朝が来るのレビュー・感想・評価
全79件中、41~60件目を表示
ザワザワ
胸の奥がざわつく。
眠らせてた何かをハンマーで揺さぶられる。
刺さる。刺される。
この作品を必要とする誰かはきっといると思う。
出会って欲しいと心底思う。
エンドロールの最後の最後まで席を立たないでいて欲しい。俺は立てなかった人だけど、立てずに最後まで居れて良かったと思う。
監督の視点にはいつも驚かされる。
「朝が来る」という原作に監督は出会うべくして出会ったのではないかと思う。
原作は未読ながら、辻村深月さんとのシンクロ率はかなり高いのではないかと推測する。原作が嫉妬する程の精度を見たような気がする。
おそらくならば、全編に渡り多用されるUPカットのせいなのかと思う。
その人物に寄り添うかのようなアングルが、映画ではなく自分達の隣人としての視点を与えてくれてたのではないかと。
その多用されるUPに一切怯まない演者達にも敬意を表したい。永作さんは本当に素晴らしい女優さんだと思う。今作の役に対し、アカデミー主演女優賞を進呈したいと思うのだけれど、それすら陳腐なものだと思えてしまう。
途中、ドキュメンタリーなのかと思うシーンもありで…いや、ドキュメンタリーな部分もあるのだろうけど、そうではない部分では役者を起用し、台詞を喋らせたのだとしたら、監督は一体どんな魔法を使ったのだろうか?
いや…子役にしたってそうだ。
どんな役者であってもカメラに意識がなさ過ぎる。
台詞の輪郭が恐ろしい程ボヤけてる。
撮影現場はどんな空気感なのだろうか?
実景のカットや鹿のカットにさえ意図を感じ、まるで人としての本能さえも演出に使われてるかのようだった。
それ程までに、人への造詣が深いという事なのかもしれない。
自分も人の親であるから、ついつい親としての視点を思ってしまう。
永作さんの強さにあてられてしまう。
子供を守り背負うというのは生半可な事ではないのだと改めて考える。
それと同時に、どんな人間にも親はいるのだなと。
あなたを産んで育てた人がいる。
それは当たり前の事ではあるのだけれど、きっと簡単な事ではないと思うんだ。
その簡単ではない事に報いる為にも、他者を軽んじるような事をしてはいけないのだろうと思う。
自分を決して卑下してはいけないような気がする。
俺はこの作品に出会えて良かった。
この作品によって救われるであろう誰かが、ちゃんと出会える事を祈ってやまない。
他者への労りを常に持ち続けたいと思う。
朝と光
渾身の二時間半。
力のこもった、熱のある濃密な時間。
子供に恵まれない夫婦。
望まない妊娠をした中学生。
その二つの視点から話が展開される。
養子縁組を通して話がつながる。
とても静かな場面描写が続くけど、熱はすごい感じられる。
今回主役の一人、ひかりの女の子はとても自然体で、ほんとにそばでこの娘の暮らしを眺めているようだった。
井浦新と永作博美の夫婦は何も心配なく安心して見ていられる。
ドキュメンタリーっぽい演出もあり、どっぷりとはまった。
小学校上がる前に本当のことを伝えるという姿勢が、はじめはどうなんだろうかと思ったが、終わってみればそれも有りかと思わせる。
そしてやっぱり我が身に引き下ろして考えてしまう。
娘を持つ親として、なかったことにはしてはいけない。
原作にないシーンもまた良い
終盤、佐都子がひかりの手紙の一文に気付いたシーンや、エンドロール「アサトヒカリ」最後の演出など原作にないところも印象深く、心に染みた。3人の母、それぞれの素晴らしい演技に引き込まれた。
その後の栗原家とひかりはどのような関係を築いていくのだろう。5年後、10分後、20年後を勝手に想像してみる。朝斗が立派に成人して、結婚式の招待状がひかりに届いたときのひかりを想像するとまた涙腺が…
川島海荷のドラマ版が好きで映画を見た
2016年に川島海荷さん主演で深夜ドラマでやっていたのを見ていました。ドラマ版がすごく好きで今回映画を見ましたが、結論をいうと、ドラマ版の方が好きです。
長いドラマを、映画で2時間位に圧縮するので、物足りなさを感じてしまうのは仕方ないと見る前から覚悟は決めていましたが、もしドラマを見ずにこの映画を見たら、もっと評価していたかも知れません。
ドラマ版と映画版で大きく違うのは、ドラマはひかりが主役、映画版は佐都子が主役になっていること。
また、ドラマ版と比べて1番物足りないと感じたところは、最後の方。
最後に佐都子がひかりに、「わかってあげられなくてごめんね」というシーンがありますが、
ドラマ版では、ひかりが新聞配達で借金を背負わされた後、借金取りから逃げるために別のビジネスホテルで働きます。そこでお金を盗んで、今度は警察から追われる、健太(映画版には出てこない)というひかりの知り合いが、ひかりを守るために借金取りをナイフで刺す、といった、ひかりがどんどん深みにはまっていってしまう話が、複数回にかけて放送されます。
最後の「やっと見つけた、わかってあげられなくてごめんね」というシーンは、ドラマ、映画版両方にあるシーンですが、ドラマ版ではこういった前置きがあってからのこのセリフなので、重みが全く違うように感じられました。
またドラマ版では、ひかりの母親もしっかりひかりに対して愛情を持っていたという描写があります。
ただ、映画版の役者さんたちのみなさんの演技は素晴らしかったと思います。ドラマ版の方が好きですが、映画版でも心を打たれるものはありました。
ドラマ版を見ていない方は、ぜひそちらも見て欲しいです。
最後の最後で涙腺決壊
逆光がよく使われていて、画面のコントロール難しいのをよくやってると思ったし、演技がナチュラルで、撮り方も含めてドキュメンタリーぽい。
幼くして子供を産み、里子に出した少女も、その子を特別養子縁組で迎えた女性も、女だというだけで割を食ってる。
