劇場公開日 2020年10月23日

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「ひかりを襲う三つの不幸」朝が来る 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0ひかりを襲う三つの不幸

2020年10月26日
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鑑賞方法:映画館

 特別養子縁組をした実親と養親の顛末を描いた作品だ。特別養子縁組は実親との親子関係を解消して親権を養親に移動させる法的手続である。養親側は子供が欲しい夫婦ということで画一的だが、実親には様々な事情がある。強カン(カンは女3つ。本サイトでは禁止文字)されたが妊娠に気づかなかったとか、本作品のように中学生で妊娠したなどだ。
 本作品では特別養子縁組の事案について、養親夫婦と実親のそれぞれの視点から物語が描かれる。ひとつの物語を別の角度から見直すような構成で、観客は人間関係を立体的に理解できる。難解な作品を作りがちの河瀨直美監督にしてはわかりやすい。
 序盤から暫くは養親夫婦を演じた永作博美と井浦新の二人の芝居が続くが、この二人がとても上手なのですぐに感情移入できる。特に他の子供の親とのやり取りでは、仕事でのクレーム対応を思い出して気持ちが酸っぱくなった。クレーマーは自分に都合のいい情報だけを事実と決め込んで、損得感情で責めたてる。様々な場合を想定できる頭のいい人は、却って口ごもってしまう。事実が判明するまでは、クレーマーの罵詈讒謗に耐えるしかない。
 蒔田彩珠が演じた実親片倉ひかりは中学生。妊娠に気づいたときには既に中絶手術が不可能な時期になっていて、育てられないから特別養子縁組を斡旋する施設を利用することになる。この人の物語から映画は悲惨な場面へと展開していく。

 国の文化度が低いほど、性教育がきちんと行なわれていない。日本は当然ながら、性教育後進国である。ついでに言えば、人権教育や憲法教育も殆どない。それはそうだろう、道徳教育を成績査定の対象にして、出来れば教育勅語も組み込みたいみたいなファシスト政権が続いている国である。人権教育や憲法教育は以ての外だ。性教育など眼中にもないのだろう。加えて「ナチのやり方に学ぶ」「コロナ禍が酷くならないのは民度が違うからだ」などと根拠のない妄言を吐く財務大臣がいる国でもある。日本が文化的に後進国であることを自覚したほうがいい。
 性教育をきちんと受けていないから、見様見真似の性行為で妊娠してしまう。無免許運転の自動車が事故を起こすのと同じだ。日本の教育界はどうしてこんな単純なことがわからないのか。道徳の時間を性教育に当てれば子供を作ると生じる義務や権利を学ぶことが出来る。人権教育や憲法教育の時間を作れば差別やいじめが憲法の精神と正反対であることも分かる。有権者のレベルも少しは上がるかもしれない。しかし実は有権者のレベルなど上がってほしくないのが現政権だ。「由らしむべし知らしむべからず」という全体主義者の一元論によって国が成り立っている。日本はどこまでも後進国だ。

 ひかりは性教育の不十分によって最初の不幸に見舞われた上に、社会のパラダイムによって第二の不幸に見舞われる。家族と世間の無理解だ。ひかりの母親もどこぞの財務大臣と同レベルの原始人だから、封建的なパラダイムに凝り固まった偏見で娘をどこまでも追い詰める。先方の両親と話し合って娘や息子が成人するまで助け合いながら、生まれた子供を育てる選択肢もあっただろうに。ひかりはクレーマーを相手にしたときと同じように黙って耐えるしかない。そして人権教育がないから女だけが一方的に不幸を背負い込むことになる。これが第三の不幸だ。
 永作博美が演じた佐都子は頭のいい女性である。ひかりに何が起きたのか、様々な場合を想定し、自分の記憶と繋ぎ合わせることで真相を悟っていく。ひかりは偏見に満ちた世間と家族に背を向けて、帰る場所がなく、居場所もない。放っておけば悪の道に染まっていくしかない。佐都子の中で目まぐるしく想像力が跳ね回るさまを、永作博美は無言の表情のみで演じる。凄い演技力だ。「私はこの人を知っています」は佐都子の覚悟の言葉である。佐都子はひかりを救えるのだろうか。

 形としては思春期の少女の不幸と少女に関わった養親夫婦のヒューマンドラマだが、少女に不幸を齎した社会の歪みを浮かび上がらせる問題作でもある。少女の自己責任に帰してはいけないのだ。

耶馬英彦