「「カイジ」でない上に脚本が破綻している」カイジ ファイナルゲーム Rizaさんの映画レビュー(感想・評価)
「カイジ」でない上に脚本が破綻している
あの福本伸行氏が担当しているとはとても思えないレベルで、脚本が破綻してしまっている。インタビューによると、脚本は福本氏本人が90%担当しているということで、福本氏は政治と経済の話には手を出すべきではなかったのではないかと感じた。
「預金封鎖」はどちらかといえばカイジのような貯金のない貧しい人間に利益のある政策だ。金持ちから国が資産を奪い、国家運営資金に充てることは社会主義に近く、帝愛グループが志向してきた自己責任型の新自由主義とは真逆になってしまっている。
このため「貧しいカイジが預金封鎖に反対する」ことにすでに無理があり、さらに「ギャンブルで金を稼ぎ、それを賄賂にして政治家を動かす」という方法にも無理があるので、結果として登場人物の動きが滅茶苦茶になってしまったのだと思う。
些細な点では、廣瀬が「絵」の話をするくだりと、その後明かされる真実とに齟齬がある。本人が息子で、かつ絵が自分だけで見つけられたのであれば、カイジに「絵を探して」と言う意味がない。他にも「観客への説明」以外に理由のない台詞が多数見受けられた。
「カイジ」の魅力は「人生をゼロにしてやり直せるギャンブル」が出てくるということで、過去にどんな功績を立てた人間もゲームの上では平等だというところに良さがある。
そういう意味ではゲーム「最後の審判」はこれまでの「カイジ」作品に対する冒涜に近い。その人物でないと成立しない人脈要素が多すぎる上に、動く金額が大きすぎるため、観客は一切共感できないまま何十分も時間を過ごすことを強いられる。
ゲームの中では「ゴールドジャンケン」がいちばんまともでゲーム性があるが、残念なことに映画内の登場時間が短く、一番つまらない「審判」が一番長い。
「ドリームジャンプ」は「生き残る人間が誰か」に賭ける人間がいて初めて成立するギャンブルであり、誰もいない場所で飛ぶのでは、そもそも配当金を払う原資がない。
「死ななかった際に10倍の金額を渡す」というのはカイジが唐突に言い出したことで、帝愛ランド側にはこのギャンブルを受けるメリットが一切ない。(カイジをわざわざ死なせずとも「最後の審判」には余裕を持って勝利できるため)
今作のカイジは黒崎に「戦略がない」などと批判していたが、今作を見る限り戦略がまったくないのはカイジの方で、前々からさまざまな根回しをしていた黒崎は真面目で努力家の印象を受けた。(これは工場を残したかった若者にも言えることで、どう考えてもカイジよりあの若者のほうが真面目で立派な生き方をしており、クズ呼ばわりされるいわれはない)。
また、「『男の世界』を描く福本漫画で登場が許される女性キャラは美心ちゃんだけ」というのは昔から福本漫画を読んでいる人間のなかで言われてきたことだが、今回の映画に出てくるラッキーガールほど不要なキャラクターはそう簡単にいないのではと思う。(遠藤の女性化も相当ショックだったが、天海祐希の演技力が高かったので許せた。今回のラッキーガールは、心の底から不要だと感じた)
藤原竜也と吉田鋼太郎の演技力があるから少しは観ていられる映像になっているが、この二人の力がなければ本当に直視するのが厳しい内容だった。