孕ませた少年は何の責任もとらず、全てを忘れて高校に進学し生活を楽しんでいるのに、進学校に進む予定だった少女はスーパーでキュウリを詰め、家での居場所も失くす、この不公平感。
優良企業に勤める同僚同士の夫婦、子供が出来ずに望んだ特別養子縁組の条件は、夫婦のどちらかが育児に専念すること。妻は仕事を辞める。どちらかがと言われて、恐らく収入の多いであろう夫が仕事を続けるのは合理的判断ではあるが、なぜ夫の、男性の収入が多い設定に社会そのものがなっているのか。
なぜ、夫は子供も仕事も両方手にして、妻は仕事を手放さなければならなかったのか。
どうしても引っ掛かる。
そしてたぶんこの映画のテーマのひとつは「女って、女ってだけで割を食ってるんだよなあ」なんだと思う。
自分の居場所を失くした少女がなぜあんなことをしたのかわかる気がする。
居場所を失った少女が、最後に拠り所にしたのは子供だった。
そして、それを子供の養母が理解できたのも、ある意味必然だったのだろう。
エンドロールの歌で、「これここに持ってきやがって鬼か(誉め言葉)」とうるうるしていたが、エンドロールの最後の最後で涙腺決壊。
彼女の居場所が、ちゃんと彼の中にあって良かった。
テーマや取り上げ方は良いが・・・
子どもに恵まれなかった夫婦に養子を斡旋し、子育てを始める。そこで起こる典型的子育ての苦悩、養子だと周囲に伝えておくという苦悩を乗り越えて幸せな日々を送っていたが、ある日産みの母親が子どもを返して欲しい・できないならお金が欲しいと要求してくる。
通常だと、養子に迎えた幸せの家庭を描くことが中心となってくるが、さまざまな事情で育てられない母親側の苦悩やその周囲の苦悩まで描かれているのは新鮮である。
産みの母親がお金を要求するのは、同僚の借金の保証人になってその返済に困ったからではないか、と安直に想像できるが、それだけではない産みの母親が子どもに会いたいという思いも乗せてぱっと見では意味不明とも思える行動をとったのではないかと思える。
すべての俳優が本当の家族、心底苦悩する、というのが痛いほど伝わる演技で見入ってしまう。
と、ここまでは通常の感想。
河瀬直美監督お得意の風景、特に木々に風が当たっているような場面が転換時や何か気持ちを表すかのように入っている。効果的に入れるのであれば良いが、それが多用されると「今度は何の気持ちが投影してんの?」とツッコミたくなり、げんなりしてくる。
育てられない母親の経済状況、生活状況は決して良くないだろうというのは想像できるが、進学せずに落ちぶれていき、ちょっとグレ気味の風貌になるのは一昔前のような印象が拭えない。借金の保証人に知らないうちにさせられているのも一昔前によくあった設定。産みの母親の側を描くことはとてもよい視点だけにもったいない。原作は読んでいないが、設定がそうであったなら、脚本で現代の設定に置き換えるべきだろう。
警察が事情聴取で来たのを最後に持ってきて引っ張ったものの、捜索人のことで聞きたいという薄っぺらい内容はちょっとがっかり。もっと深いものがあれば展開としてよかったのに残念。最後の展開で2人の母親と子どもが会うシーンで終わるが、養子先の住所を簡単に見られてしまうという初歩的ミスからのもので、そう考えると感動が半減してしまった。
作品の取り上げ方はいいのに、いくつか残念な点が見え隠れした。次回作も風景が要所要所にはいるのだろうか。
彼女にお金が必要な理由
【登場人物】
・妻
・夫
・息子(養子)……幼稚園児
・実母
【映画の構成】
前半……東京の夫婦が養子縁組を行うまで
後半……奈良の14歳少女が出産し、子供を養子に出す。家出した彼女は東京で困窮した生活を送る
【映画のポイント】 「14歳で出産しただけ」で、女性のその後の人生が決定づけられてしまう。そのような旧来的社会設計の問題点が浮かび上がってくる。
だから彼女は、「子供を返して」だけではなく「お金をちょうだい」とも言わざるを得ないのだ。
【映画の構成について】 映画の大半が、過去の回想によって占められている。現在で起こる出来事は、たった2つ。
①ジャングルジム事件……養子の息子が他の園児をジャングルジムから落としたのではないか?という疑惑が生じる
②養子の実母が「息子を返してほしい」と夫婦に連絡してくる
・
・
・
【あらすじ:前半】
職場結婚をした夫婦。夫は「家族がほしい」と言うが、検査の結果「無精子症」であることが判明。睾丸内で精子は生成されているが、精管が詰まっている可能性が考えられた。そのため睾丸を切開し精子を取り出す手術を予約。だが夫は手術に踏み切ることができず、不妊治療を諦める。
妻は、そんな夫に対し「2人で生きよう」と声をかける。
それでも夫は子供を持つことにこだわり、養子縁組の利用を考える。妻も同調。養子縁組仲介のNPO法人「ベビーバトン」を通して1人の男の子を授かる。
ここで養子縁組の条件は
①真実告知:養子に対し、小学校入学前に実母の存在を告知すること
②共働きはNG
そのため妻は会社を辞め、専業主婦となる。
経済的な負担はそこまででもなく、タワマン30Fに住み、外車を所有していた。
息子はすくすくと育ち、現在幼稚園児。まもなく小学校入学を迎える。
2歳のときすでに真実告知を済ませ、周囲からも養子としての理解は得ていた。
そんなある日、自宅にかかってきた電話から、「子供を返してほしい」「それかお金をください」という言葉が聞こえてくる。
★妻は、夫を気遣い、基本的には黙って付き従うか同調するのみで、本人の意思がセリフに表れてこない。妻の側から、夫に行動を促したり希望を伝えたりすることがない。(妻の要望が私は知りたい)
★夫が子供を持つことにこだわるモチベーションは何?子供を持つことが、妻と一緒にいる条件だと思っていた?
