朝が来るのレビュー・感想・評価
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奈良学園?
実親と里親とは完全に接触を断つべきではないのか?と引き渡しのシーンで違和感を感じ、それが最後まで続いた。共働きはNGという規定にも疑問があったところ。育休取って良しといった制度にしたいところ。
しかし、養子縁組制度のあり方について論じているようではなさそう。むしろ、寄る方ない少女の救済論のように思える。蒔田彩珠の荒んだ表情と穏やかな表情の落差が良い。おじさんに切れた時の揮発性は思春期らしい演出。びんたで応酬した中島ひろ子も際立つ演技。同じく荒んだ少女役の森田想にも好感。
少し長いが、演出、演技は充実していると思う。しかし、制度的にはそのような着地は無理があるし、True Fatherの方は全く触れないというのも偏りがあるように思える。
何故実在の学校名を使うのか?理由がよく分からぬ。
映像化への感謝
原作ファンとして、また辻村深月のファンとして、最初映画化されることを知った時、正直複雑な気持ちでした。なぜこんなにも完成された文学作品を映像化する必要があるのかと。
「なかったことにしないで」
ひかりの手紙の中に隠されたこの言葉に佐都子が気づくこの重要なシーンは原作にはなかった場面である一方、この言葉を手紙に綴るシーンは映画には無く原作だけ描かれていた場面であることに気づかされ、原作と映像作品のそれぞれが繋がって演出されていることに驚かされました。
監督が原作を大切にしながら映像作品に残そうとされている心が伝わり、原作ファンとして強く感動されられました。
期待と不安の中で公開初日に映画館に行きましたが、観終わった後、映像作品としてここまで感動できるものを公開してくださったことに感謝です。
素晴らしい作品
ドキュメンタリー
映画というよりドキュメンタリーのほうが近いように感じた。あとから知ったことだが劇中にでてくる人は本当の人物(役者じゃなく素人)を使っていたことがわかった。
そのおかげもあってカメラワークが本当のことのように感じ、見入ってしまった。
永作からも実のは母親からの視点も良かった。
ただチンピラが出てきたりちょっと強引な部分も多く感じた。
最後のエンドロールはネタバレで知ったのでもう少し先に流して欲しかったです。
2本立て2本目。川瀬監督作品、しかも高評価。邦画初勝利の予感。 幼...
2本立て2本目。川瀬監督作品、しかも高評価。邦画初勝利の予感。
幼稚園事件、ありそう、緊張感漂う。
遡って不妊治療から養子縁組へ。うちも不妊治療の子です。養子までは考えなかったなぁ、人様の子を愛せる自信がはなからなかった。
養子を受け取る際、「母親に会いますか」ここで一気に冷めた。米国🇺🇸などでは産む側と育てる側との非接触は常識。浅田美代子が所長だから(笑)では済まされません。
しかもここからドキュメンタリータッチの映像が続き、かえって嘘臭さは増幅するばかり。主人公は産んだ中学生に交代です。永作はどこいった!状態です。
エンディングもまた不思議。金まで要求されたただただ邪魔な産んだ側に理解を示せます?
極め付けはエンドロール最後、ただただ寒かった、怖かった。
私的採点ではここまでのハズレは久しぶりでした。朝ドラモネの妹は素晴らしい演技なのに残念至極。
日韓対決は残念だけど今回も韓国の勝利でした。
免罪符系ホラー
河瀬直美には、なんかがあるような気がしていた。
寡作な印象があるが、wikiページを見ると1992年から年一ペースで、映画をつくっている。すごいキャリア、かつ多作だと思う。
ただ、作風が地味なので、公開規模は狭かったと思われる。
カンヌをとった殯の森(2007)以降は注目されたが、おそらく大衆認知に至ったのはあん(2015)だと思われる。
あんにもその次の光(2017)にもお涙臭があった。
確実に「可哀想な主人公」で釣る作風だった。
あんや光は一杯のかけそばの「貧困」が、ハンセン病や盲目に変換されただけの話だった──と思う。
で、河瀬直美はなんかがあるひとではなく、たんにメロドラマの作家だと、個人的には認識した。
ただし、かつてはメロドラマが顕著ではなかった。
憶測に過ぎないが、アーティスティック(げいじゅつてき)な作風だったけど、大衆に下野する必要が生じて、──つまり、プロデューサーに「なんかもっと売れるもんつくってくれませんかねえ」と言われて、本来の姿「メロドラマ」が顕現した──のであろう。と思われる。
