「【不正確な真実】」猿楽町で会いましょう ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
【不正確な真実】
自分の住んでるところを聞かれると、高級住宅街ですねと、半分嫌味ったらしく言われることがある。
確かに大きいうちもあるが、決して、そんなことはない。
大規模な都営住宅もあれば、普通にしか見えない一般住宅もある。
地震が来たら危なそうな木造家屋も、アパートも、狭小住宅も、消防法で建て替え不可だろうなとおもう住宅も、とにかくいろいろあるのだ。
近所のスーパーは、当初の高級看板を早々に下ろして、特定の曜日をお得な日に指定して、更に月に連続5日ほど○%引きの日も設けて割安感を出すのに一生懸命だ。
人は、自分の膨らませたイメージで判断するだけなのだ。
猿楽町も同じだ。
代官山に隣接して、恵比寿や渋谷は歩いていける距離だ。
華やかな断面が見えるだけなのだ。
でも、いろいろな住宅にいろいろな人が生活しているのだ。
モデル、女優、カメラマン、雑誌編集者、うわべの華やかさやカッコ良さを人は注目するが、その人のヒストリーや、背景や、努力や、悲しさや、うす汚いところ、歯を食いしばっている姿や、密かに涙しているところなど見ようとしない。
あなたはどんな人ですか?
えっ!?
どんな人だろう。
自分は自分。
確固たる目標を持ってやって来たと思っていても、上手い形容詞は見つからない。
もしかしたら、自分も自分自身のことを理解してないし、自分で気が付かない自分自身の特徴があるのかもしれない。
周りを見渡せば、そこにあるものは確かに全て真実だ。
でも、断面しか見てないことは圧倒的な多い…はずだ。
不正確な真実…。
愛する人も、偶然良く撮れた写真のように、一部しか見ていないかもしれない。
それに、もしかしたら、全てを知ったら、愛せなくなるかもしれない。
だから、全部を見れないのかもしれない。
見ようとしないのかもしれない。
愛してるの意味も曖昧だ。
都合よく側にいるだけで良いのかもしれない。
都合よく身体を合わせることを欲してるのかもしれない。
そして、なぜ愛しているのかさえ理由は曖昧になっていく。
自分の継ぎ足した勝手なイメージも併せて、不正確な真実のなかで、僕たちは生きるしかないのだ。