★妻もきっと子供は欲しいのに、どうして「2人で生きていこう」と言えてしまうんだろう
・
・
・
【あらすじ:後半部】
奈良で暮らす中学生のひかり。バスケ部の彼氏ができるが、妊娠してしまう。妊娠判明時点ですでに、堕胎可能な期間を過ぎていた。そこで両親は、生まれてくる赤子を養子へ出すことに決める。その仲介役となるのが「ベビーバトン」だった。
広島県内にあるベビーバトン所有施設で、ひかりは、出産を待つまでのあいだ寮生活を送った。
出産後。実家に帰るひかり。姉は奈良学園(県内トップの私立進学校)へ進学し、京都大学を目指して受験勉強していた。
両親のひかりに対する期待も、姉と同様の進路を取ることだった。だがひかりは姉と同じ道はとらなかった。
近所の食材販売店でアルバイトする彼女。ある日親戚の放った一言が決め手となって、家出する。
東京では新聞配達のバイトを行うが、同僚が借金取りに追われ、書類を偽造し、ひかりを連帯保証人にして夜逃げしてしまう。借金を負わされた彼女は上司からお金を借りて返済する。
追い詰められた彼女は、自分の息子の里親に連絡し、「子供を返すか、お金をちょうだい」と要求するのだった。
(本来里親の連絡先を実母が知ることはない。ひかりは家出した途中で居候したベビーバトンの寮で書類を盗み見た)
★妊娠させた彼氏は何事もなく高校へ上がっている。「産ませた」側がリスクを背負っていない。(コンドームを装着するだけでよかったのではないか?とも思うが、初潮を迎えていなかったという事情が設定されている)
・
・
・
【物語の大半は回想】
物語の大半は、夫婦視点での過去、実母視点での過去と回想によって占められており、現在の出来事ではない。
唯一現在進行形なのは、ジャングルジム事件と、実母訪問のみである。
【メモ】
・単に「子供を返して」だけではなく、「お金をちょうだい」と言わざるを得なかったのはなぜなのか。だって物語は、電話で要求するところで終わるから。ひかりが夫妻を訪問したところで終わるから。その先の展開がないから。それなのにどうして、作者はお金を要求させたの?
・ひかりの妊娠は、否定的には描かれていない。純粋な愛の結末。幸せの頂点。肯定的かはわからないし、ましてや推奨はしていない。ただ幸せな結果として初めての性交をしている。
・妊娠自体に罪があるのではない。養育という実際的な問題だ(費用の用意と、養育者の確保)。および現在「誰もが歩むべき」とされる小中高大就職という理想的な進路のなかに養育費用・時間確保の期間が組み込まれ得ないこと(何歳でこれをやらなければいけない、と決まっていること)。そのような旧来的社会設計を規範化した人々が、「ハズレ」た個人を疎外すること。「こんな社会だったらいいのに」という個々人の願いだけでは環境を変えられないこと。「みんな同じ生き方をするべき」という前提。
・そんな前提を受け容れられなかったひかり。受験には間に合ったかも知れない……姉と同じように進学校に合格し、有名大学へ行けたかも知れない。でもそれは、出産した自分を疎外する人々の側に立つことだ。
・映画のテーマ『アサトヒカリ』
・ジャングルジム事件の必要性→子供の発言の真偽を見極めようとするとき、我が子が「本当の子供」であるかどうかに考えがおよぶ。それがマイナスに働くと、子供に嘘をつかせたり、謝らせたり、という方向にはたらく。(そうして子供がグレていく)だが今回は、そうなる前に、我が子の発言が真実であるとわかった。
・子作りに関して、妻の感情が隠されている。本当は子供が欲しいんじゃないの?離婚はしないの?妻は、基本的に肯定するだけ。主体的に夫を引っ張ったり、行動を促すという描写がされない。もっと彼女の考えが知りたい。妻の感情が溢れるのはラスト。
・産めなかった母と産んだ母との邂逅。妻は、前述のような社会規範に従ったにもかかわらず、産めなかった。産んだ母親は規範からハズれてしまった。
・みんな演技がめちゃめちゃ上手い。邦画アレルギーが解消された
・井浦新の酔いどれ演技が神がかっている。(子供らしくおどおどしたり、家族が欲しいと建前ぶちあげたり、実母に対峙したときは頼りがいがあったり。典型的な男の子って感じだ)
・新聞配達の事業所の店長の涙の演技がいい
・子役が神
ラストは劇場で観てください。
ラストと随所に入る主題歌が釈然とせず
独特のドキュメンタリータッチな演出方法が秀逸で、特にベビーバトンの特集は、どこかから拝借してきたのかなと思うくらいリアリティがあった。
特に母役の永作博美さんやベビーバトン代表役の浅田美代子さんも素晴らしかった。
養子縁組側からの描き方と実の母側からの描き方が均等だったのは良かった。
しかし、最後の互いに交わした『ごめんなさい』には私自身はあまり理解できなかった。
まず養子縁組の母からは何一つ謝る事はないのかな、と思う。
実の母が急に訪ねてきたのを疑ってしまった事に対してか。
