「親子の「嘘」が対となる映画」朝が来る keiさんの映画レビュー(感想・評価)
親子の「嘘」が対となる映画
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朝斗がソラを実際には押していないのに「ごめんなさい、押した(と言ったほうがいいの?)」と言った。
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親は朝斗がやったと思っている
〈ここでの親の対応〉
実際はソラが自分で飛び降りたことがわかった
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ここで親が真実を知る
〈ここでの親の対応〉
これを考える映画だと感じた。
それぞれ映画内では描かず、観客が考える余白がある。
演出として《実際には押していない》を分かりやすくするためなのか「押したと言ったほうがいい?」というセリフにしてしまったのはマイナス点だと思う。それじゃあ親はその時点で《子供が本当は押していないのに押したと嘘をついている》のが分かってしまうではないか!あそこのセリフは「押した」の方がそれぞれの対応を考える幅が広がると思う。
これに対となるのが映画の後半のヒカリの嘘とその対応。一つの答えとして。
ヒカリが井浦家を訪れ子供を返してほしいと伝える
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「あなたは本当の母親ではない」と永作
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子供が愛情深く育てられていることを知り、本当の母親なのに「私は母親ではない。ごめんなさい。」と嘘をつくヒカリ
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実際には本当の母親であったことが発覚
〈ここでの対応〉
永作が朝斗を連れて見つけたヒカリへ「わかってあげられなくて、ごめんなさい」
ここは描いて、一つの答えとしている。
私も親だったら本当は押していないと分かった時、子供を抱きしめて「わかってあげられなくて、ごめんなさい」と言う。そういう親でありたいと思った。
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