メロドラマの作家ならば、ザ日本映画の系譜にすんなり収まる。あんを見たとき「なあんだ、ふつうのザ日本映画の監督なのか」と思って、ある種ホッとした。
日本映画を見ていて思うのは、なぜエクスキューズするのかなってこと。
われわれ、大人は、現実世界で、同情を誘うような姿(人様から気の毒に思われてしまうような様子)を不特定多数に見せない。お恵みを乞う──意図がなければ。
ところが日本映画には、「わたしはかわいそうなんだぞ!」と絶叫しているような人たちばかりが出てくる。
お恵みを乞うているわけ。
たんじゅんに、同情を誘っているのですよ。
わかんないのかなあ。
にもまして、映画向きの、まことに好都合な不幸。小説(原作)ならば、暴れない筋書きが、映像になったことで突飛な話になっている──気がした。
登場人物は「むしろそんなところに嵌まる方がむずかしいんじゃね」──と言わざるを得ないような、トクベツに特殊でトクベツにお誂え(おあつらえ)でやたら強引な「可哀想さ」のある状況に陥っています。その(逆)御都合主義。不幸がなけりゃ、わざわざ探し出して、自らそこに入りこんじゃう人たちです。
また、なかったことにしないでって字があらわれる部分が社会派から探偵小説に飛んじゃったみたいで、ムリ感が半端なかった。
さらに大仰。シンプルに客観視するなら、たんに子供ができないってだけの夫婦だよね。そりゃ当人にしてみれば、悲しいことだろうさ。だけどな~んか仰々しい悲嘆が鼻につく。にんげん、四六時中、シリアスな局面で生きてるわけじゃない。適当に気を抜いたり笑ったりもするさ。絵にリアルはあるけど、人物像はリアルじゃない。
また永作さんの見た目が、やつれ感を強調しているのだろうけれど、あまりにも野暮。この人、演技がうまいのか、わたしには解らないが、おばさん(にしか見えないひと)を、これでもかというほど近接でとらえていて、ひたすら辟易した。これは容姿ではなく、絵のもんだい。
たとえば、是枝監督はリアリティに寄せるけれど、役者選定はかなり面食いをする。海街も他の映画もリアリティも追及するけれど前提にきれいな役者を使うわけ。つまりリアルなのはいいけれど、見にくい絵は、やはり見にくい──という話。
(ホラー映画で人物の表情を近接にとらえて皺や陰影を強調して醜悪に見せる手法(HereditaryのトニコレットやMilly Shapiroみたいな)があるけれど、この映画は、ほとんどそれに近かった。それが誤算度きわまりなく、案外ホラー映画と言っても差し支えない。──とわりとまじで思った。)
不憫・哀れっぽい・痛々しい、ひたすら気が滅入る話。田舎者の感性。いつもながら空間のリアリティだけは、ある。が、ありえねえって思えるコテコテの不幸をムリムリに設定して、しれっと免罪符にしちゃってる映画。ださい作風です。0点。
できすぎではあるが
映画というか擬似ドキュメンタリーというか。いまいち締まりがない。蓮見先生に怒られそうである。そして、筋書きも三人の母親の心が通じるというなんか出来過ぎな展開。しかしながら、僕の世間イメージである、養子であることは隠すべき、子供と生みの親を合わせるのは気まずい、うみ親と里親には子供の愛の奪い合いがある、というものを壊してくれた爽快感はさすが河瀬監督、見て良かったという感じ。
自分には合わなかったのかも
養親がどうか関係なく立派な母親
特別養子縁組を通して、中学生で初潮前に妊娠し出産した産みの親ひかりと、その子供を養親として受け取り大切に育ててきた夫婦を描く。
固定観念が強い実家で居心地の良さを感じられず鬱々としたひかりが、告白してくれた同級生との間には確かに愛を感じ、不慮の妊娠だが、初めて大好きになった人との間にできた、愛の結晶ともいうべき子。ずっと一緒と言ってくれた言葉をひかりは大切にしているのに、相手は妊娠を知るなり謝ったあとはそれまでと同じ人生を歩んでいる。一瞬で失ってしまったひと筋の光とも言うべき愛を、授かった子供に捧げたら良いが、中学生で周りはその妊娠を事故のように扱い、なかったことにしてひかりを高校受験で軌道修正させようとする。ベビーバトンという特別養子縁組の架け橋となる団体の施設にひっそりと産みに行き、出産するが、風俗での妊娠や産まれる前から大切だと思えない妊娠と違い、ひかりには胎児への思い入れがあった。
だから、産後もとの生活に戻り何事もなかったかのようには過ごせず、無気力に。