手紙に書いた後、消された『なかったことにしないで』と言う言葉をわかってあげなかったからか。
もしくは幼稚園で他の子とトラブルになった時、少しでも子供に対して疑いを持ってしまった事への
罪悪感か。
いずれにしても実の母に対する『ごめんなさい』は必要あったのかな、と個人的には理解できなかった。
また実の母が同僚に裏切られて金銭的に苦労している故、実の子を理由にお金を要求するわけだが、そのシーンももっと汚く描いても良いかなと思った。
意外とあっさり引いたし、泥臭くないし、あまりに美化されていたような気がする。
あと、主題歌をあんな何回も使う必要があったのか。
何度も劇中でかかるため、歌詞をちゃんと聞いてみたのだが、
それほど映画にズバッと来る感じでもなかった。
皮肉ながら少し前に観た『糸』という作品がかぶってしまい、
それと比べると、正直インパクトもなかった。
それに最後に子供に歌わせるのは正直安易と感じた。
私の敬愛する映画評論家さんたちも高評価していたが、
イマイチ私の心にぐっと来るものはなかった。
そんな映画もあるよね。
里親から観た「朝が来る」
特別養子縁組で2人の子どもを現在進行形で
育てています。また、辻村深月さんの原作も
読んでいました。
河瀬監督作品はあまり多くは観てませんが、
ドキュメンタリータッチの映像作家のイメージが
強かったので、この原作を映画化すると
聞いた時はかなり意外で驚きました。
映画を観ての感想は、想像以上に原作に忠実
だと思いました。そして里親としては佐都子
夫婦にどうしても感情移入してしまいます。
不妊治療から里親へとつながる葛藤、苦悩は
多くの里親に共通する体験であり、共感できる
ものだと思います。
ベビーバトンなる養子縁組斡旋のNPO団体も
里親なら知らない人は居ないのではないか
というほど有名な団体がモデルですが、私も以前
この団体の面接を受けたりしたことがあるので
かなりリアルというか、そのままだったので
正直驚きました。
原作同様、後半のひかりのストーリーに
より多くウェイトが置かれて、原作よりかは
マイルドになっているとはいえ、転落して
いく悲惨さがかなり痛々しいながら、
なんとか踏ん張っているひかりの姿を
好演していたと思いました。
(個人的にはひかりがお腹の子どもにちびたんと
名付けて呼んでいたところは泣けました)
最後、原作のラストで佐都子、ひかりが
朝斗の存在により結びつき浄化される様を
どのように演出するかと思いましたが、
エンドロールの最後の「会いたかった」の一言で
表現したのは見事でした。
映画としても素晴らしいのですが、この作品を
通して特別養子縁組や社会養護への
理解が深まるよう願っています。
ラストカットで十分伝わる! あざといエンドロールで一気に浅ましく見える作品
特別養子縁組について、自分自身あまり知識があるほうではなかったので、予告編で一気に興味を持って鑑賞。「望み」「星の子」など、家族の在り方を問う邦画がどんどん出てきている中で、高い期待値を持ってみました。
この監督の作品は恥ずかしながら見たことがなかったんですが、セリフに頼らない演出が本当に素敵だなと思いました。オープニング、すっごく不穏な感じがする波音とおそらく出産中の母親の声と思われる音を重ねていく演出。本来この世に生を受けるというのは明るい未来に希望を見出しがちですが、最近はやりの「望まれていない妊娠」により、生まれた時から行き場が狭い子供もいるんだということを暗に提示しているようで素晴らしいと思いました。
前半は、特別養子縁組を受けることになった夫婦の妊活について丁寧に描かれていました。やっぱり夫婦って子どもが欲しいものなんだなと改めて思ったり。 面白いと思ったのは、この夫婦が特別養子縁組について知ることになったのが、初めてデートした宇都宮の旅館でたまたま見たテレビという設定です。初めて出会った時から、子供を作ることが難しいという運命を実は背負っていたという地で、新たな視点を提示するというのが良いなと思いました。物語の後半にも特別養子縁組に出すいわゆる「望んでいない妊娠」をする母親の想いは、基本的にこの作品ではドキュメンタリー番組のインタビュー形式で描かれていて、フィクションとノンフィクションの狭間を上手くついてくる粋な演出だと思いました。
後半は、特別養子縁組に出す側の視点で、どうして「子供を返してほしい」という思いに至ったのかが描かれていきます。このパートは本当に「蒔田 彩珠劇場」という感じで、非常に繊細な演技をされていました。剛力彩芽にも似ている、福田麻由子にも似ている、どこか素朴なようにも見えてどこか異物感のある佇まいが、素晴らしかったですね。中学生で妊娠したということで、家族親戚からも腫れもの扱いされて涙するシーンは名演だと思いました。この妊娠を、私が産んだという事実をなかったことにはして欲しくない。実際問題育てられる能力もお金もない中で、タワーマンションで子供が順調に誠実に育っていく写真を見せられると、絶望的な気持ちになるよな…これを「絶望的です」と言わずに、演技と音楽と光と影の演出の仕方で示すこの映画の構造は本当に自分好みです。
