ブラインドスポッティングのレビュー・感想・評価
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地価上昇で貧困者が住めなくなり家を売る
アメリカでアフリカ系として生きる恐怖と偏見に怯えるコリンと、オークランドの黒人コミュニティ出身でありながら白人故によそ者のように見られることに憤るマイルズの三日間を、タイトルにもなっている「ブラインドスポッティング」(盲点)に絡めて綴る物語。
作品内ではルビンの壺を使ってシンプルに盲点を表現しているが、分解してみると様々な意味を含む。
相手の立場になって考えられないこと、思い込みで判断すること、決め付けとそれを押し付けること、総じて理解を示さないこと。
これらは細かく何度も描写され、観ている者に自らの視点の狭さを思い知らせる。
一番分かりやすいのが、白人警官に銃を突き付けるコリンが言う「銃を向けられる恐怖が分かったか?」と、コリンがマイルズとの口論の際に言う「お前がダメなら俺もダメなはずだ」だろう。
本作が、差別や偏見を扱った現状を訴えるだけのありきたりな作品と一線を画す理由がこのあたりのセリフに顕著に表れている。
そして形を変えて何度も何度も小さく描写され続けているにも関わらずメインストーリーを全く阻害していないのも素晴らしい。
差別や偏見に繋がる「盲点」は観ている私たちに対しても仕込まれていた。
マイルズの子ども。見た目はどう見ても女の子。しかしあの子は息子。男の子なのだ。
もうすでに盲点として機能している上に、もしそれに驚いたのならそこに意味が付与される。
更にあの子に対して、女の子として可愛らしいと思ったなら、それはマイルズが日々受けている白人故にニガーではないという決め付けと同じだ。黒人だから危険だと同じだ。
女の子だから可愛いは差別なんだ。日本人はこの辺分かってない人が多いけど、○○だからという前提条件は差別なんだ。白人だから黒人だからと同じだ。
ただ「可愛い」でいい。
アフリカ系が抱える恐怖、変わっていく街、地元出身者とよそ者、同性愛者、貧困層と富裕層、ヴィーガン、それらに対する憤り。
これら問題に対する最初の答えが、銃のことで追い出されたマイルズが家に戻り妻に言われる言葉だ。
「銃を買った理由はわかる。それを相談してくれたら違う解決策があったはず」
つまり、思い込み、決め付け、押し付けをせず、話し合おうというわけだ。
そしてそれを一本の軸として貫くアイテムとして青汁がある。
よそ者の金持ちの流入により、10ドルもする青汁が売られるようになる。
これを飲み始めるコリンは、よそ者を受け入れることの表れだし、青汁を飲むコリンに対し「ただ摂取するだけではダメ」とヴァルが言うのは、受け入れるだけではなく理解が必要だという意味だ。
そしてエンディングで、気持ち悪い飲み物と決め付けていたマイルズも青汁を飲み、イケると言う。
白人だから、黒人だから、女の子だから、よそ者だから、青汁だから、そんな前提条件はいらない。
試してみなければ、知ろうとしなければ、何も分からないのだ。
そのあとお互いに「すごくグリーンだ」「ああグリーンだ」と言い合う姿。
グリーンは、清々しさ、穏やかさ、調和を連想させる。実に爽やかな青春さえ思わせる後味の良さがある。
レイシズムについてのシリアスな内容を95分という時間に濃密に詰め込み、気付きと答えまで示した脚本は素晴らしい。
そして何より、ポップな雰囲気で実に笑えるところが凄い。
もう充分長文になってしまったので富裕層の流入による街の変化については書かない。レビュータイトルから察して下さい。
白と黒は違う…
鑑賞前に舞台となるオークランドを少し調べたところ、今は少し改善されたようだが、全米有数の犯罪率の高い街。子供の頃からそこで生まれ育った黒人と白人の親友二人。暮らしが厳しいのは変わらないが、白人と黒人では見られ方が違い、それは命にも関わることだった。偶然、目の前で黒人が白人警官に銃殺されるところを目撃したことから、その現実が浮き彫りになってくる。同じことをしたとしても、撃たれるのは黒人。何気ない生活の不平不満から、命の叫びまでラップで捲し立てる様は圧巻。軽いノリの二人の掛け合いから、重い現実まで強弱がはっきりしており、見やすかった。
すごくよかった
ずっと地元で暮らして幼馴染と友達付き合いしている青年たちだが、大人になると家庭を持ったり持たなかったり、悪さのレベルも司法が介入するレベルになり、それでも仲良くつるんでいるのが頼もしい。オレにはそんな友達はすっかり絶滅してしまい、うらやましいばかりだ。
保護観察が終了まで残り3日という状況設定が、何気ない日常でも「何か起こったら?」とスリリングに感じさせる。ストーリーでぐいぐい引っ張られる感じはないのだけど、日常の引っ越し業務や家族の存在がすごく生々しくリアルだった。
映画秘宝で紹介を描かせていただいた。
nigga ≒ , ≠ nigger
"COMMANDER MOVING"という引越し屋に勤めている幼馴染のコリンとマイルズのいかにもいかつい2人のいい大人が、今夜もつるんでいると、なぜか乗れない男コリン。それもそのはずで、1年間待った日本ではみられない保護観察期間満了まであと3日、穏便に何事もなく、ましてトラブルなんてチョー大変。その上、仮住まいの更生復帰施設には門限もあり、しかも行動範囲つまり自分自身だけで行ける地域も限定されている。そのことが最後にオークランドの地域図を破り捨てるところでわかるし、施設の管理者からはコリンの度重なる門限破りに目を光らしているプレッシャーもかけられている。
I, uh, saw the cops kill a nigga last night.
