チョンティチャのレビュー・感想・評価
全3件を表示
言葉にしてしまえば複雑な問題を、心に染み込む映像で描いた秀作
いまや「多様性」と「日本らしさ」という二つの価値観が様々な局面で入り乱れる世の中だ。そんな中、本作は、一人のハーフの少女の思春期の揺れ動きと、「私って一体何者なんだろう?」というアイデンティティを、じっくりと繊細に描きこんだ秀作に仕上がった。
きっと言葉にすればイデオロギーにまで発展するほど複雑な問題をはらむこれらの題材が、この映画では岩清水のように体にすっと馴染んで染み込んでいくのを感じる。それは映像の力であり、少女の横顔にジッと寄り添う作り手の実直さが観客の共感を呼ぶから。ヒロインだけにしかわからない悩みや苦しみを、我々もまた懐かしい青春の一ページを思い出すかのように、味わうことができるのだ。これが不思議な感触をもたらす。
鳴き続ける蝉の声。その耳元のざわめきが基調トーンとなり、森、緑、木漏れ日、汗といった要素もまた忘れ得ぬ五感を伝える。将来の楽しみな映像作家がまた一人生まれた。
どういう映画なんだろう
友人にも恵まれて、家族から愛されてない訳でもなく、主人公がずっとイライラしてる。「あなたには分からないでしょう。思春期のハーフ女子は複雑なのよ」って言われてる気分。多分そこを描いてるんだろうけど心情描写が雑すぎる。僕がハーフの女子高生じゃないからかな? けどハーフの女子高生に共感させてもしょうがない。いろんな人種のいろんな性別の人達にも伝えるのがこの映画でやるべき事。ハーフの女子高生じゃない僕でも理解できるように作って欲しかった。
“日本に住むミャンマーとタイのハーフ”っていういくらでもこねれそうな設定なのに、全然活かしきれてない。セミを食べることぐらい? けど日本でもセミ食べる文化はある。
女子高生が主人公の映画にありがちな、ラストで思いの丈を叫ぶシーン。もちろんこの作品にもあって、そこで彼女の今まで我慢していたものが爆発する訳だが、その“我慢していたもの”がいたって普通。まあ100人中100人が考えるよねっていうラストと捨て台詞を吐いて終了。そして次のシーンでは勝手に自分でスッキリして自転車漕いでる。多分作り手は登場人物達のことを考えてないと思う。そして観客のことも。作り手が、自分の思い通りにならくて不満な日常を映画で鬱憤晴らしをしてしまった様に僕は見えた。
綺麗な映像はなく、意味のない長回しが多くてとても退屈。構図も気持ち悪い。とにかく人が映ればいいみたいな雑な照明。照明にしろカメラにしろ、役者の表情が映るのは当たり前。そこから綺麗な映像を作っていくのが技術者だと思う。映像美じゃないから!内容だから!って言いたいんだろうけど、じゃあラジオドラマでいい。心に残る映像あっての映画だと思う。
アダルトコーナーに行ったり、セミ食べたり、こんな奇抜なの撮っちゃいます〜っていうドヤ顔が画面越しから伝わってきた。あと余談だが、セミ食べるときは羽取ってねと。
主役の女優さんは素晴らしかった。パワフルなものが演技の中にあったと思う。
田辺・弁慶映画祭の入賞作品と聞いて観たがちょっと疑ってしまう。時代的にリベラルな作品がウケるからウケたのかな。けど僕にはどう噛み砕いても理解できなかった。痒いとこに手が届かないという感じじゃない。痒い所がなかった
全3件を表示