ラストカット、ちょっと偶然が過ぎるなと思ったのですが、再会します。ここで言う「ごめんなさい」の重み。結果的にお互い謝り合ってるんですが、「ごめんなさい」の意味が全然違うんですよね。
書きながら思ったのですが、永作博美演じる継母は、息子が友達をジャングルジムから突き落としたという幼稚園での報告を信じてしまうのですが、最終的に友達が自分から飛び降りていたということが発覚します。このシーンで継母が感じた思いをフィードバックさせながらラストカットを見ると、非常に感動的です。そこで子役のニコッとするラストカット。完璧。余韻を楽しませてくれー・・・
と思ってエンドロールなんですが、非常に残念でした。これでこの作品の評価がガタ落ちしてしまいました。 そもそもこの主題歌自体が非常に浅薄な歌詞だなと思ってたのですが、この曲は実母と継母どちらの世界にも生きていて、頻繁に劇中でも歌われていて、まぁ多少意味があるかなと思ったのですが… 曲の最後、子役にサビを歌わせるんですよね。もっと上手に歌えるはずなのに、絶妙に音程を外させて。これはあざとい。そして最後に一言「会いたかった。」これは蛇足だろ…言わなくても表情でちゃんと伝わってるのに… これがないと良くないと思ってしまうぐらい見る側の読解力を信頼してないのかよと思いました。でもほかの人のレビューを見ると、「会いたかった。」で号泣したというものも多く、はっきり言わないとダメなんだ…と少し残念になりました。
あと、一つ気になってたのが家にあるハッピーバースデーの飾り付けがなんであんなに不穏な感じで曲がってたのかなということ。あれがおしゃれなのか、それとも単に上手くいかないことのメタファーだったのかわからないまま終わってしまいました。
ということで、全体的に好きな作品だったのですが、エンドロールの最後が完全に蛇足だなと思いましたし、演出が浅ましいと思いました。
家族へのみち
上映中
もし、身近に彼女がいたら
どうすれば、
どう接すれば
彼女の生き方に
軌道修正できるのか
ずっと考えてました。
周りと違う体験をすれば
世界観が広がり
自ずと考え方が成熟し
体験の少ない人達の
言動が浅く思えてしまう。
そうだろうな…
だけど、
決定的に心を許せなくなったのが
なんなのかを消化できずに
見守っていたら、
答えは、劇中で消された文字が
語っていました。
無くならない無くしたくない思い。
人に何を言われようと
あの時、信じた感情は
誰にも否定されたくない
神聖な気持ち。
そういう思いを大切に
引き出しに入れて
人は生きていける。
歳を重ねて、妥協や計算で
失っていくものの一つでは
ないでしょうか。
そういう経験がない人も
いるでしょう。
ひかりが自分に起こったことを
肯定しているからこそ、
両親の対応が残念。
正解がない生き方において
せめて、彼女のように
自分の生み出した事を
正しいと思いたい。
それを
世間体が悪くても、隠蔽せずに
応援する環境を少しでも
つくるのがよかったんだろうな
とも。
どこまでも彼女に非情な
ストーリーですが、
最後
朝斗の育ての親の対応と
エンドロールの言葉に救われました。
それを糧に生きれるだろうか…
新しい家族として。
物事を違う視点から見ることはやはり大事だと痛感
『あなたは誰ですか…?』
そう私も感じた。
そして、探った。
あのひと時を過ごした家にいた旧友ではないか。
黄色のパーカー着ていたし、ロングヘアだし。
あ、一緒に暮らした借金取りに追われている親友か。
黄色のジャケットだし、ロングヘアだし。
だが、違った。
訪ねてきた人は疑う余地もなく、あの子だった。
私は反省した。
永作博美の視点から見過ぎていたのだ。
彼女の5年間の変化に気づいた時、私は涙をしていた。
そしてその背景を我々鑑賞者ほどは知らずとも、永作博美も涙した。彼女の「その後の」人生を推し量ったのだと思う。
そして、彼女自身も広くて綺麗な家でおもちゃもたくさん与えられ、大切に育てられている子供に対して介入するべきではないのだと知る。
両者とも何も悪くない。
そして、子供にも無論罪はないのだ。
悪いのは避妊せず逃げたクソ男…と思いたいが
ここで私は考えてみた。
違う視点から見てみよう…
この男も中学生。友人に囲まれ、高校受験を控え、大学も行き社会人になるのだ。
そして、その中でひと時の恋をするのだ。
避妊しなかったのは悪い、そして泣きながら逃げた。
その事実は変わらない。そのせいで女は1人、荒んで生きることになったのだから。
しかし、彼にも生活があり、人生があるのだ。
彼のその後なんて知る由もないがまた彼の視点から見た話が頭の中で膨らんでいく。それも映画の醍醐味だと気づいた。
