど強めの適応力への哀しさを感じた。
筋トレに余念のない独裁的な船長へのフラストレーションがちょうど良い不快感で、イライラを楽しめるほどのエンタメ性がある。
自殺者の続出は船の維持にはわりと有難いことだったりして。
MRとイサゲルとの対比はとても悲しい。
そしてあの絶叫。勘弁してほしい。
辛くて辛くて堪らない。
このカップルの成り立ちやイチャイチャがすごく心地良かっただけに、そのショックも大きかった。
愛する人や守るべき人の存在、その活躍すら絶望の足しになるなんて。
どんどん経過する時間、虚しすぎる表彰、力のない拍手。
現実を見つめることをやめた人々からどんどん生きる力が抜けて出て行くのが手に取るように分かる。
最後に表示されたテロップに戦慄。
いやいやいや…それ本当に怖いって。
人智の及ばぬ宇宙の未来。想像すらできない範囲に広がると本能的に冷や汗が出てくる。
そしてアニアーラの先に見えた星の色合いに鳥肌が立った。
あり得ない話ではない。
宇宙船に乗らなくてもこの地球上で起こりうること、既に起こってること。
現実的に冷静に観るとツッコミ所もそりゃあるけど、この映画の凄味にやられて全然気にならなかった。
こんな時ここにいたら、私ならどうするか?と考える。シミュレーション的な感覚にもなる。
いつか死ぬのはどこにいても同じ。怖いなあ。決して抗えない時間の流れに支配されていることを実感。
スウェーデン語がとても聴き取りやすくて嬉しかった。
投げて投げて投げて。
本来らなら3週間強で地球から火星へ移住する人を運ぶ宇宙船アニアーラが宇宙ゴミを回避してボルトと衝突し漂流する話。
放射線治療がどうのとか8000人とかは本編では語られず。漂流から数日後、3年後、4年後…とみせて行く。
色々とご都合主義満載+しょっぱい始まりから、追い詰められたり絶望したりの人間模様が…なんだろうけど、あらすじに記されているMIMAもどうでも良いし、船長含むお偉方はアホだし、主人公すらたからどうしたいのか。
各年代毎エピソードは突っ込んでくるけれど、ありきたりだし投げっぱなしだし。
20分ぐらいのショートなら少しは評価出来るかも知れないけれど、タラタラとボヤけたものをみせられた挙げ句委ねられてもね。
これには、副題がある。”時間と空間における人間の復活”
この映画は、個人的考えとして聞いてもらいたいのだが、前半の40分と後半の約1時間で映画の質や雰囲気が変わるので、それを理解できる方は、おおむねこの映画を諦めずに見ることが出来る方であって、、また興味を失わずにかろうじて最後まで支持をされる方と思われる。ただし、それ以外の方は、このシナリオの進行の遅い何とも言えないディストピアの世界に対して、言い過ぎかもしれないが、見るのをあきらめてもらうしかないと言える。
My conscience aches for the stones.......
I've heard them cry their stonely cries,
seen the granites white-hot weeping......
I've been troubled by their pains.
In the name of Things I want peace.
I will be done with my displays.
There is protection from nearly everything.....
..................How grim it always is, one's detonation.
この映画自体は、大型とはいえ宇宙船内を描いたソリッドシチュエーション・Sci-Fiスリラー映画として成立していて、燃料を捨ててしまい制御不能となった為、宇宙船の乗客の心理的不安や焦燥感が現れ、最初快適であった船内においては、人工知能型癒し空間・MIMAを利用する乗客は数人程度であったにもかかわらず、事故後はさばき切れないぐらいに膨れ上がり、彼らの精神的よりどころとなっていたMIMAであったが、その過剰な乗客の感情を処理しきれなくなり、MIMA自体が自己暴走して崩壊してしまってからは、その精神的よりどころを失ってしまい乗客の一部には、感情失禁をしてしまうものもあらわれ、船長の独断的部分も登場してしまう。
アメリカボストンの日刊紙Boston Globeの記者のコメント「'Aniara'は、これまでに撮影された中で最もクールで、最もコストが高く、最もディストピア的長々と続いた結末が非常にとぼけた話かもしれない。」新聞に高級というものがあるのかも知れないがニューヨークで第3位の発行部数のNew York Timesのコメント「主に、これは生きる意志を失うという経験をシミュレートする映画であり、勇敢な宇宙航海者にとってさえもひるませてしまうような大前提となっている。」カナダ最大発行部数を誇るToronto Starのコメントの一部「ここでの宇宙船はJ.G.バラードの小説におけるような"生存を左右する罠”であり、そしてその結末は完全に満足のいくものではないかもしれないが、それはいかさまなものではない。」(1987年スピルバーグ監督の映画「太陽の帝国」を覚えている方は、その原作者として知られています。)
どなたかが言っていたが、途中理解できない女性の裸や性的な部分が唐突的に出てくるのだが、その意味を考える脳みそを持ち合わせていないので、個人的に理解するのをあきらめた。それとどうしてもわからないのがラストのシーン。あまり詳しくは言えないが、フランスの作家、ピエール・ブールの小説をもとにした「猿の惑星(1968)」とよく似ているが、それもおかしな話で金属がそこまで持つか?いくら宇宙空間とはいえ......?
ある人がラテン語を使った揶揄として"Parturiunt montes, nascetur ridiculus mus.”と表しているし、この意味するものが、原作者に対して評価とするならば、"死人に口なし"ってか?いい過ぎました。すみません。謝るぐらいなら言うなってか!
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