家を出て、居心地が良かったベビーバトンの施設に戻るも団体は終了予定で、片付け中の段ボールの中に我が子のファイルを見つけ養親の連絡先や住所を知る。
とりあえず広島を出て横浜で新聞配達のバイトをしてどうにか生計をたて、バイトで出会う人間関係で過ごすうち、身なりはすっかり不良のよう。どちらかと言うと未来への希望あふれる優等生だったのに、まるでレディースのような別人に。中身は全く変わっていないのに。
お腹でちびたんと呼ばれていた、息子あさとに逢いたくて永作博美と井浦新演じる育ての親夫婦のもとへ。
職場結婚しダブルインカムで不妊治療をするも打ち切り、特別養子縁組で子供を引き取るために仕事を辞めた夫婦で、タワマン30階という恵まれた生活。
あさとの気持ちを大事にしてくれる、申し分ない優しい養育環境。
そこに別人のように変わったひかりが乗り込むが、夫婦はお金目当てで的外れな脅迫をしてきた別人だと思い、あさとを守るためぴしゃりと要求を跳ね除ける。
あさとがジャングルジムで友達を落とした疑惑をかけられた時には、あさと本人がやっていないと話しているので謝らず煮え切らない対応をした母が、今回は産みの親でもないよくわからない別人にゆすられてたまるかと、「ひかりさんからの手紙は大切に読み聞かせしています」「あなたのような人に関わって欲しくない」と言い切り、「お引き取りください」と静かに怒りをぶつける演技が母親そのもので素敵。感情をあらわにする主観の怒り方ではなく、養親という立場ながら実子として子供を守り育てている母親像がしっかり伝わってきた。
結局、ひかりの職場から連絡を受けた警察が後から訪ねてきて、ひかり本人が訪ねてきていたとわかるのだが、そこで出産直後から訪ねてくるまでのひかりの人生や心情変化を察さずに、「産みの親片倉ひかり像」を固定してしまっていた事に気付き、後悔と申し訳なさに溢れ、ひかりを探しに行く母親。ひかりと5歳になったあさとは対面を果たす。エンドロールで初めてフルで流れる「あさとひかり」と、あさとの、「会いたかった」。
子供にとっては、安心できる環境で大切に育てられるのが1番。産みの親が難しければゆとりのある養親でも良い。でも、産みの親にも会いたくなるのも事実。
そして、養親が親になっていくように、産みの親もまた、産んだ時から子供の年齢分、変化している。
特別養子縁組制度では産みの親と子供との親子関係は削除されるため、産みの親は「なかったこと」にされがちだが、確かに子供をお腹で育てた存在がいる。
それを伝えるため、蒔田亜珠扮するひかりにスポットが当たりがちだが、夫の無精子症が原因で不妊治療に至り、夫の気持ちのために治療を打ち切り、産めたかもしれないのに産む経験を諦め、養親となった母親の気持ちを想像すると、永作博美演じる母親が人徳をいかに積んでいるかがわかる。その乗り越えた悲しみと心豊かさがあるから、ひかりにもまっすぐ向き合ってくれたのだろう。一筋縄ではいかないであろう養親のあり方に、対応できる人間性でないと、特別養子縁組は難しいと感じた。
妊娠の可能性にも、特別養子縁組制度の中身にも、知識が欠けているひかりだが、子を想う母としての気持ちはあり、こんな自分が関わってはいけないと納得し、「申し訳ありません。私はあの子の母親ではありません。」と頭を下げる場面は、産みの親として子の幸せを願う最大限の母性が詰まっていた。愛しているから引く勇気。
家族は心中を理解してくれず、交際相手の子の逃げを受け止め、産んだばかりの唯一の愛の繋がりとも言うべき子を養子に出し、やっと友達ができたかと思えば借金を被らされ、「なんで私がこんな目に」。本当にその通りで、見ていても苦しい。でもそこに闇金が返した一言、「バカだからじゃねぇの」。真をついている、その通り。
不遇な境遇で太刀打ちできるのは知識と頭脳。
SOSをあげて調べればきっと救済策はある。
勉強だ進学だと子供を駆り立てる前に、子供の声を聞く姿勢こそ、子供が困った時に周りに助けを求める力を育て、自発性に繋がると感じた。
ひかりは実母に育てられたのに苦しんでいる。
あさとの友達の母親は実母でありながら他の親に金銭要求。
実母も養親も関係なく、良い母も良くない母もいて、養親の方が親として適切な事もある。
世の理解が進めば良いなと思った。
起きることは決してTVのニュースにはならない事件。出てくる人は全員...
朝が来ることを信じて
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