挿入歌と主題歌がいい具合にマッチしていたこと。
『命』を表すように、森や川や木々や鹿や夕陽、そして朝陽。
殆ど顔のアップしか映らない登場人物達。
なんて素敵な監督なんだろう。
明日見る朝陽はきっと格別だ。
とても綺麗な作品だった。
そして辻村さん。ありがとう。
貧困まっしぐらひかり
原作を読んでいないのだが、予告で幸せそうな家族に『子供を返してほしいんです』と一報が入る所を観て、どういう話なんだろうと期待が膨らんだ。ワクワクして鑑賞したのたが、期待外れであった。
主役は永作博美。正直いってかなり老けた。老けたと言っても、美人だしキレイなんだけども。ASAYANの頃から20年も経ったのか。
(´Д` )
映画の展開は①栗原家がひかりと面会するまで②栗原家過去(養子を貰うことになった経緯)③ひかりの過去(子供を出産し養子として出す背景)④栗原家がひかりと面会してから、の4構成。
②と③が長く感じた。そこまで深堀する必要があるのか?と思った。
離婚せずに夫に付き添ったことが必ずしも正解ではないので、出産したい意思のある女性は離婚して良いと思う。
未成年出産したひかりの転落ぶりが、絵に書いたようで偏見に感じた。どんどん落ちていく。
ひかりが転落していく一方で、朝斗は栗原家で幸せに育つから、朝斗にとっては養子で育って良かったのかな。経済力は大事だと痛感する。
映画の最後に朝斗がひかりを見つめてエンドロールに入るのだが、エンドロールの最後に朝斗が『会いたかった』とセリフが入る。ここで、ひかりを見つめていた朝斗がどういう感情を持っているかが明かされるので、最後まで席を立たずに観た方が良いと思う。
冒頭の子供がジャングルジムでケガした話は必要だったのかな?佐都子が朝斗を信じていることを伝えたいのかな?それにしても、治療費払えみたいな面倒ないざこざがあるんだなと感じた。
ベビーバトンにいる時に、急に役者がカメラに向かって話し出した。急で違和感があった。
■ストーリーザックり
永作博美が演じるのは、栗原佐都子。職場結婚なので夫、栗原清和(井浦新)は同僚だ。清和は無精子症であったため、栗原家には子供が出来なかった。そこで、ベビーバトンという特別養子縁組を行う団体から養子を貰うことにする。特別養子縁組すると、実母と子供との親子関係は完全に切られる。特別養子縁組の準備としては、子供の性別を選べないので、男の子、女の子の両方の名前を用意しておく必要がある。母親は専業主婦となることが条件である。このため、佐都子は会社を辞めている。また、養子を迎え入れたとしても、小学校に上がる前には子供に実の母親では無いことを伝えなければならない。
養子となったのは、朝斗。実母は片倉ひかり(蒔田彩珠)である。ひかりは中学生の時に、バスケットボール部の男子と交際し妊娠してしまった。家族から猛反対を受け、学校を休んでベビーバトンの団体の下で出産し、養父母となる栗原家に朝斗を授けた。
数年が経ち、幸せそうな栗原家に片倉ひかりから電話が掛かってくる。電話を取った佐都子に『子供を返してほしいんです、返してくれなければ子供が養子であることを暴露します。暴露が嫌ならお金をください』と伝える。
(セリフは適当。こんなニュアンス。)
佐都子は一度対面で会話しようと、自宅にひかりを呼んだ。佐都子と清和の前にひかりが現れるのだが、佐都子たちには目の前に現れた女性がとてもひかり本人に思えず別人だと判断した。また、子供が養子であることは周囲に隠していないので、脅迫にすらなっていないと伝える。
3人の会話が終わると、朝斗が帰ってくる。ひかりは泣きながら『私は朝斗の母親でない』と話し、どこかへ行ってしまう。
佐都子の下にひかりの行方を探す警察がやってくる。佐都子は警察の持つ写真を見て、面会していた相手がひかりであったことに気付く。
佐都子は朝斗を連れてひかりに再会する。朝斗はひかりに『会いたかった』と伝える。
評価は4.0超4.5未満
双方の事情心情が描かれていました。とりわけ産む側を取りまく周囲、そこに至るまでの経緯が過剰ではなくほどよくい描かれており、それぞれの立場、状況を考えさせられました。
先日、鑑賞した”望み”といい、当事者だけではなくその周囲の心情や環境なども描かれていると、鑑賞後にずしっときます。
(加筆)
劇中に、養子を受け入れるにあたり、”両親のどちらかが仕事を辞めて専業になること”が条件にありました。共働の夫婦の妻が時短勤務+両親の協力が得られても考慮してもらえないのかと問うと、子供のために外せない条件と回答していたのが、もやっとして頂けなかった。
それと、産む側の少女が”あれもこれも持っている人が、子供まで手に入れて…”というようなセリフがあり、格差社会も描きたかったのかなぁとも思いました。
佐都子はひかりも受け留めた 救われるべきはひかりだったのだと思う 現実には極めて困難なことであるが 特別養子縁組制度は果たして完璧な制度なのか?