そしてある夜、コリンが1人でいつもの運送トラックを運転して赤信号で待っていると突然、トラックの前に黒人青年が飛び出してきて、その彼の後を追ってきた警官が警告もなしに発砲し、黒人青年は道端に倒れたまま動かなくなってしまっている。コリンはバックミラーで彼の姿を見えると同時にちょうど運転席の横に警官が立っており、警官もまた瞳孔を開いたまま放心状態で魂を抜かれたかのようにこちらを見つめていた。
その夜から何故かコリンは警官に射殺された黒人青年を何とかしてやれたのではないかと思ったのか、いつかは自分もあのような姿になると思っているのか、次の日からは悪夢や幻覚を見るようになり、そのことを悩み憂鬱な日々が続いていく。
そんな中、昔付き合っていたヴァルからも過去のことで
What if the cops showed up
and they saw you stomping that white dude?
Who do you think they would have shot? Miles?
なんて言われ完全にヴァルがコリンと距離をおいていることがわかる。
マイルズとマイルズの妻、アシュリーとの子供ショーン(ショーン役のジギー・ベイティンガー君、すみませんでした。最後の最後まであなたのことをheと言われなければず~ッと女の子と思っていました)。彼がある事をしたために、怒ったアシュリーはコリンと旦那のマイルズ2人とも家から追い出してしまう。
そんなことはお構いなしに2人してパーティに行くがそこでマイルズが些細なことから黒人青年と喧嘩になってしまう。マイルズのことがわからなくなったコリンが..........?
Yeah, my nigga.
-Yeah, bruh.
Nope. Say it.
-What?
Say"nigga."
-Oh, fuck you!
Say it! Say, "Yeah, my nigga!"
-No, and you know........Come the fuck on!
But........But why?
-'Cause you know I don't say that shit!
-You been calling me that since we were 12 years old.
........................
“nigga”という言葉が、マイルズの中では2人の間に何故か垣根のような隔たりを感じさせる場面となっている。
ラストのシーン、引越しを受けた先が、あの警官の家だとわかるとコリンは、感情をラップの韻を踏みながらあらわにし、警官に詰め寄る。
The difference between me and you is.......
I ain't no killer.
I ain't no killer.
最後は、キュートな終わり方で次の行き先は、有名なフットボールチームのクウォーターバック.........なんていつの間にか普段の2人となっていました。
ちなみにアメリカの受刑者の数は世界の受刑者の1/4とも言われ、犯罪者の数は当然のこととして、それを上回ると考えると、この映画の保護観察制度というのも納得ができ、オークランドの地が古くは、ブラックパンサー・パーティの発祥の地として知られている。そのため黒人の人権活動の活発な土地柄もあってか、唯一無二の殺人者でカルト教団の教祖であるチャールズ・マンソンのおかげで、せっかく死刑を復活させたのに今年になってから州知事が、"一時中止”命令書にサインをしている。700人を超える死刑囚はどちらへ? しかしながら今現在でもカリフォルニア州の中でも犯罪が増加しているといわれるウエスト・オークランド。その地がこの映画の舞台となっているが、その危険な土地柄にもかかわらず、その反動の代わりと言っていいのか文化やファッションなどカウンターカルチャー(古い言葉?)特にミュージック・シーンの発信の地としても知られている。
前半のコミカルな2人のオトボケな場面も出てきていて、多少笑える部分も登場するが、ラストのシーン、マイルズが通称:グリーン・ジュースを飲む場面や途中、黒人青年の言った言葉やしぐさなどに差別とまでは言わないにしろ無意識に、また知らず知らずに抱いていた表現のしにくい感情、違和感に対して怒りを爆発するシーンを見ると映画の題名になった「Blindspotting」の意味を再確認できる。映画の中でも"脳が無意識にいつでも無視してしまう盲点?それを回避できると思っているとそうでもない。"という言葉。
何もなかったようにまた2人して引越し屋の仕事をこなしていくところは、何か言いようのない、ある意味爽やかさも感じてしまう心地よい映画と言ってよいものとなっている。
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