不妊症治療を諦めた夫婦と堕胎できない週数まで妊娠に気が付かなかった?中学生をつないだ特別養子縁組制度を描いた139分。
普通の養子縁組とは違って、子供限定で、生みの親とは戸籍の親子関係が永久になくなる制度。1986年から施行。2020年4月に改正され、6歳未満限定だったのが、15歳まで拡大された。児童虐待問題の解決策として期待されているのであろう。
この制度は公の機関(児童養護施設や児童相談所)だけではマンパワーの点で実施困難なため、民間斡旋団体や医療機関に委託され、それらが担うようになってきて、育てられない事情がある実母と不妊症治療を諦めた夫婦の間で、この話のように生まれる前から養親と子供のマッチングがなされることが多い。運営費や実母の生活費としてかなりの金銭的負担を養親側に求めることも普通。しかし、親同士を直接会わせたり、実母が養父母の個人情報を得ることはないと思う。浅見(浅田美代子)はそうした縛りなく、親同士を直接会わせたり、名前も養親側が好きに付けられるとか、小学校入学までに産みの親がいることを告知しないといけないと言う。
「なかったことにしないで」
実母との親子関係は戸籍上はなくなる。しかし、戸籍の記述が抹消されてしまうとは考えにくいのだが、実母が子供の養父母を探せないように転出記録も抹消されるのだろうか?それならば「なかったことにしないで」は納得できる。
もうひとつのひかりが言いたい「なかったことにしないで」は自分が人を好きになって、妊娠したことを「なかったことにしないで」だ。
ひかりの家庭は充分経済的にも恵まれているし、ひかりの両親も健在だ。決して子供を育てられないわけではないと思う。本人の就学の機会を奪うという理由が最優先される裁定だが、ひかりは家族から疎外され、親戚の家での場面にあるように親の世間体が最も優先され、結局、不登校となり家出することになってしまう。なんだか、赤ちゃんより、本当に救われるべきはひかり自身なのではないのか。
そういうことであれば、最後の場面はひかりを救ったのは佐都子であり、佐都子によりひかりは人生をやり直す機会をもらった。
実家の人間にはできなかったことだ。
【朝が来た】
朝斗とひかりに一緒に朝の光が来る制度でなければならない。
昨年の映画【夕陽のあと】も鹿児島の島の漁村が舞台だった。この映画でも浅見の妊娠中の少女の面倒を見るのは瀬戸内海の島だった。夕陽のあとをリスペクトした設定であって欲しいと思った。だか、民間斡旋団体の介入はさまざまな問題がある。本来は公の機関が責任を持ってあたるべきだと思う。仲介業や斡旋業界のメリットが優先されると、利用者はそれに振り回されることになるからだ。
「夕陽のあと」も朝が来た」も、現実にはあり得ないこと。だが、親同士が直接会って、互いの心情がぶつけられる。それにより観たものは心を揺さぶられる。朝が来たはひかりが未成年で、ひかりの親の都合で進められることにも注意する必要があると思う。
キネカ大森や新文芸座、チュプキ田端などでのでの二本立て再上映が組まれることを期待したい。
あの時どんな思いだったのか
特別養子縁組の支援団体、”ベビーバトン”、養親に課される主な条件は二つ。
①子供の小学校入学までに、養親であることを必ず告知すること。
②養親のどちらかが子供の養育に専念すること。
①については理解できますが、②については、要するに専業主婦(夫)になれという事なので、時代遅れな気がしますが、実際そういう条件を付ける団体はあるそうです。
また、本作では、特別養子縁組した子供を実親に返す事は出来ないとなっていますが、自治体や団体によっては、実親が引き取りを希望し、その方が子供の幸せになると判断された場合、返さなければならないという方針を取っているところもあります。
本作は最初のうち、説明がくどくてつまらないと感じました。夫婦の会話はそれほど面白くなく、中学生の恋愛は、どうしてそんなに好きなのか分からず、やたらいちゃついていて話が中々進まないのです。
夫と同僚の居酒屋シーンは好きです。
でも、ひかりの妊娠が判明し、夫婦が養子を迎えようと決心してからは、丁寧な描写が逆にとても良かったです。景色、音、光、起こった事柄をじっくり描きます。ひかりが見て、聞いて、感じたことをこちらも追体験しているようでした。母親の葛藤なども共感できます。
朝斗が来てから夫婦の絆は一層強まり、ひかりが関わることでそれぞれがより成長していく、そんな良い映画でした。
ただ、時間が長すぎです。採石場のシーンは要らないと思ったし、十代のラブシーンを延々見せられるのは辟易しました。たとえ彼らが14歳でなく、18歳だったとしても、です、
物語もいいが、ショットの数々が素晴らしい。
物語も素晴らしく涙がとまらなかったのだけれど、この映画本当に映像が素晴らしい。それも映像の流れとつながりが観ていて気持ちいい。この作品では河瀬監督自らが撮影を担当しているのだけれど、もともとショットにこだわる監督だったのだけれど、ここまで見事にみせてくれるとは思わなかった。「あん」(2015)の冒頭の桜のシーンあたりから、それまで培ってきたものが一気に熟成しちゃった感じ。前半は栗原夫婦のアップが中心なのだけれど、途中から回顧シーンが挿入されるにつれて、モンタージュ手法の映像の挿入が増えてくる。風、海、遠景の山の稜線、サンセット前の太陽。途中から登場人物たちが心象風景に溶け込んで、映像に語らせているんだよね。今、日本で一番映像で魅せる監督なんじゃないかな。2020年のカンヌ国際映画祭が通常通り開催されていれば、審査員によっては、パルムドールかグランプリが受賞できたかもしれない。栗原夫婦を演じた永作博美、井浦新の演技はさすが。女性の顔だちの変化する表現も素晴らしくて、浅田美代子、蒔田彩珠の「変化」も素晴らしかった。
親の愛情とは。
川瀬監督ならではのテンポは健在。命のバトンによって繋がれた2人の母親、そして命のバトンに身を寄せ子供を手放す親のそれぞれの感情がじわじわと押し寄せる。栗原親子に引き取られた朝人は産みの親でなくとも環境的にも幸せに見えるし、ちゃんと養子縁組であることを小さいときから本人にも周りにも伝えているのが、すごいと思った。
子供が恵まれないとわかったときの佐渡都子の台詞も力強くて素敵。
河瀬作品には珍しく、辻村深月による同名小説が原作(未読)。 201...
河瀬作品には珍しく、辻村深月による同名小説が原作(未読)。
2016年には、東海テレビによってドラマ化されているが、これも未見。
清和(井浦新)と佐都子(永作博美)の栗原夫妻には、朝斗(佐藤令旺)という幼稚園児の息子がいる。
清和と佐都子は長年、不妊治療を行ってきたが、清和が無精子症であることが判明し、高度な医療技術を試みても、ふたりの間に子を生すことはできなかった。
そんなふたりの間の息子・朝斗は、特別養子縁組で得た子どもだった。
幸せな生活を送っていた栗原家に、ある日、生みの母・片倉ひかりを名乗る女性から電話がかかってくる。
「子どもを返してほしい、それが駄目ならお金をください」と。
しかし、ふたりが知る片倉ひかり(蒔田彩珠)は、中学生の少女だったが、現れたのは似ても似つかぬ姿の女性だった・・・
という物語で、ふたりの前に現れた女性が本当に生みの母の女性なのか、別人ならば誰か、ひかりならば何故彼女は変わってしまったのか、というあたりがミステリー的な要素。
映画は一週間かそこいらの短い現在時制を中心としているが、そこに3つの過去の物語を挿入していきます。
ひとつ目は、栗原夫妻の不妊治療の苦闘と、特別養子縁組で子どもを手にするまで。
ふたつ目は、奈良の田舎の中学で同級生と恋に落ちたひかりが、子どもを産み、子どもを手放すまで。
みっつ目は、子どもを手放したひかりのその後。
ということで、こう書くと、栗原夫妻の前に現れた女性がひかりだとわかってしまうが、みっつ目の過去シーンで、「もしかしたら、こいつがひかりになりすましているのでは?」と思わせるような女性も登場します。
ただし、小説としてのミステリーならば、ひかり本人かどうか、というのは興味をひっぱる要素であるけれども、映画的には、その要素は余計な感じで、ふたりのもとを訪ねてきた女性の横顔を先にチラリと見せて、「なぜ変わってしまったか」だけに焦点をあてるほうがわかりやすかったでしょう。
興味深かったのは、夫妻の不妊治療のエピソードと、妊娠したひかりが両親の紹介で、特別養子縁組を斡旋するNGO施設で共同生活をするエピソード。
不妊治療のエピソードでは、是が非でも子どもを欲しいふたりの気持ちと、無理とわかった時の諦め、そして、特別養子縁組でみえてくる希望が、井浦新と永作博美のふたりをとおして切実に感じましたし、出産まで過ごす施設では、出産後に育てられないとわかっている無念さをもつひかりと、それとは逆に望まぬ妊娠をしてしまい、早くせいせいしたいと思っている女性たちとの対比が興味深かったです。
河瀬演出は、風景による心情の代弁と、逆光や単焦点で映し出される人物描写で、目にみえない内面を観る側に想像させるという手法をとっています。
が、全編が同じ調子なので、映画でかなりの尺がとられている、ひかりの恋愛描写や出産後のひかりの行動は、あまり目新しいところがなく、演出でのメリハリが効いておらず、かえってまだるっこしくなったところも多かったように感じました。
養子縁組では、養子にその事実が告げられているのかどうかもひとつの重要なキーとなることが多いのですが、この映画では、斡旋するNGOが本人への告知を斡旋の条件として挙げています。
朝斗本人もそのことは理解しており、それがエンディングでの泣かせる一言へつながるのですが、現在のシーンを描く早い段階で、観客にもわかるように描いていたほうがよかったかもしれません。
現在シーンでは、朝斗が幼稚園の友だちを遊具から突き落とした/落としていない、というエピソードが描かれるのですが、その中で、ちらりと養子バイアス(偏見)のようなものを織り込むなどで。
と、いくつか不満な点もあるのですが、2時間20分ちかい長尺を見せ切るのですから、力作といえるでしょう。
俳優陣では、井浦新と永作博美のふたりが素晴らしいですが、NGOを主宰者役の浅田美代子の存在感も特筆。
ひかり役の蒔田彩珠も力演ですが、びっくりしたのは、彼女が『萌の朱雀』でデビューした頃の尾野真千子にそっくりなこと。
監督の役者に対する嗜好は、あまり変わらないということでしょうか。
やっぱり愛でした
無精子症状の夫が原因で、子供を持てないと諦めかけていた夫婦が特別養子縁組で子供中。夫婦仲も良く収入もあるので、子供は何不自由なく成長する。
一方で純粋に好き同士でも、中学生には妊娠しても育てるのは無理なので、赤ちゃんを他人に託す少女。
どんどん高層化マンションの立ち並ぶ東京に比べ、広島の孤島の海や空気感の違い。所々の季節の描写も、美しく見えたり、不安を案じさせたりで引き込まれる。
何度も目頭がツーンとなり、ラスト、救いがあって良かったです。エンドロールの最後の最後まで席を立たないで観てください。
全79件中、41~60件目を表示